國破れて マッカーサー (中公文庫) [Kindle]

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  • 戦後のマッカーサーによる日本占領政策を日米双方の膨大な資料により、精神、報道、憲法、共産主義、レッドパージ、朝鮮戦争といったテーマごとに詳説している。
    この期間、日本の意思はなかった。あるとしても懺悔以外は許されず、国自体がマッカーサーのモルモットとして実験台にされた。
    地の文に資料が自然に溶け込んでおり、淡々と史実が述べられるが、その筆致の下に時々著者の激情が透けて見える。
    思想の自由を標榜した手前、戦前に囚われていた共産主義者を解放し、当の彼らによってマッカーサーが追い詰められたという皮肉。日本史の中で唯一共産主義が役立った時期では?
    彼自身が草案を作り、生きるための自衛本能を悪として否定した九条を含む憲法の解釈を変更し、警察予備隊を創設してでも、朝鮮戦争激化による日本国内の共産化を防ぎたいとした。
    それほどにマッカーサーは共産主義を憎んでいた。
    このように占領政策は外部環境に拠り転換したけれど、唯一変わらなかったのは朝日新聞のGHQに対する阿諛追従ぶり。
    GHQの検閲以上に厳しい自己検閲を課し、マッカーサーがトルーマンに罷免されて帰国する時は恋文に等しい記事と社説を載せた。何この新聞。

  • 米国の公文書を一次資料として書かれた、米国による日本統治史。マッカーサーとGHQによる統治、憲法成立の過程、平和教育という名の洗脳が進行していくさまを書いている。書かれているのだは朝鮮戦争勃発とトルーマン大統領によるマッカーサー解任まで。

    著者は1941年生まれ。戦後米国に留学し、フーバー研究所に研究員として所属する。一定の期間をへて情報公開された戦時中および戦後の米国政府の文書をもとに書いた博士論文を日本語訳し、著者の個人的な憤りや思いを大量に盛り込んだ内容。

    戦後史という意味では類書があまり無い良書だが、読了には時間がかかるため万人には勧めづらい。

  • 著者の西氏はフーヴァー研究所の研究員でアメリカの日本占領期間の公文書や一次文書を発掘し書き上げた論文「unconditional democracy (無条件民主主義とでも訳すのか)」を元に再構成したのが本書で、マッカーサーのアイデアから出た日本国憲法と第9条、「民主主義」を拡げるために最重要視した教育の改革そしてサンフランシスコ平和条約を取り巻く環境と言う3部構成になっている。

    日本は「富」を追求する代わりに最も大切にしていた「大和魂」を失った。「誇り」を、アメリカは敗戦直後の虚脱状態にあった日本国民の心の中から、永久平和と民主主義という甘い言葉で誘い出し、アジア・太平洋の「征夷大将軍」マッカーサー元帥の密室で扼殺した。
    その死体が憲法第九条。
    憲法第九条は「愛国心」の墓。
    我々の「誇り」は第九条の中に埋葬されている。
    西氏の政治姿勢はこれでわかるだろう。この本に対する評価も人によって180度違うだろう。内容はともかく読みにくい、わかりにくい日本語だとだけ言っておこう。

    1945/5/11すでにナチス・ドイツは敗れ日本へ休戦と和平を模索していた。しかし天皇につき曖昧にしておけば日本は受け入れやすいと言うのがポツダム宣言におけるアメリカの狙いだったが裏目に出、トルーマンに原爆を使う口実を与えることになった。そして無条件降伏した日本にマッカーサーが降り立った。アメリカ史上でも最大の絶対的な権力を持って。連合国はワシントンに極東委員会を置いたがマッカーサーは自分より強力な権限を持つ極東委員会を事実上無視した。そのため日本にもたらされた民主主義はマッカーサー個人のアイデアによるところが大きい。

    マッカーサーの言う民主主義は「アメリカの政治、社会文化及び経済体制」であり、日本の敗北を軍事だけでなく「信仰の崩壊」と見、この空白の中に民主主義を注ぎ込んだ。この背景にはキリスト教の信仰がある。

    一方で天皇の地位を守ったのもマッカーサーと言える。ソ連、イギリス、中国、オーストラリアに加えアメリカ国内でも天皇を戦犯として裁けと言う意見が強くなっていたが、「天皇を葬れば日本国家は分解する」「憎悪と復讐」が連鎖するのを恐れマッカーサーは陸軍省に極秘電報を打ち天皇の命を救うことになる。この電報を発掘したのは西氏の功績だろう。これは付録に載っている。とは言えマッカーサーが天皇に敬意を払っていた様子は見られない、あくまで自分の理想に日本の社会を作り変えるためだ。

    マッカーサーが全体主義を破壊し、民主主義を植え付けようとした副作用の一部はマッカーサーにも向った。共産主義者は合法化されたが以前国民には嫌われていた。憲法改正において保守主義者は出来るだけ明治憲法を守ろうとした。この時GHQ案に最も近いのは「主権は人民にある」とした共産党案だった。しかしスターリンとつながる共産党案を褒めることはできない。政府案はこうだ。「天皇は至尊にして侵すべからず」どうせ後から修正されるので出来るだけ明治憲法から変えないほうが良いと言う政府案はマッカーサーを怒らせ、マッカーサーの直筆のノートを元に民政局は憲法草案を6日間で書き上げた。そして2週間後これを元に政府草案が提出された。

    1946/6/28衆議院の憲法草案審議の際、スターリンのスパイ共産党の野坂参三と吉田茂は戦争放棄について議論した。この時自衛のための戦争を良しとしたのは野坂であり、正当防衛が戦争を誘発するとしたのが吉田だった。戦争放棄を訴えマッカーサーと吉田はその後朝鮮戦争の勃発とともに自衛隊を創設し、レッドパージにより共産主義者を公職から追放するようになる。

    教育改革もうまくいったとは言えない。マッカーサーから見ると天皇制と切り離せないのが教育勅語であり、民主主義と平和教育は教育勅語の廃止とセットになっている。まず軍国主義に賛成したものを追放し、教育委員会の選挙を行ったが例えば大阪では立候補したのは闇市のボスと共産主義者ばかりだった。まともな候補者は彼らと争うのを嫌がったからだ。予算不足から教員の給与は安く抑えられ食うや食わずだった。昇給を求める教員たちが育てたのが日教組だ。食料や予算の不足はアメリカの責任ではないのだが。結局いろんな問題を朝鮮戦争での好景気が覆い隠したことになるが、それすらも著者にとっては富と誇りの交換として捉えられている。

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著者プロフィール

1941(昭和16)年真珠湾攻撃の5日後、大阪市住吉に生まれる。岡山県の山間の城下町備中高梁へ疎開。関西学院大学文学部卒業直後の1965年7月、シアトルのワシントン大学大学院へ留学し、博士号PhD(国際政治・比較教育学)を取得。留学初期、授業料稼ぎのため肌が切れるほど寒いアリューシャン列島サケ缶詰工場(イクラ製造)やニューヨークのJ. Walter Thompson広告代理店に勤務。シアトル大学大学院客員教授、麗澤大学教授、日本大学大学院教授、モラロジー研究所教授、滋慶学園教育顧問などを歴任。現在、スタンフォード大学フーヴァー研究所「Tadahiro Ogawa Fellow」。著書に『國破れてマッカーサー』『富国弱民ニッポン』『アメリカ帝國 滞米五〇年』などがある。懸賞論文「美学の國を壊した明治維新」で第九回最優秀藤誠志賞を受賞。

「2021年 『占領神話の崩壊』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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