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感想・レビュー・書評
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星が3なのは、自分の読解力のなさのため。
冒頭~かなり後半まで読むのがつらかった。1939年訳出。翻訳が古い事もさることながら、綿々と連なる修飾語の量に圧倒され、情景が浮かぶ前に眠気を誘う……。
過剰に装飾的な文章はこの作品の持ち味なのだろうか? 他作品に当たっていないのでわからない。この青空文庫版は底本を岩波版としているけど、新潮版は「トニオ・クレーゲル」も収められているようなので、そちらも読んでみたらわかるかもしれない。こちらは1949年訳出。翻訳も、もしかしたらこちらほどには古くないかもしれない、一応戦後だし。
とはいえ、中短編小説なのにこのように時間と体力の必要な読書は、しばらく無理かも。読書体力の低下を感じる。読みやすさをとるなら集英文庫版を選べばよかったのかな。
とにかく、ひらがなの使われ方なんかが時代がかっていて理解に時間がかかる。どこからどこまでがひとつの単語なのかがわからなくなるなんて。普段、読者に親切な読みやすいものばかり読んでいるから、当時の知識人の書いたものなんて私にはレベルが違いすぎるのか。
アッシェンバッハがタッジオを愛しているとはっきり述べてからは、彼の気持ちの変わりよう、初老男性の純情の、申し訳ないがなんともいえない気持ち悪さと愛への殉死の対比が面白く、すっと作品世界に入れた。
この初老の作家の、恋に浮かされ、恋する人の後をつけまわし、床屋に通って化粧を試みてタッジオに相応しく若く美しくなりたがる所には、老若男女を問わない恋の哀しさ、滑稽さのようなものを感じた。共感もするけれど、年甲斐もなく浮かれ、視線が合うだけで狼狽する思春期の乙女のような姿には、うーん……。現実的な感想すぎるけど、適切な時期に適切な体験をしないで過ごすと、このようなじわじわとした破滅に向かってしまうのかもしれないなと思った。彼は、人生の最後にこのような彼にとっての美の神、芸術の神に出会えたことが幸福であったと思うけれど、それは救いなのか、そうではないのか。
アッシェンバッハは自分とタッジオをソクラテスとファイドロスに例え、自問自答で対話している。ギリシャ哲学に明るくないので、「パイドロス」について調べてみたりした(ウィキペディアだけど……)。読んでも、恋とは?愛とは?アガペーとは?エロスとは???と全然わからなかったんだけど、その対話の中で語られる「自分に対して恋をしている者よりも、恋していない者にこそ身をまかせるべき」という話が、まさに(自己の内面の中で事故を正当化しながら)タッジオを口説くアッシェンバッハそのもののように読めた。ちがうか。ちがうな。これを否定するソクラテスこそがアッシェンバッハなのかな。だめだ、分からない。整理ができない。勉強すればわかるのかな。アッシェンバッハは、ヴェニスが今まさに脅かされている病について、タッジオの一行に教えてやることもできたのに、タッジオがヴェニスを去ることを恐れてそれを言わない。これは、アッシェンバッハの恋がアガペーではない、エゴに満ちているものととることもできると思うんだけど、彼はアガペーの中に死んだととらえられるのかな。愛とは、恋とは、なんなのか、よくわからなくなる。
このコロナ禍のなか、同じく伝染病を背景の一つとする作品を読めたことは意義深い。とくにヴェニスの街の、観光業という生業のために官民挙げてこの事実を隠し、旅行者への注意喚起を行わず、もろともに疫病に沈みかけていく描写には、人間のエゴイスティックな面をまざまざと感じさせられた。前述のアッシェンバッハが自分の知っている事実をポーランド人一家に伝えなかったことも、同じようなエゴだと思う。まあ、知らずとも(別ルートで知って?それとももともとの予定通りに?)この一家はヴェニスを発ち、アッシェンバッハは当地で死ぬ。ヴェニスの街は、この後どうなったのだろう。