海の勢力は自身が主張する縄張りを持ち、そこを通過する船に対して襲撃や金品を要求するローカルの論理を持っていた。
鎌倉幕府はとくに徳政という状況下で、治者としてローカルの論理を制限する方向性を示し、はずれ者の世界にあった〈海の勢力〉に対しては海賊禁圧の姿勢を明確化することでその実現を図ろうとしていた。
室町幕府は海の勢力だけでなく陸上においてもローカルの論理を黙認し取り込むことによって、主従関係のヒエラルキーに取り込むという対面を取った。
戦国時代は廻船の技術向上によって寄港回数を減らした航走が可能となり、ローカルの論理より経済の大きな論理が優位になる。
戦国・織豊期はローカルの論理より公儀が優越していく権力再編の流れの中で、海の勢力も自立性を失い解体されていく。
解体された海の勢力だが、職業選択の幅広さから、廻船業や商人や漁業や農業や新天地傭兵に身を転じたものもおり、武士として転じたものは少なかったのではないかと推測している。