永い言い訳 (文春文庫) [Kindle]

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  • 文藝春秋
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感想・レビュー・書評

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  • 良かった。

    交通事故で妻を失った二組の男性の話。1人は人気作家でもう1人はトラック運転手。
    妻が死んでも泣けなかった作家の男性が子育てに奔走しながらも頑張る運転手との交流から徐々に変化していく様が素晴らしい。

    大切な人との時間を本当に大切にする意味を教えてくれる、そんな小説です。

    オススメ!

  • AmazonPrimeVideoでもっ君主演の映画を見たのちに、映像では触れることのできない心の襞のようなものを確かめたくて読んだ本。本体は1人称と2人称による複数のセクションで構成されていて少し斬新。そして、題名である「永い言い訳」が冒頭で語られていて、まさに映像では表せない部分に触れることができた。
    この小説は、私に「がんばれ」ではなく「だいじょうぶ」と語りかけている(ような気がする)。美しいセリフではなく、薄汚い言い訳が多くあって、自分の人間としてのレベルの低さを肯定しているようで安心できるのだ。

  • うじうじ言い訳じみててどうなることかと思ったけれど、案外ちゃんとしてた。人生は他者なんだ、確かに。あと偶然クリスマスに読み終えたので、★1つプラス。

  • 映画化の帯が、文庫の9.9割くらいを覆っている、このインパクトと、西川美和さんだよというのと、解説が柴田元幸さんだよ、という三点盛りに、これだ。

    <妻が死んだ。
    これっぽっちも泣けなかった。
    そこから愛し始めた。>

    買わないわけがない。

    主人公の衣笠幸夫くんは、名の知れた作家なのだけれどそりゃもうダメ男で、奥さんの夏子さんに徹頭徹尾無関心、だから夏子さんがバスの事故で亡くなったと聞いたときも、妻の旅行先も確かじゃなくて、持ち物すらはっきりと本人のものだと確認できないようなていたらくだったわけだ。

    奥様が亡くなってまぁかわいそう、という世間の目に反して幸夫くんは全然泣けなくて、妻夏子と一緒に旅行に行って、同じように亡くなった大宮ゆき、の遺族の一家と知り合って、その触れ合いを通じて魂を癒していく。
    大宮家の二人の子供の時間の進み方の確かさが、自分が誰かの役に立っているという実感が、幸夫くんを支える。
    母を亡くして、父は長距離ドライバーという環境の大宮家にとっても幸夫くんの存在は渡りに船、まるで四人は家族のような絆を形成していく。
    夏子さんといたときは人を傷つけるのが特技だよ、みたいな男に見えていた幸夫くんが、この家族には妙に優しい。別人のように優しい。


    しかしここで終わらないのが西川作品だよということで、西川さんは傍から見たこの関係を「同じ環境で家族を亡くした者同士が、お互いの心に空いた穴を埋めように共存しながら再生し始めた、というおはなしか。ほんとかよ。」とシニカルな視点で刺してもいる。


    またまた無関係な他者は、ドキュメンタリーTVを観たあと、津村(幸夫)にこんな手紙をよこす。
    「芸のある我が悲劇というものを見せては頂けないでしょうか。」
    うーんぞっとするような無神経。
    でもだれか言っちゃいそう。


    とにかくそんな足場フラフラのところに、鏑木先生、という女の先生が出てきて、ぐんぐん家族に打ち解けて、四人の危うい絆はバシャッと崩れるというか、幸夫くんは居場所を失ってしまう。
    (というよりも、失った、と感じてしまう。)

    そうしてやっと、夏子さんのことを思う。
    失っても取り戻せない時間を思う。夏子さんが自分を愛していたのか、携帯電話に残っていたように<もう、愛してない>のか、どこでボタンを掛け違えたのか、自分の犯した数えきれない過ちについて、思う。
    けれどもう決して取り返すことはできない。
    時間が戻ることはない。

    そしてそのさみしさを抱えたまま、「書く」ことを選ぶ。
    たいていの物語はまず「喪失」があって、それから「再生」がある。
    けれどこの物語は違う。

    まず「再生」があって、それから「喪失」がある。
    「再生」があってはじめて「喪失」を受け止めることができる。
    だから読者も、たったひとりで宙に放り出されたような頼りなさと、でもそれでも大宮家という命綱はありますよ、というような、幸夫くんの気持ちを追体験することになる。
    よかったよかった、じゃなくて、これからだぞ!ずっとだぞ!みたいな、このほろ苦さ。


    ここで想像の翼をはばたかせて、なぜ彼が「衣笠幸夫」と「津村啓」いう二つの名前を持つ必要があったのか考えてみたい。
    「津村啓」は、洒落ていて、ウィットに富んでいて、見目もよくて、万人受けする、そういうキャラクターとして描かれている。
    「衣笠幸夫」は違う。妻との会話の糸口ひとつ見つけられないし、物ほしそうに4歳の子のお弁当見たり、あまつさえ不審者では?と勘ぐられたりする。全然かっこよくない。
    読んでいて思ったのは、幸夫くんは、夏子さんといるうちに、「津村啓」である自分を捨てられなくなったんじゃないかなあ、ということ。
    それはたぶん、夏子さんが津村啓の小説の批評をしたりしたところに所以していそうなんだけど。
    夏子さんにとっては終始して彼は「幸夫くん」だったんだけど、「津村啓」にとっては、夏子さんは「批評家」に見えていたのかも、とか。
    そしてそれが二人の破滅的なすれ違いを生んだとしたら、やるせない。
    まあ単に幸夫くんがクズで、調子に乗っちゃった、ということでも全然いいんだけど。うん。


    しかしこの繊細な心の動きをどう映画化するんだ。
    西川さんだからできるに決まっているけど。
    ぼろぼろ泣いて、生きてる誰かを大切にしよう、という月並みなしかし前向きな感想をもてるこの作品、おすすめです!

  • 「つくづく思うよ。他者の無いところに人生なんて存在しないんだって。人生は、他者だ。」P.331

    ジョニー・デップに似てると評判で、
    テレビでも人気の作家・衣笠幸夫が、
    妻との別れを経験し、
    同じく母を失った大宮家の旦那や子供二人と交流する物語。

    おもしろい。
    グイグイ読める。
    夫婦関係が冷え切った所から始まる物語は、
    衣笠幸夫の、決して表に出せないような感情がグツグツしてるとこから始まり、
    再生に辿り着くのか否か。

    一人称語りの文章で進むけれど、
    章によって語り手が異なり、
    一つの出来事が色んな視点で展開していくのが面白い。

    すれ違い、ぶつかりあう感情、人間関係がどこに辿り着くのか、ハラハラ読んだ。

    文章のリズムがとても良くて、
    言葉として発されて違和感のない文章、という気がする。
    こういう文章は朗読すると楽しい。
    その点で、どことなく太宰治の香りがする。

    「踏み外したことのある人間にしか、言えないことばもあるでしょう。そういうことばにしか引き止められないところに立ってるやつも居るんです。」P.288

    チラッと登場してその後出てこない人がとても良いこと言ってた。
    芸術って、そういうものな気がする。

  • 衣笠幸夫という人間が好き。

  • 冒頭でセックスの話しちゃう系小説だったわーミスったーと思ったけど読み続けたらめちゃくちゃよかった。最後ずっと泣いてた。

  • 評価は5にしたけど正直評価ということをしたくないと思う作品。いい意味で。
    唐突に読みたくなり電子で購入。
    いつもなら借りている本やら積読本を優先してなかなか読まないのに、すぐに読んでしまった。
    すぐに読みたかった。
    今確認する必要があるような気がした。


    人が死んで泣く。
    それはとても自然な事のように思う。
    いなくなる、もう会えない、話せない、苦しい、どうして、そんな感情がごちゃ混ぜになって、泣く。
    私は、どうだろうか。

    幸夫はずっと妻が死んだその時からその後も泣けず、生活も行動も褒められたものではなく、「妻が死んだ夫」としての態度じゃないなとわかっていながら卑屈な態度を取り続ける。
    まさに自己愛に満ちた厭世観の強いタイプ。

    その行為は妻がいた時から、そばにいない時、幸夫の頭の中には常にあったのだろうか、それはわからないけれど。
    幸夫は事あるごとに、夏子の声を聞いている。
    それが本当の夏子が言うような事なのか、自身の声を投影しただけの夏子の声なのかは別として。
    彼女がいなくなった後も、幸夫は何かと夏子の声を聞く。
    陽一がゆきに語りかけるのとは別に。
    それはおそらく語りかける間も無く、差し込まれる無意識に等しいのだろう。
    そう思うと幸夫は彼女がいなくなった後でも、まだ彼女の存在に掌握されていたのかと思う。
    最後に幸夫がようやく夏子へ疑問を投げかけても彼女の声は聞こえず、幸夫は誰のためでもなく静かに涙する。
    ある意味での解放であり、ここからが彼にとってもしかしたら苦しいところなのかもしれないなとも思った。

    死は自覚しないと感情が凝り固まっているのか、なんの感慨も湧かない。
    感情がついていかない。
    泣けないのは、妻への愛情がもうなかったからなのか。
    妻が死んで泣けなかったんだと泣く、それが酷くわかってしまって苦しい。

    なんとなく、最初の幸夫の脈絡のない学生時代の女のセックスの最後まで行けない話と、衣笠幸夫という名前に対するコンプレックスの共通点は対象から逃げているという事で。
    同じように夏子のことから大宮一家から逃げ続けてるのだろうなと思った。
    大宮一家も、向き合えているようでて向き合えていない。
    彼は自分の土台を安定させてくれるような、存在意義を見出したい。
    だから、子どもにですら、そこから自分の存在意義を見出そうとする。
    紙一重。
    それに対する永い言い訳。なのかなぁ。




    映画は観ていないけど、原作から読んで良かったと思う。
    正直頭の中では個人的にキャストを配役して読んでいたために原作を読みつつ既に1本の映画を観た気分でいる。

    言い訳の無い人生なんてない。

  • 久しぶりに読んでて止まらなくなってしまった。ずっと余韻が残ります。

  • パールバックの大地を読んでると中に、偶然手に入ったので、本当は大地を読み続けたいと思いながら、読み始めた。偶然にどちらの話も妻のことを愛さなくなって、妻を看取った後からなき妻の気持ちをおもんばかる展開が重なり、旧くて新しいテーマなのかなと感じた。永い言い訳の解説にあるように、すでに取り返し用もなく関係の損なわれている夫婦と、幸せな四人家族、その二組からそれぞれ妻=母が失われるところから物語は始まっている。主人公の幸夫の心うちが示されるため、多かれ少なかれ、同様の心根があれば、身につまされる話となる。逆に純真な陽一のような人が読むと、主人公のような人間がいるのかと驚くようなそんなお話し。読後感は良いが、これから自分がどんな人生を送るかは読者次第であり、突きつけられたものは重たい。

著者プロフィール

1974年広島県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。在学中から映画製作の現場に入り、是枝裕和監督などの作品にスタッフとして参加。2002年脚本・監督デビュー作『蛇イチゴ』で数々の賞を受賞し、2006年『ゆれる』で毎日映画コンクール日本映画大賞など様々の国内映画賞を受賞。2009年公開の長編第三作『ディア・ドクター』が日本アカデミー賞最優秀脚本賞、芸術選奨新人賞に選ばれ、国内外で絶賛される。2015年には小説『永い言い訳』で第28回山本周五郎賞候補、第153回直木賞候補。2016年に自身により映画化。

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