国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源(下) [Kindle]

  • 早川書房
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    上巻に続き、収奪的な仕組みがいかに国家の発展に害をなすかとが、収奪的制度の中で発展したとしても一時的なものに過ぎないのか、といった話。
    日本の明治維新を、封建国家から包括的な制度を持つ民主国家への制度変更を起こし国家繁栄に繋げた成功事例として挙げられている。

    私有財産の保護の元、新規参入が活発に起きるような健全な市場を整えてあげれば国家は繁栄するはずなんだけど、一部の富裕層が既得権益を守ろうと収奪的な施策をとってしまうことで、国家が衰退する。
    権力者が個人の便益の最大化を目指すと国家単位の幸福の最大化に繋がらないのが難しいところ。

    細かいところだと、国王が宝くじに当選してしまう話とか、アルゼンチンが1ペソ=1ドルにしようとして失敗した話とか面白かった。

  • なぜ国家は衰退するのか。
    それは、収奪的政治制度と経済制度があるから。君主やエリートか好き勝手にルールを決め、所有権が安定していない場所では、だれも投資などしない。自分の努力が将来の自分のためになるから投資する。
    対して成長の礎は、包括的政治制度と経済制度。多様なステークホルダーが意思決定に関与し、安定した権利が商業の発展を支えるときに、国は発展する。最初にこの体制を作れたのは、名誉革命が起こったイギリスで、次にフランス。
    日本も封建制から、明治維新にから政治と経済の制度を変えた。それがいまの日本の繁栄を作った。
    中国は、包摂的経済制度があるが、政治は違う。中所得国にはなったが、それ以上になるには、政治制度の転換が必要と予測される。個人的には、筆者の理屈はわかるが、アリババ創業者が身動き取れない状態になっても、中国人の起業や成長への意欲は変わらないため、成長は続く気がする。これまでの歴史観察から作られた、筆者の論理への反証を中国が作るのか楽しみ。

  • 江戸期の日本は徳川家によって支配されていて、諸々の自由がなく、貧しい国だった。教科書はストレートに書かないから、ちゃんと読み込まないと端的にこういうことは分からないと思う。この本のテーマは収奪的か包括的のどちらの性質を経済制度・政治制度に有する国が豊かになれるか。直観的にはそうだろう、と思うが、包括的な政治・経済制度を持った国が持続的に豊かさを享受できるというのが筆者らの実証によって得られた見地だ。

  • ”国家が衰退する原因は、収奪的制度にある”
    こんにち当てはまるのは、ジンバブエ、シエラレオネ、コロンビア、アルゼンチン、北朝鮮など

  • 〇結局は、交易から手を引いたところで、彼らがヨーロッパ人の手から救われることはなかった。一八世紀末までに、東南アジアのほぼ全域が、ヨーロッパの植民地帝国に組み込まれていた。
    〇収奪的制度の押しつけ、あるいは既存の収奪的制度の強化によって、世界各地に開発不全の種をまいた。
    〇結果として、世界の一部の地域で工業化が拡大していたときに、ヨーロッパの植民地帝国に組み込まれていた地域には、産業革命の新たなテクノロジーから利益を引き出すチャンスがなかった。
    〇奴隷貿易によって、相反する二つの政治的プロセスがスタートした。
    第一に、多くの統治組織がまず絶対主義的になり、一つの目的――ほかの部族を奴隷にし、ヨーロッパの奴隷商人に売り飛ばすという目的――のために体制を整えるようになった。第二にその結果として、逆説的なことに第一のプロセスに反して、戦争と奴隷貿易のせいで、サハラ以南のアフリカに存在したあらゆる秩序と正当な国家権力が最終的に破壊されてしまった。
    〇大英帝国において奴隷制度そのものが廃止されたのは、一八三四年になってようやくのことだった。
    〇大西洋貿易のなかでずば抜けて大きな部分を占めていた奴隷貿易の時代が、終焉を迎えた。
    〇アフリカの社会と制度に対する奴隷制の影響が魔法のように消えうせたわけではない。アフリカ諸国の多くは奴隷制を中心に体制を築いてきており、イギリス人が奴隷貿易に終止符を打っても、この現実は変わらなかった。
    〇奴隷貿易の廃絶はアフリカの奴隷制を衰退させたというより、奴隷の配置転換を招いたにすぎなかった。いまや奴隷は、アメリカ大陸ではなくアフリカ内部で使われていたのだ。
    〇ルイスおよびルイスの業績を土台とする開発経済学者が、二重経済を確認したことは間違いない。
    〇この期間に、過去五〇年間にアフリカ人が築いてきた農業の繁栄と活力を破壊する二つの力が働いた。第一の力は、アフリカ人と競合するヨーロッパ人農民の敵意 。二つ目の力はさらに悪辣だった。ヨーロッパ人は、成長しつつある鉱業分野で安価な労働力を使いたがっていた。
    〇二重経済は自然なものでも、避けられないものでもなかった。ヨーロッパの植民地主義によってつくられたものだったのだ。たしかに、ホームランドは貧しく、技術的に遅れており、人々は無学だった。だが、それらはすべて政府による政策の結果だった。
    〇こんにちの世界に不平等が存在するのは、一九世紀から二〇世紀にかけて、一部の国が産業革命およびそれがもたらすテクノロジーと組織化の方法を利用した一方、ほかの国にはそれができなかったからである。
    〇テクノロジーの変化は繁栄の原動力の一つにすぎないが、おそらく最も重要なものだろう。新しいテクノロジーを利用しなかった国々は、ほかの繁栄の原動力からも恩恵を受けられなかった。こうした失敗の原因は収奪的制度にあった。この制度は、絶対主義政権が永らえた結果として、あるいは中央集権体制の欠如のために生じたものだった。
    〇合衆国とオーストラリアが包括的制度を確立したおかげで、この二つの国に産業革命が急速に広がり、両国は豊かになりはじめた。この両国と同じ道を、カナダやニュージーランドといった植民地もたどった。
    〇フランス社会は三つの区分、いわゆる身分に分かれていた。聖職者が第一身分を、貴族が第二身分を、それ以外の国民が第三身分を構成していた。
    〇製造業は強力な 同業組合 によって統制されていた。ギルドは組合員に高収入をもたらしたものの、ほかの人がその業種に参入したり、新たな事業を始めたりすることは妨げた。
    〇フランス革命は、封建制とそれに伴うすべての義務と貢租を一気に廃止し、貴族と聖職者の免税特権を全面的に撤廃した。
    〇多くの君主は、みずから指名した有力貴族で構成される、いわゆる名士会にしばしば助言を求めた。
    〇三部会は名士会とはまったく違う機関だった。名士会が貴族階級で構成され、大半が有力貴族のなかから国王によって指名されていたのに対し、三部会には三身分すべての代表が含まれていた。
    〇ドイツのフランクフルトのユダヤ人の生活は、中世に起源を発する法規に定められた命令によって統制されていた。
    ユダヤ人は特別な目印を身につけなければならなかった。男は二つの黄色い同心環、女は縞柄のヴェールだった。
    〇軍の組織について克服しなければならない深刻な問題はあったものの、フランスはある重要なイノヴェーションで他国に先んじていた。すなわち、徴兵制である。一七九三年八月に導入されたこの制度のおかげで、フランスは大規模な軍隊を編制できたし、ナポレオンの名高い軍術が登場する前においてさえ、最強と言ってもよいような軍事的優位性を確立できた。
    〇全体としてみれば、フランス軍はヨーロッパに多くの苦難をもたらしたが、状況を根本的に変えることもした。ヨーロッパの多くの地域で、さまざまなものが消えてなくなった。
    〇真の意図は天皇を権力の座に復位させるだけでなく、政治経済の諸制度を根本から改革することにあった。
    〇経済的後進性のせいで軍事的後進性が生じたという現実は、将軍政治を打倒し、改革に着手しようという島津斉彬の計画を後押しした動機の一つだった。
    〇ある国が工業化に乗り出すかどうかは、おおむねその国の制度のあり方によって決まった。
    〇オーストラリアと合衆国が工業化し、急成長できたのは、それなりに包括的な制度のおかげで、新たなテクノロジー、イノヴェーション、創造的破壊が抑圧されずに済んだからなのだ。
    〇貴族階級は工業化のせいで経済的な敗者となった。さらに重要なのは、彼らが政治的にも敗者だったことである。
    〇フランス革命は、フランスだけでなく、ベルギー、オランダ、スイス、ドイツの一部、イタリアにおいても工業化への道を開いた。もっと東の地域では、フランス革命への対応は黒死病後のそれに似ていた。封建制は崩壊するどころかいっそう堅固になったのだ。オーストリア・ハンガリー帝国、プロイセン、オスマン帝国は経済的にさらに後れをとったが、それらの国々の絶対君主は、第一次世界大戦までその地位に居座りつづけた。
    〇若干の例外はあるものの、こんにち裕福な国々は、一九世紀に始まる工業化と技術改革のプロセスに着手した国々であり、貧しい国々はそうしなかった国々なのである。
    〇注目すべきなのは、法の支配と法による支配は違うという点だ。ホイッグ党は、一般庶民による妨害行為を押さえ込むべく過酷で弾圧的な法律を成立させることができた。それにもかかわらず、法の支配のために、さらなる束縛と戦わざるをえなかったのだ。ホイッグ党の法律が侵害した諸権利は、名誉革命とそれに続く政治制度改革を通じてあらゆる人に認められていたものであり、「神授」の王権やエリートの特権を解体することで確立されたものだった。したがって、それを執行すれば、エリートからも非エリートからも同じように抵抗を受けることになった。
    〇名誉革命とはあるエリートによる別のエリートの打倒ではなく、ホイッグ党とトーリー党といったグループはもちろん、ジェントリー、商人、製造業者などで構成される広範な連合による絶対主義に抗する革命だった。多元的な政治制度の出現はこの革命の帰結だった。
    〇包括的制度の好循環は、すでに達成されたものを維持するだけでなく、いっそう広範な包括性への道を目指す。
    〇改革が認められた理由は次の点にあった。エリート層は、自分たちの支配力を――仮に多少弱まるとしても――確実に維持するには改革しかないと考えていた。
    〇すでにイギリスで起こっていた政治経済の変化のせいで、武力でそれらの要求を抑え込むことは、エリートにとって魅力的でもなかったうえ、ますます実行しがたいものとなっていた。
    〇包括的な経済制度と政治制度のあいだには力強い正のフィードバックが存在し、こうした一連の活動を魅力的なものとしていた。包括的な経済制度が包括的な市場の発展を招いた結果、資源の配分はより効率的になり、教育を受けたり技能を習得したりすることがいっそう奨励されるようになった。
    〇正のフィードバックのもう一つの側面は、包括的な経済制度や政治制度のもとでは、権力を支配することの重要性が低くなるということだ。
    〇包括的な経済制度と政治制度のあいだの正のフィードバックにあった。包括的な経済制度は、収奪的な制度と比べてより公平な資源配分を実現させる。それゆえ、包括的な経済制度は一般市民に力を与え、権力闘争においてさえいっそう平等な競争の場をつくりだすのだ。そのため、少数のエリートが大衆の要求に譲歩したり、あるいは少なくとも一部を受け入れたりせずにそれを押しつぶすことは、さらに難しくなる。
    〇有権者は(無記名投票であっても)七年に一度なら買収される恐れがあるが、どんなに財力があっても(普通選挙制のもとの)一二カ月ごとの選挙のたびに有権者を買収することはできないからだ。さらに、一年限りの任期で選出された議員は、現在のように選挙民を無視したり、裏切ったりはできないはずだ。
    〇歴史的に、合衆国の少なくとも北部および中西部には比較的競争的な市場があり、国内のほかの地域、とりわけ南部よりは平等主義的だった。ところがこの時期、競争は独占に取って代わられ、富の偏在が急速に拡大した。
    〇独占企業が継続すれば、それはつねに政府の舵をとることになるだろう。私は独占企業が自制するとは思わない。もしこの国に、合衆国政府を所有できるほど大きな力を持つ人々がいれば、彼らはそうしようとするはずだ。
    〇市場の存在もそれだけでは包括的制度を保証しないということだ。
    〇包括的な経済制度に必要なのはたんなる市場ではなく、公平な競争の場とビジネス・チャンスを大多数の人のためにつくりだす包括的市場なのだ。
    〇包括的な政治制度のおかげで自由なメディアが栄えると、今度は自由なメディアのおかげで包括的な経済制度や政治制度に対する脅威が広く知らしめられ、阻止されるケースが多くなる。
    〇多元主義のもとでは、ほかのグループの権力を欲しがったり、あえてそれを転覆させたがったりするグループはない。
    〇好循環はいくつかのメカニズムを通じて機能する。第一に、多元的な政治制度の論理のおかげで、独裁者による権力の強奪、政府内の派閥争い、人が好いだけの大統領といったものが生まれにくく、第二に、すでに何度か述べたように、包括的な政治制度は包括的な経済制度を支え、それに支えられる、最後になるが、包括的な政治制度は自由なメディアを発展さ
    せる。
    〇一つは、大西洋をまたぐ奴隷貿易の導入。これはアフリカの政治制度と経済制度が収奪的になるのを助長した。もう一つは、アフリカの農業はヨーロッパの競争相手になるおそれがあったため、アフリカの商業的農業の発展を阻む植民地の法律と制度の適用。
    〇イギリスの植民地政府がまず収奪的な制度をつくり、独立後のアフリカ人の政治家が自分たちのために喜んでバトンを引き継いだ。このパターンは、サハラ以南のアフリカ諸国でも怖いほどそっくりだった。
    〇収奪的な政治制度ではまた、権力の乱用にいっさい歯止めがかからない。権力が腐敗するかどうかには議論の余地があるが、アクトン卿が絶対権力は絶対に腐敗するといったのはまったくもって正しかった。
    〇私有化された土地は、昔からのエリートか彼らにコネがある者に競売で売却された。
    〇一八七一年以降の土地政策は先住民の自給自足経済を破壊し、彼らが低賃金で働かざるを得ないように設計されていた。
    〇南部で都市部に住んでいるのは人口のわずか九パーセントだったのに対し、北東部では三五パーセントだった。鉄道密度(軌道の総延長を土地面積で割ったもの)は北部が南部の三倍だった。運河の総延長も同じようなものだった。
    〇収奪的な制度の継続形態として、南部に黒人差別 が起こった。
    〇奴隷制が廃止され、黒人に投票権が与えられたというのに、南部の政治的・経済的軌道が変わらなかった理由は、黒人の政治権力と経済的自立が弱かったところにある。
    〇南部の贖いに尽力する、いわゆる贖い主への支援を装った南部エリートが組織的に反発し、旧体制を復活させた。
    〇公民権の剥奪、アラバマ州の黒人取締法のような浮浪者取締法、さまざまな黒人差別法、そしてクー・クラックス・クランの活動などは、しばしばエリートから資金面で支援されており、南北戦争後の南部を実質的なアパルトヘイト社会に変えた。そこでは、黒人と白人はまったく異なる生活を送った。南アフリカのように、これらの法律と習慣は、黒人人口と黒人労働力を支配することを目的としていた。
    〇寡頭制の鉄則の核心であり、悪循環でもとくに目立つ一面は、劇的な変化を約束して旧体制を打倒した新しいリーダーは、何の変化ももたらさないということである。
    〇名誉革命やフランス革命後により包括的な政治制度の出現を大きく促した要因が三つあった。まず、新たな商人・実業家階級の台頭 、次に、名誉革命やフランス革命で形成された広範な同盟の性質、最後の要因は、イギリスとフランスの政治制度の歴史に関係がある。それらの制度によって、新しい、より包括的な統治体制が発達する背景が育まれた。両国とも議会および権力分担という伝統があった。
    〇富裕国が豊かなのは、主として、過去三〇〇年のいずれかの時点で包括的な制度を発展させることができたからである。
    包括的な経済制度の下では、経済的な力を使って政治権力を過度に高めようとする一握りの人々に、富が集中することはない。
    〇国家がこんにち衰退する理由で最も一般的なのは、収奪的制度の存在である。
    〇全体として制度は収奪的なままで、イアン・スミスと白人が搾取する代わりにロバート・ムガベとZANU―PFのエリートが私腹を肥やすようになっただけだった。
    〇現代において国家が衰退するのは、国民が貯蓄、投資、革新をするのに必要なインセンティヴが収奪的経済制度のせいで生み出されないからである。
    〇収奪的な政治制度が、搾取の恩恵を受ける者の力を強固にすることで、そうした経済制度を支える。状況によって詳細は異なるものの、国家の衰退の根底には、つねに収奪的な政治・経済制度がある。
    〇国家が破綻するのは地理的、文化的原因のせいではなく、収奪的制度を受け継ぐせいであり、そうした制度によって権力と富が国家の指導者の手に集まるために騒乱と闘争と内戦へ向かうせいである。
    〇こんにち国が破綻するいま一つの理由は、国家体制の破綻にある。それはまた、収奪的な政治・経済制度のもとでの何十年にもわたる支配の結果なのだ。
    〇コロンビアには民主的選挙の長い歴史はあっても、包括的制度がない。
    〇コロンビアは崩壊の危機にひんした破綻国家ではない。とはいえ、中央集権化は不十分だし、国の権限が国土全体に行き渡っているとはとても言えない国家だ。ボゴタやバランキージャといった大都市圏では国家が治安と公共サービスを提供できているが、国土のかなりの部分で公共サービスがほとんどなく、法と秩序もないに等しい。そして、マンクソの例のように、政府以外の集団や人間が政治と資源を支配している。一部の地域では経済制度が非常にうまく機能し、人的資本と起業能力のレベルが高いものの、ほかの地域では制度がきわめて収奪的で、国家の最低限の権限さえ行使されていない。
    〇コロンビアの政治制度では、政治家が公共サービスや法と秩序を国土の大半で提供することに意欲を持つようなインセンティヴが生まれないし、政治家が民兵組織や暴力的団体と陰に陽に手を結ぶのを阻止する十分な規制を適用することもできない。
    〇ノーベル賞を受賞した経済学者、サイモン・クズネッツは、アルゼンチンを理解するのがいかに難しいかを表す有名な言葉を残している。「世界には四種類の国がある。先進国、発展途上国、日本、アルゼンチン」
    〇ラテンアメリカに誕生した民主主義は、原理上はエリート支配の対極にあり、名実ともに権利と機会を少なくとも一部のエリートから再分配しようとするものだが、二つの意味で収奪的体制にしっかりと根差している。第一に、収奪的体制下で何世紀も不公正が続いたせいで、新たに誕生した民主主義体制の下で、有権者は極端な政策の政治家を支持するようになる。第二に、ペロンやチャベスといった有力者にとって政治がこれほど魅力的で甘い汁に満ちているのは、またしても根底に収奪的制度があるせいであり、社会にとって望ましい選択肢をつくる有効な政党の仕組みがないせいである。
    〇二〇世紀末の世界最貧地域の多くについて理解するためには、二〇世紀の新たな絶対主義、すなわち共産主義を理解することが不可欠である。
    〇いずれの場合も共産主義が悪質な独裁政治と広範な人権侵害をもたらした。人的被害と殺戮以外にも、共産主義体制はさまざまな形の収奪的制度をつくりあげた。経済制度は市場の有無にかかわらず、資源を人々から搾取するように組み立てられ、所有権の全面的否定によって、たいがいは繁栄ではなく貧困が生み出された。
    〇国家が経済的に衰退する原因は、収奪的制度にある。そうした制度のせいで貧しい国は貧しいまま、経済成長に向かって歩み出すことができない。
    〇日本、スペイン、ロシアの植民地だった国もある。歴史も言語も文化も大きく異なる。すべてに共通するのが、収奪的制度だ。すべての事例で、そうした制度の土台をなすエリートは、一般国民の大多数の犠牲のうえに私腹を肥やすため、そしてみずからの権力を維持するために、経済制度を構築した。
    〇ボツワナはどうやって旧弊を打破したのか? 独立後の包括的な政治・経済制度のすばやい構築によってである。
    〇多くの場合、国家がより包括的な制度に向かって大きく前進するためにはさまざまな複合的要因が必要だ。ことに決定的な岐路と、改革や既存の好都合な制度を推進する人々の幅広い連帯が重なる必要がある。
    〇ある程度の幸運がカギとなる。歴史はつねに成り行き任せの展開をするから。
    〇韓国と北朝鮮、二つのノガレス、合衆国とメキシコを対比させると、こうした現象は比較的近年のものであることに気がつく。
    〇こんにち私たちの周囲で見られる激しい経済格差の大半は過去二〇〇年のあいだに生じたのである。
    〇収奪的な経済制度と政治制度の連動は悪循環を生むため、そうした制度はいったんできあがると長続きしがちである。
    〇収入と権力をめぐる争いは、間接的には制度をめぐる争いでもあり、あらゆる社会につねに存在する。
    〇一五世紀と一六世紀の経緯によりイングランド王室が海外貿易を支配できなかった一方、フランスとスペインではそうした貿易がおおむね王家に独占されていたという相違がある。
    〇カギを握るのは歴史である。なぜなら、制度的浮動を通じて決定的な岐路に重要な役割を果たすかもしれない相違をつくりだすのは、歴史的プロセスだからである。
    〇ペルーが西欧や合衆国よりもはるかに貧しくなってしまったのは歴史的必然ではない。道筋を変えて長期的パターンを大きく乖離させたかもしれない要因が、少なくとも三つある。  第一に、一五世紀のアメリカ大陸における制度の違いが、この地域がどう植民地化されるかに影響し、第二に、江戸湾にペリー提督が来航したときの日本のように、インカ帝国がヨーロッパによる植民地化に屈しなかった可能性もあり、第三に、これが最も根源的な要因だが、世界を植民地化したのがヨーロッパ人だったことは、歴史的、地理的、文化的に既定されていたわけではない。制度が浮動していった独自のプロセスと、大西洋貿易の開始が生み出した決定的な岐路の性格にある。
    〇歴史に関するこれまでの記述が示しているのは、歴史決定論に基づくどんなアプローチも――地理や文化、あるいはほかの歴史的要因に基づくものですら――不適切であることである。
    〇私たちの理論のテーマは、国家はどうすれば収奪的制度から包括的制度に移行し、それによって繁栄に向かって歩み出せるのかだ。だが、そうした移行をたやすく達成する処方はないことも、私たちの理論では最初から明らかだ。第一に、悪循環があるせいで、制度を変えるのは見た目よりもずっと困難であり、第二に、歴史の流れが偶然に左右されるせいで、決定的な岐路と既存の制度の相違との相互作用の一つ一つが、より包括的な制度につながるか、収奪的制度につながるかを知るのは難しいことである。
    〇ワシントン・コンセンサスは、世界の多くの発展途上地域で経済成長を刺激するために、市場と貿易の自由化と、ある種の制度改革の重要性を強調している。
    〇独裁体制下の成長が魅力的に感じられる理由の一つはワシントン・コンセンサスへの反発だが、もっと大きな理由は、ことに収奪的構造の上に君臨する統治者にとっては、権力を意のままに維持でき、強化さえできることと、搾取を合法化できることが重要である。
    〇政治社会学の古典的理論の一つで、シーモア・マーティン・リプセットが唱えた近代化論だ。近代化論によれば、すべての社会は成長とともに近代化され、発展し、文明化したものになっていき、とりわけ民主化へと進む。
    〇しかし、近代化論は正しくないと同時に、破綻しつつある国家の収奪的制度という大問題にどう立ち向かうかを考える助けにもならない。
    〇いくつかの重要な考え方を浮き彫りにする。第一に、中国の独裁的かつ収奪的な政治制度下での成長はまだしばらく続きそうではあるが、真に包括的な経済制度と創造的破壊に支えられた持続的成長には転換しないだろう。第二に、近代化論の主張とは逆に、独裁体制下の成長が民主主義や包括的政治制度につながることをあてにすべきではない。第三に、独裁体制下の成長は長い目で見れば望ましくないし、存続できないため、ラテンアメリカ、アジア、アフリカのサハラ以南の国々の成長のひな形として国際社会が承認すべきではない。
    〇無知説は、貧困問題を「解決」する策をのっけから提供してくれる。無知のためにこんな事態に至ったのなら、為政者と政策立案者を教育して彼らに知識を与えれば、現状から抜け出せる。政治家に適切な助言を与え、良い経済とは何かを教え込めば、世界中で繁栄を「 設計」できるはずだという。
    一つ目は、国際通貨基金のような国際機関が支持することの多いやり方で、低成長の原因は劣悪な経済政策と経済制度だと認めたうえで、国際機関が貧困国に採択させたい改善策のリストを提示する(ワシントン・コンセンサスによって、そうしたリストの一つが作成された。) 国際的学術組織がより良い政策と制度を貧困国にむりやり採択させて経済成長を設計しようとしても、うまくいかない。なぜなら、貧困国の指導者は無知だという以外、そもそもなぜ悪い政策と制度がその国にあるのかを説明する準備をしないからだ。その結果、政策が採択も実施もされないか、あるいは形だけ実施されることになる。繁栄を設計する二つ目のアプローチのほうが、いまではずっと時流に乗っている。そのアプローチは、国家を一夜にして、あるいは数十年で貧困から繁栄へと引き上げる簡単な解決策はないことを認めている。けれども、良い助言さえあれば修復できる「ミクロ市場の失敗」が多いのだから、政策立案者がそれらの機会を利用すれば繁栄が生み出されるはずで、そのためにはやはり、経済学者などの助力と先見の明が必要だとされる。ミクロ市場の失敗の多くがたやすく修復できそうに見えるのは錯覚かもしれないということがある。援助対象に届くのは援助金のおよそ一〇パーセントからせいぜい二〇パーセントにすぎないという概算が、多くの調査によって出されている。
    〇対外援助から生まれる無駄の大半は不正ではなく、たんなる無能さの結果であり、もっとひどい場合、援助機関の通常業務の結果なのだ。
    〇「開発」援助のそうした好ましくない履歴にもかかわらず、対外援助は世界中の貧困と闘う手段として、欧米の政府、国連などの国際機関、さまざまな種類のNGOが薦める最も人気の高い政策の一つである。
    〇大切な教訓が二つある。第一に、対外援助は、こんにち世界各地で起こっている国家の破綻を処理する効果的な方法ではないということ。第二に、包括的な政治・経済制度の整備がカギとなるため、現在提供されている対外援助の少なくとも一部をそうした整備に使うのは有用だろう。
    〇包括的政治制度の基盤である多元主義に必要なのは、政治権力が社会に広く行き渡ることであり、狭い範囲のエリートに権力を与える収奪的制度から出発する場合には、権限委譲のプロセスが必要である。
    〇情報・通信技術の進歩に基づく新たな伝達手段であるウェブ上のブログ、匿名のチャット、フェイスブック、ツイッターをはじめとするメディアが、二〇〇九年のイランのアフマディネジャドの不正選挙とそれに続く弾圧への反対運動で中心的役割を果たした。
    〇メディアの貢献が有意義な変革に結びつくのは、社会の幅広い階層が政治を変えるために行動を起こして協調するときだけであり、党派的理由や収奪的構造の支配のためではなく、収奪的構造をより包括的構造へ変えようとするときだけである。
    〇継続的技術革新(創造的破壊)を伴う経済成長は、長期的には包括的経済制度≒自由な市場経済の下でしか持続可能ではない。しかしながら包括的な経済制度は、包括的な政治制度――つまり「法の支配」、そして究極的には自由な言論に支えられた民主政の下でしか持続可能ではない。収奪的な政治制度≒権威主義的独裁の下では包括的経済制度は長期にわたっては存続できず、早晩、収奪的な経済制度に移行していく。
    〇課税には純然たる支配層の収入確保という機能以外に、ライバル、民衆に対する単なるいやがらせ、その弱体化という機能がある。
    〇外側から指示や示唆を与えるだけのトップダウン型改革の虚しさ、草の根の連帯の重要性こそが、彼らの主張の眼目である。

  • 過去の覇権国がなぜ衰退していったのか?というのを知りたくて、本書を購入した。
    結論から言うと知りたかった観点はほとんど得られなかった。
    本書でいう『国家』の研究対象となった国は、アフリカ大陸の新興国がメインであり、俺が知りたかった国家の話は、ほんの少ししかでてこなかった。
    また、著者が提唱する国家が衰退する(繁栄する)かどうかの要素は、地理ても文化でもなく、制度であると。
    上巻から下巻の隅々まで、史実に基づく制度・制度・制度の話である。
    細かい話はここでは書かないが、収奪的な制度では国家は必ず衰退し、往々にして負のフィードバックループから抜け出せない。国家が繁栄するには、中央集権の包括的制度が必要であると。
    ちなみに上下巻通して、実際に読んだのは30%ぐらいでしたね。図書館に置いてあるのなら、借りるのをお勧めします。以上

  • これまでなされてきた貧困撲滅プロジェクトがなぜ上手くいかないのか、それは『制度』に問題があるから。そして制度とは結局、財産権をいかに統制するか、か。

    そしてたとえ生産性が上がり、ある面では自分の税収が上がるとしても、それによって被収奪者に余裕を与えるような技術を取り入れることを権力者は拒む。
    イギリスで産業革命が起こり得たのは、体制側にある程度の多様性があったから(貴族の中にすら、ジェントリたちと協力して事業をしている者もいた)。

    経済成長/イノベーション←包括的制度←体制側の多様性←財産権の保証

  • ☆貧困などの経済成長の差は、政治経済制度の差であるとする。なるほどね。
    ☆包括的政治経済制度(民主政治)と収奪的政治経済制度(独裁、奴隷制、中央司令型)に分けられ、後者が貧困、停滞の原因であるとしている。

  • 経済発展には民主制が必要である。しかし、その制度が定着するかは大きく偶然による。結局のところ、国家が衰退するかしないかは選ぶことができないものなのかもしれない。

  • 小さな制度設計の違いがある出来事(決定的な岐路)をきっかけに大きな経済格差となって現れる。収奪的な政治・経済制度の下ではインセンティブが働かず経済成長は望めないという議論を読んでいて思ったのは日本の現状だ。
    日本は明治維新で包括的な政治・経済制度に移行して近代化をはたした。だが、いまや、リタイアしてフローの収入は途絶えたかもしれないが、個人金融資産の6割を占め、豊富なストックを抱える高齢者を、フローの収入は先細りで、子育て&住宅ローンでストックをほとんど持てない現役世代が支える構図になっている。これは、別のかたちの収奪といえるのではないか。
    頭数も多く、投票率の高い高齢者の主張を、選挙を通じて若者が覆すのは困難になっている。この無力さが、働くことのインセンティブを奪い、日本発のイノベーションが生まれない原因になっているのではないか。そんなことを思った。

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著者プロフィール

ダロン・アセモグル
マサチューセッツ工科大学(MIT)エリザベス&ジェイムズ・キリアン記念経済学教授
マサチューセッツ工科大学(MIT)経済学部エリザベス&ジェイムズ・キリアン記念教授。T・W・シュルツ賞、シャーウィン・ローゼン賞、ジョン・フォン・ノイマン賞、ジョン・ベイツ・クラーク賞、アーウィン・プレイン・ネンマーズ経済学賞などを受賞。専門は政治経済学、経済発展と成長、人的資本理論、成長理論、イノベーション、サーチ理論、ネットワーク経済学、ラーニングなど。主著に、『ニューヨーク・タイムズ』紙ベストセラーに選出された『国家はなぜ衰退するのか』(ジェイムズ・ロビンソンとの共著)などがある。

「2020年 『アセモグル/レイブソン/リスト 入門経済学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ダロン・アセモグルの作品

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