○引用
たとえ物をあげても、もらった側が感謝するとは限らない。もし、相手の感謝を報酬のように感じていれば、感謝されなかっただけでくじけてしまう恐れがあるだろう。だが、その人のためではなく、神のためだと思っていれば、相手の態度によってくじけることはなくなる。天職を持つ人は、たとえ絶えず称賛されていなくても、十分な報酬がなかったとしても、それでつまづくことはない。仕事をしても、毎月、毎年、決まった報酬があるわけではない。天職に取り組む人は、仕事によって得られるもののために働いているわけではなく、仕事が本質的に「良いこと」だから取り組んでいる
中庸な人は、まさにマックス・ウェーバーの言う「燃える情熱と冷静な判断力の二つを一つの魂の中で結びつけること」を望む
偉大な指導者となる人間の社交は普通の人とは違っている。そこにはどうしても悲しみが伴うことになるだろう。崇高な目的のために人生を捧げる覚悟をした人は、その過程で人間関係を犠牲にしなくてはならないことが多いからだ。愚かで無軌道な振る舞いをしてまで個人の幸せを求めることは彼らにはできない。
一人で己を知るための戦いをしても、その成果は外の世界ではなく、自分の中の世界に現れるので、世俗的な成功とは直接には関係がない。他の人々が、大勢の他人から称賛を求めたのに対し、モンテーニュが求めたのは、自分自身が尊敬できる自分だった。
人は富と名声だけでなく、内面的な幸福に向かって生きるべきであると説く。~中略~自分がどのような役割をもって生まれてきたのか、それを考え、与えられた役割を全うすることこそが、真の幸福につながる