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- / ISBN・EAN: 4988013473089
感想・レビュー・書評
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冒頭は花嫁姿をしたローラ(イジルド・ル・ベスコ)が棺桶に横たわっているわりと印象的なシーンで始まる。
ローラとともに双子のように育ったクレール(アナイス・ドゥムースティエ)は、若くして親友を病気でなくして喪失感に打ちひしがれている。
かたや、ローラの夫のダヴィッド(ロマン・デュリス)もまた、愛する妻の死をなかなか受け入れられない。
赤ん坊の娘リュシーが母のローラを求めて泣き叫ぶので、ダヴィッドはほんのはずみで、妻の残していった服を身にまとってみる。妻の匂いがついた服に安堵をおぼえるとともに、ダヴィッドは女装に目覚める。
ある日クレールは、ダヴィッドが家のなかで女装してリュシーをあやしているところを目撃してしまう。
こうして偶然秘密を共有してしまった2人の関係は予想もつかぬ方向へ……ダヴィッドはローラになり、クレールはひそかにローラを愛していたことを自覚し……それが本作を引っ張っていくサスペンスだ。
詳しくは書かない。というのもストーリー展開がわかってしまうと面白くない類の映画だから。同時に、それ以外にあまり楽しむべきところがないという意味でもあるのだけれど。
いつからかフランソワ・オゾンの映画は意識して遠ざけるようになった。一時期観るたびに面白くなくなっていったから(同じ意味で敬遠している監督は、スティーヴン・ソダーバーグとウディ・アレンの近年の作品)。
で、たまたま今回、かなり久しぶりに観たのだけど、やっぱりなあ……。
あまりにクレールとダヴィッドの関係があまりに図式的にすぎた。ダヴィッドは女装が好きだけど異性愛者であるという難しい設定で、そんな彼個人には世界がどのように見えるのか、それを観るのを期待していたのだが、クレールと会えない期間には平気で女装をやめてしまうこともできたりして、ちょっと興ざめだった。
あと、おおげさで感傷的なオケの曲もぜんぶ要らない。
思い返せば、こうした図式っぽさは冒頭からすでに表れていた。棺桶に横たわる花嫁。たしかにその瞬間は多少驚くんだけど、それで終わり。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
親友を失った女性と、その親友の夫で、女装嗜好のある男性のお話。
喪失と再生を描いた物語で、いいシーンもあるのだけど、正直、しっくり来ないというか反発したいところが多くあって、感想が難しい。
七歳の時に出会って以来、お互いが結婚しても変わらず大親友だったローラの死によって、クレールは鬱々とした日々を送っていた。
しかし、夫ジルの勧めて、ローラの夫ダヴットと、二人の娘リシューの様子を見に行くことに。
しかし、そこにいたのは、ローラの服を身にまとって、化粧もカツラもバッチリの女装姿のダヴット。
ダヴットは、結婚前から女装の趣味があり、それはローラも知っていたこと、ローラが生きていた時はその趣味は止んでいたが、ローラが死んで、その喪失感を慰めるため、そして、リシューのママ役となるために女装を再開したと、クレールに告白する。
クレールは、成り行きから彼の女装姿にヴィルジニアと名付け、夫には秘密で、女装した彼と二人、時々出かけるようになるのだか…。
大事な人を失った喪失感を、それがたとえ歪な形でも、癒すために気持ちを共有する人と寄り添ながら克服したいという点はわかります。
でも、女装したダヴットが痴漢に合うシーンがあるのだけど、「女にみられて嬉しかった」と言ったり。「女になったら、男じゃできなかったこと全部するの」なんて発言があったり。その他色々いちいち気になる点があったり。
女の私にとっては、女にとって痴漢なんて苦痛だし敵だし、女だからこそ、男に許されていることが女には認められないことや、差別受けてることもそれなりあるんですけどね?という、細々と嫌な感情ばかりが湧いて湧いて…。
女性である筈のクレールは、ダヴットのそんな発言をあっさりスルーしていたけど、なんだかなあ…。
落ち込むクレールやダヴットを励まし、二人の歪な仲が露見しても責め立てたりせず、訳あって突然他人の子であるリシューを面倒みる羽目になっても、理解を示してクレールを支え続けてきた、夫ジルがどうなったかわからないあのラストがまたしっくり来なくて…。
色々と、とってもモヤモヤと見終えた作品です。