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感想・レビュー・書評
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1994年の発行。週刊少年マガジンの釣りキチ三平をよく読んでいた。夜泣き谷の怪物大きなイワナ。1m50cmもあると言う。幻の魚、伝説の魚など、未知なる世界がある。そんなワクワクしたことを思い出した。
子供の頃、よく友人と魚釣りに川や池に行ったことを漫画を読みながら思い出していた。
矢口高雄は1939年秋田県の山村生まれ。手塚治虫の『流線形事件』『メトロポリス』に感激して、とにかく手塚治虫の掲載している漫画本を買うために、杉皮を売って稼いだ。家から街の本屋に行くにも、遠いところを一生懸命通う。村の人は「百姓に学問なんかイラねぇ」「へたに学問すると人間が生意気になっていかん」「理屈ばっかし、こねやがってろくに働こうとしねぇ」「学問は怠け者を作るだけで、への役にも立たない」と言われていた。新聞を読んでいる人や雑誌や本を読む人はいなかった。そんな中で母親は読み聞かせをしてくれた。とにかく、矢口高雄少年は、手塚治虫にぞっこんだった。そして、手塚治虫の漫画を模写した。この本には、手塚治虫の作品がこれでもかと出てくる。矢口高雄の絵と手塚治虫の絵が楽しめる。手塚治虫に、年賀状を書いて、手塚治虫から返事のハガキがきて大喜びする。
高校卒業して、銀行に入行した。銀行員をしながら、自作品の投稿を繰り返すが、採用されなかった。銀行を辞めて、漫画家のアシスタントになり、1973年の『釣りキチ三平』で、評価された。
手塚治虫にパーティの席上であって、褒められて、喜ぶ。そして、1989年手塚治虫が亡くなったことで、悲嘆に暮れる。この本が、手塚治虫愛を存分に語っている。
2020年に亡くなっている。享年81歳だった。それにしても、手塚治虫の存在はこれほど大きいのかと驚いた。日本の漫画を作り上げたイノベーターで、それをロールモデルといて取り組む人たちがいた。手塚治虫の漫画の奥深さを知る。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
何度も読み返したくなる神エッセイ漫画。この作品は矢口高雄先生の「9で割れ!」とセットで読むことをおすすめする。
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これまでいろいろな漫画家が「手塚治虫と自分」についての自伝が描かれてきたが、これは正真正銘、矢口高雄でしか書けない希有な作品。
漫画はおろか映画、小説に至るまでのありとあらゆる"文化"というものにまったく触れられない戦中~戦後の山形の山奥という環境で育った著者の「百姓」としての生活と手塚に出会った衝撃が二軸で語られる傑作。 -
矢口高雄にとっての手塚治虫伝。本人とのエピソードは思ったより少なかったが、閉ざされた田舎に住む矢口少年に手塚作品がどれほどの影響を与えていたかを伺い知ることが出来た。
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秋田の少年、手塚に出会ふ
手塚中心であくまでも自伝ではないので、あまり矢口本人の生ひ立ちはわからないが、それでも戦後における手塚のあたらしさに焦点が当ってゐて、なるほど、手塚熱はかういふものだったのかと納得した。エピローグは気合いが入ってゐる。しかしすでに手塚はメトロポリスでTSをやってたのかとびっくりした。 -
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著者の手塚治虫愛が感じられる。なにより戦後すぐの時代の秋田の山奥の農村の姿と初めて手塚を知った頃の高揚感が見事に描かれている。マンガ好き必読の書。
個人的に便所での尻拭きに植物の葉を使っていたというのが興味深かった。古代から籌木(クソベラ)が使われていたことは知られているが、葉もかなり使われていたのではなかろうか。
それにしても手塚が死んだのが平成の始め(元年)、著者も令和の始め(2年)に鬼籍に入っている。時の流れはとどめようもないが寂しい。 -
2022/09/15
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戦後日本でマンガがどれほど輝いていたか、その中で手塚治虫がどれほど凄かったか、が分かった。秋田の農村の描写も単純に面白かった。
特に響いたシーンが序盤に2つある。
ひとつは「流線型事件」の構図に衝撃を受けたところ。車が迫ってくる絵なんだけど、現代っ子がVRを体験してもこれほどの衝撃は受けないんじゃないかというくらい、矢口少年は驚愕している。
もうひとつが適当な製本でマンガを叩き売りしていた人が、買った人の「これで息子に顔向けができる」の一言にグサリと来るシーン。喜んで待つ子供を思うと適当な商売はできないと。なぜか私までグサリときた。
どちらもマンガの表現力を感じるページだった。 -
手塚治虫先生愛にあふれる作品。えげつない画力がありながら、それでも足元にも及ばないと仰る矢口先生。マンガ界の凄みの境地。
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矢口先生の手塚先生への憧れや思い出、漫画家同士として会話したときのお話をまとめた追悼本。
遠く永遠の憧れの人として敬愛していたことが切々と伝わってきた。