ホワイトヘッドの哲学 (講談社選書メチエ) [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  •  ホワイトヘッドに関する本は初めてだったので読み始めは恐る恐る読んでいたが、重要なことは繰り返し様々な表現で説明されているので、比較的気軽に読めた。

     二回読んだけどほとんど理解できてないので、時間空けて再読する時のために自分なりのメモ(ほとんどただの要約)を残しておく。誤解を招く気しかしない。


    木村敏先生は周りの事態を「もの」「こと」にわけて説明している。
    「もの」→見るという働きの対象になるようなもの
    われわれが世界を認識する際に、必ず「もの」という塊で認識し、その認識とは別に元々そのようなものがあると思い込む
    「こと」→「もの」とわれわれの関係のようなもの
    ホワイトヘッドは木村先生の説明する「もの」を「もの」が存在してる「こと」として考える。
    理由としては、それを認識する主観が介在しない限り、「もの」は登場しないことや「もの」は常に変化し、また他の「もの」と関係し合っていること(唯物論の否定的な)を挙げている。

    この「こと」が「出来事」である。「活動的存在」「活動的生起」も「出来事」に近しいこととして扱われている。

    「出来事」は時空が発生する前の状態、つまりもっとも具体的なものである。
    (「出来事」をバラバラにして抽象化すると時空が生じる。)

    「活動的存在」
    わかりやすく正確に伝えるために「出来事」に個別の時空的な関係を含めたもの??
    この世界の構成要素で、基準は活動的存在の主観での経験となっている。
    全ての活動的存在がそれぞれ「主観」を持っていて、その「主観」で色々な活動的存在を見ている。

    有機体→無生物、無機物なども含め、全てのものが関わりあって変化しているということ


    困った、全然理解できてない!

  • 全ては相互依存であり、全ては流動する。そのプロセス、現われこそが、全てである。というのが、最近の私の基本的な思考パターン。

    と言う意味では、難解で名高いホワイトヘッドとも波長が会うかもと思い、読んでみる。

    いやー、確かにぴったりだ。私の最近の関心は、上で述べたような相互依存論と同時に現代物理学なのだが、ホワイトヘッドの哲学は、相対性理論と量子力学を踏まえたうえでの世界観なので、共感するところ大である。

    で、ホワイトヘッド読んでみようかなー、という気に少しなったのだが、本書に引用されている文章を読む限り、やっぱり超難解のようだな。

    多分、言葉の使い方が変なんですよ。ホワイトヘッドって。このかなり分かりやすい解説書を読んでいても、書いてある内容は共感するのだが、その内容とホワイトヘッドが使っている言葉のファーストインプレッションが違いすぎる。なにか、超越的、実在論的な言葉が、実は、プロセス的な「現われている物が全て」という感じの用語だったりする。

    気にはなるが、今はこれ以上深入りするのは、やめとこ。

  • memo

    非連続の連続
     非連続を連続させているのは抱握という関係性の連鎖みたいなもの. これは「情報」という概念と相性が良い気がする. (じっさいホワイトヘッドも「データ」という語を使っているし)
     量子論、情報理論、ホワイトヘッドの哲学. このへんは世界把握としては同じグループに入るかもしれない



    奥多摩湖を見て, 水面はホワイトヘッドの世界観の物象的表現だ, と思ったので書いてみる

    水面に現れる無数のきらめき(活動的生起)が, 現れた瞬間に水中(延長連続体, フィーリングの海)へ消えていく
    きらめきは, 他の全てのきらめきと水面下で関係を持ちながら, しかしそれ自体は独立で唯一無二の事態だ
    一瞬のうちに水面に現れたきらめきは, 次の瞬間には, 「かつてきらめきがそこにあったということ」を他の全てのきらめきに差し出しながら, 水中へ消えていく
    いやむしろ, <それ>としか言いようのない事態が消えていったあとで, 私たちは「あぁ<それ>はきらめきだったんだ」と気がつくのだろう

    ここに時間はないが, しかしきらめきの連鎖が, 私たちに「時間」を錯覚させる
    時計に従ってうごく時間は, きらめきの連鎖を参考にして私たちがつくりあげた, 妥当な虚構だ

    仮に一時停止してみれば, きらめきの集合体が文字(永遠的対象)に見えるかもしれない
    それは名前になる
    今度「似ている」集合体が現れれば, それは実際にはかつて現れたどの集合体とも違うものだが, 私たちはそれを同じ名前で呼ぶかもしれない
    文字は, きらめきの集合体がなければ現れることはなかった
    しかし文字がなければ, 水面の特定の部分を一つのきらめきの集合体として見ることはできなかった

    仮に早送りしてみれば, 私たちや他の全ての生物も, 地面に一瞬現れるきらめきのように見えるかもしれない
    いや, 早送りしなくても, 私はずっときらめきの集合体だった
    ここにいる, かつて現れたどの「私」とも違う私を, しかし私は「私」と呼んでいる
    私は, きらめきの集合体がなければ存在しなかった
    しかし私がいなければ, 昨日の私と今日の私を同じように「私」と呼ぶことはできなかった


    ホワイトヘッド読むおすすめ順
    『思考の緒様態』
    『科学と近代世界』
    『観念の冒険』
    『象徴作用』『自然という概念』
    『過程と実在』

  •  哲学者「ホワイトヘッド」およびその著作や概念について分かりやすく著したものが本書である。
     哲学書を読む時はいきなり読むのではなく哲学全般の歴史的な流れやその哲学者の考えなどを簡潔に示したものを参考にし何を読むか決めている。本書のその一貫で手にとったものである。
     そもそも「ホワイトヘッド」とは何者なのか。アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドは1947年に没した哲学者である。「西洋の全ての哲学はプラトン哲学への脚注に過ぎない」という「過程と実在」におけるくだりは有名であるらしい。有機体論的自然観を提唱したとある。形而上学の構図を現代の先端的な科学を媒体として復活させようとする試みのようだ。
     また、世界をモノではなく一連の生起(現実的存在、現実的生起)として過程として捉える。さらにここから発展して宗教哲学、神概念、宇宙論を論じていると言われる。
     筆者としては「思考の諸様態」「科学と近代世界」「観念の冒険」「象徴作用」「自然という概念」というふうに著作を読みすすめることを師匠しているのだが、いくかの図書館を横断検索してもほとんど無い。哲学を教える大学等の図書館では所蔵しているのだろうか。
     世界をどのように認識するかは自然科学の発達と共に変わってきたという印象がある。なんとか著作を探して読みたいと思った。
     
     

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著者プロフィール

1958年長崎県佐世保市生まれ。中央大学文学部教授。小林秀雄に導かれて、高校のときにベルクソンにであう。大学・大学院時代は、ウィトゲンシュタイン、ホワイトヘッドに傾倒。
好きな作家は、ドストエフスキー、内田百閒など。趣味は、将棋(ただし最近は、もっぱら「観る将」)と落語(というより「志ん朝」)。
著書に、『いかにしてわたしは哲学にのめりこんだのか』(春秋社)、『小林秀雄とウィトゲンシュタイン』(春風社)、『ホワイトヘッドの哲学』(講談社選書メチエ)、『ウィトゲンシュタイン ネクタイをしない哲学者』(白水社)、『ベルクソン=時間と空間の哲学』(講談社選書メチエ)、『ウィトゲンシュタイン『哲学探究』入門』(教育評論社)、『落語―哲学』(亜紀書房)、『西田幾多郎の哲学=絶対無の場所とは何か』(講談社選書メチエ)『続・ウィトゲンシュタイン『哲学探究』入門』(教育評論社)など。

「2021年 『ウィトゲンシュタイン、最初の一歩』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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