フィクションながら記録映画としての側面もある。
今日子も修一もおのおの抱えてる不幸がありながら暮らしていたが、震災が帰るべき場所を奪い拠り所を失わせてしまう。
加えて今日子は、同棲していた男を地震の弾みで殺してしまうが、そしてそれ自体は本当に事故ではあるのに、今置かれている立場から男との関係を説明することもできないし、男の本名も分からないため、遺体を解体するという選択肢をとる。どんどんと不幸へ流されていく。
今日子も修一も、選択肢の無い中で流されて生きていくが、修一は大学受験をすると決めたところから、一つ未来への足がかりを作った。
足がかりの全く無い今日子は自殺を図るが、思いとどまって子どもの安否を確かめにいく。
ラストの南三陸町で、今日子と修一がすれ違うが、惨状を目の前にしながらそれぞれ心に抱えていたものは質が違っていたかもしれない。
子どもが生きていたということが、今日子にとっての希望になればいいのだけど。