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- / ISBN・EAN: 4988111292698
感想・レビュー・書評
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傑作。1962年作品。
既に座頭市の腕は知れ渡っていて、食客として賭場に入り、そして去ってゆくという形は出来上がっている。全ての渡世者作品(女に惚れられて振って去ってゆくことも)の形を踏襲しながらも、隅々まで神経の行き渡った「心理戦」が素晴らしい。座頭市が盲目なので、一段とピリピリとした画面になっている。なかなか見せなくてやっと披露する最初の居合抜きは、正に目にも止まらない。どう撮影したのだろう。そしてロケかセットかわからないけれども、リアルな美術も素晴らしい。当時の時代劇スタッフの底力が判る映像。
おたねが突然座頭市に告白するのは、現代にリライトするのならばもう少し説明が必要だけど、元はヤクザの兄貴の女だったのだからあり得ると見なければならない。一切濡れ場はないが、月夜の帰り道で座頭市に顔を触らせて微かに唇に触れさせるのは、かなりの熟練した女と見なくてはならない。実際かなりエロい場面である。それを清純派とも言えないけれどもそそとした美人の万里昌代にやらせる監督の強かさ(おたねは続編・4作目でも続投する‥‥万里昌代は68年を最後に銀幕から引退している)。ヤクザの出入りで、庶民が迷惑を被る、どちらのヤクザも、食客を利用する事しか考えていないなど、ヤクザに対する見方が厳しい、むしろコレがテーマだとも思える。「めくら」という単語が30-40回は出てくる脚本で、もはやテレビでは決して放映できないが、もっと知られるべき傑作である。
(解説)
勝新太郎が盲目のヤクザを演じて大ヒットし、合計26作品が製作された「座頭市」シリーズの記念すべき第一弾。原作は子母沢寛の随筆集『ふところ手帖』に収録された短編『座頭市物語』で、これを犬塚稔が脚色し三隅研次が監督した。勝新太郎と天知茂の名演技、伊福部昭の音楽など、見どころが満載。
(ストーリー)
貸元の助五郎は居合抜きの腕前を見込み、坊主で盲目の座頭市を食客として迎え入れた。市は結核に冒された平手造酒という浪人と知り合うが、彼は助五郎のライバル笹川親分の食客となってしまう。二人は酒を酌み交わしながら、ヤクザの喧嘩で斬り合うのはごめんだなどと話した。助五郎たちと笹川一家の緊張が高まる中、造酒が血を吐いて倒れてしまう。
2021年9月14日
TOHOシネマズ岡南午前10時の映画祭
★★★★★
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元々時代劇はあまり観てこなかったのですが、昨年『必殺仕置人』『新座頭市』『鬼平犯科帳(89年版)』など名作の再放送を観てからすっかり虜になっています。テレビ版の『新座頭市』はゲストがすごく豪華なのと、ほとんどアート映画なところが魅力。というわけで原点の映画版。実はかなり前から映画版を観たかったのだけど、テレビ版の方を先に観てハマってしまった。
記念すべき第1作目が1962年の『座頭市物語』。この時点で市っつぁんのキャラクターはほぼ完成されていて、テレビ版とあまり変わらないことに驚く。違いは勝新が若くて痩せているところぐらい。私はこれより古いものだと4年前(1958年)の『忠臣蔵』を観てるぐらいだけど、それより少しぽっちゃりしている。
1作目なので作中でキャラ紹介が必要、これも当然のちのシリーズとは異なる点。市っつぁんは居合の達人だけど盲人。やくざたちは用心棒として市の腕を頼りにするが、めくらとして内心では小馬鹿にしている。今風に言うとアンコンシャスバイアスで、差別意識、偏見を炙り出していく……ここのくだりがものすごく良い!社会的弱者が「反社会的勢力の社会」では強者になるという、立場の逆転。
ストーリーは実在のやくざの抗争をモデルにしている。抗争相手の方の用心棒、平手造酒(天知茂)も実在の人物だそう。ふたつの勢力が争う構図は『用心棒』と同じ、市と平手造酒の友情。のちの『座頭市と用心棒』の形は1作目からそうだったのかと。
1960年代初頭の時代劇、『用心棒』『椿三十郎』『十三人の刺客』などは「新しい時代劇」だったんじゃないかなと勝手に思っていて、『座頭市物語』もそうだと思う。時代劇で斬殺音がついたのは1961年の『用心棒』からだけど、この『座頭市物語』ではまだ音がない。
音楽は伊福部昭で、モスラの『聖なる泉』だったかになんとなく似ているフレーズがある。伊福部さんの曲はそういうことが多くて、『炎の城』にまんまゴジラが流用されてたり、『十三人の刺客』はラドンに似てたりして面白いです。
他にいつも思うのが、大映作品のセットや建物(本物?)や風景のよさ。リアルで格調高い。『羅生門』『雨月物語』『炎上』『眠狂四郎』『大魔神』『妖怪大戦争』などなど。たぶん、大映って元々日活だからなのでは……と思ってます。『鴛鴦歌合戦』『丹下左膳余話 百万両の壺』などと、撮影所の名前が変わっただけで同じところ。
というわけで1作目は最高でした。しかし、ラストの展開に驚きました。まさかそうなるとは……私が絶賛している藤子F先生の『凶銃ムラマサ』にも通じるものがある。裏街道をゆく市っつぁんの旅はまだまだ始まったばかり。 -
三隅研次監督、1962年、日本。
「座頭市」シリーズの第一作であり、勝新さんの出世作のひとつでもある。
大上段に構えているわけではないのに、往年の役者の凄みを感じさせる映画である。啖呵のキレ、迫力は言わずもがな、そこはかとないユーモアとか色っぽさも感じる。
さいころの手口、平手酒造との微妙な友情、親分との関係の変遷など、ストーリーそのものやエピソードの筋もしっかりしていて飛躍や破綻がない。座頭市の居合いも、全編でスパっとカッコいいのではなく、目が見えないことのリアリティがある。
長くはないのに、昔の映画の奥深さを存分に堪能できる名作である。 -
男ふたりが友情を交わしながらも、戦いの運命に巻き込まれて悲劇的な結末を迎える。
情緒的で味わい深いシークエンスが多く、それだけに運命の残酷さが悲しい。「昔の日本映画は面白かった」という説の立証にやくだつ名作である。 -
期待を裏切らぬ面白さ。なにより時代考証の徹底とその一端の言葉づかいがいい。抑揚や語尾が、ああ日本人はこう話していたんだろうなと思わせる。
そして全体的にトーンが低く進む。だからこそ殺陣が引き立つ。
追手に対して「おれも手向かうぜ」とつぶやく勝新のかっこよさ。
柳永二郎の生臭さ満点の演技。白黒なのに瑞々しさが伝わる万里昌代。
BGMを極力抑えて、自然の音を重んじる。
まず、こうした映画の基本要素が、テーマ以前に心をつかんで離さない。
ただ、評価の高い座頭市のライバル・天地茂は現代的すぎるように思えるが。
展開も無駄がない。例えば市とお種の会話では、ロマンスからやくざ稼業への思いが自然に展開される。実にきびきびとしている。
そして、座頭市が決して傑出した人物でないところもいい。金が好きで、ある種身勝手な論理を持つ。正義という言葉からはほど遠い。やくざ稼業を虚しく思いつつ、結局そこでしか生きられない侠の悲しみが、平手という友に共振していく。もっとも平手の虚しさは死を前にしたものだと思うが。
面白かった。しばらく時代劇を掘っていこうと思う。 -
盲目の座頭市は居合いの腕を見込まれて食客となった。釣りで知り合った胸を病む浪人と心を通わすが、彼は敵対するヤクザ者の食客だった。互いを認め合うものが、望むと望まざるとをかかわらず刃を交わす運命へと巻き込まれていく。。。
勝新演じる市の盲目ゆえの動きが作品のアクセント。最後の決闘の前の乱戦はまさしく乱戦。互いを知る者の果し合いはまるで友情の交歓のよう。そしてずっと善悪の境目を自由に行き来していた市が、悪に三下り半を突き付け、でも普通の幸せからは背を向けて去るラストは友を切らねばならなかった漢の後悔ゆえか。 -
TVにて
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映画館のリバイバル上映で観ました。
今も色褪せない最高の映画でした。