- Amazon.co.jp ・電子書籍 (603ページ)
感想・レビュー・書評
-
7/31
硬貨は様々な人種・階層の人の手を伝って長い旅をする。そこに着目して硬貨によってローマ帝国各地の様々な人の日常生活を描いた
・正月には郊外の聖地でオクトーバーフェストのように酒を酌み交わすイベントがあった
・硬貨はメディアとしての役割が大きく、皇帝が即位すると新たなデザインで鋳造された
・レンズは発火のためにローマ時代から使われていた。秦漢でも使われている。またオペラグラスのような用途でキルクス・マクシムスで使われていた
・正規の軍団兵は国境沿いではなく、国境沿いには地元住民の補助兵が配備され、監視にあたった。異変があった際には長い訓練を受けた軍団兵は適切な情報を持って反撃にあたった
・ローマ時代の出産による死亡率は高く10%近かった。そのため男性の平均寿命は40程だったが、女性は30だった
・軍団兵の最小単位は宿舎の同部屋の8名であり、それを10集めて100人隊を作り、100人隊6個で大隊とした
・公営郵便制度として、宿舎が整備されていた。個人の旅は整備が進んでおらず、特に海路では貨物船に自ら交渉して載せてもらうしかなかった。手紙も同じ方向に行く人に託すしかなかった
・外科手術の技術も進んでいたが、技術の個人差も高く医者という職業全般は詐欺師にちかく尊敬されていなかった
・ローマにはテヴェレ上流から薪が大量に運び込まれ、運搬に使われた船も解体して薪とした。属州から莫大な量の小麦を始めとした物品が運び込まれてきた。オスティアの沖合で超巨大な船から平底船に積み替えて、牛か奴隷によって川を遡った
・ローマは雑踏がひどく、身分の高い人間はがよにのる2階層だった。
・ワイン屋には各家からアンフォラを持っていき、所定の場所におくと溝からワインが流れて、入れてもらっていた
・キルクス・マクシムスは15万人以上が収容でき戦車競走が行われた場所でコロッセウム以上に重要な娯楽施設だった。戦車競走は賭博が行われていた
・スペインが主な金山であり、過酷な労働で採掘していた。水をダイナマイト代わりに使って、ダムを作りそれを決壊させることで山を切り崩した
・紅海ぞい、あるいはパルティア経由の陸路で絹やスパイスを輸入しており、慢性的な貿易赤字のため金が流出していった。紅海からインドに直接おく船が年間120隻、3日に1隻往来しておりかなりの規模だった
・旅は非常に危険だった。奴隷社会のため奴隷とするための誘拐をする山賊がおり、宿の主人など地元と癒着しているケースがあった。また海での難破も多かった
・古代にも旅行があり、文献や現地の落書きがそれを物語っている。エジプトのピラミッドは当時から歴史遺産であり人気だった
・大理石像は着色されていたが時の流れで落ちてしまい白くなっている。ルネサンス期に作られた白い胸像は誤解の産物である詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
トラヤヌス帝時代のローマ帝国を旅する本。当時暮らしぶりや、文化を充分に堪能できる。間違いなく面白かったが、長くて疲れる。トラヤヌスが領土を拡げ過ぎたのが悪い。