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- / ISBN・EAN: 1092100047305
感想・レビュー・書評
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詩集ではない。短章集である。岩波文庫の詩集の解説者白根直子氏によれば、エッセイと詩の中間で、ここから詩に変化したモチーフがたくさんあるのだそうだ。1930年、最初に詩集を編んだときから、こういうものを書いていたようだ。
形態としては、井上靖の散文詩と似通っているが、井上のそれはそれで完成していて動くことはない。けれども、永瀬清子のそれはどんどん変わってゆく。白根直子によれば、詩、それ自体ものちのち何度も何度も書き直すのだそうだ。何と自由な書き方!
現在、県立図書館では永瀬清子コーナーが設けられていて、パラパラとめくった時に「賢治思慕」という「一章」があったので、大々的に賢治について書いたのだと思って借り受けてきたのである。そしたら5頁しか書いてなくて、ガッカリ。でも「小さなものの努力、小さなものに与えられる小さい冠、それをも彼は書きとめてくれた。「ゴーシュは私だ」それは彼が云う言葉であり、又同時に私自身が云う言葉なのだ。」と詩ってくれた。満足する。
実に多くの短章がある。例えばこんなのが、好みだ。
「古い同人誌」
短い上京の間に四十年前に私達が書いていた同人誌を或る人が持ってきてくれた。四十年がまたたく間に過ぎたのだ。
同人たちのうえにそれぞれの風雪が天くだった。
彼が筆を折ったのはあまりにすぐれて批判しうる智の人だから。
私が書きやまないのは、かきむしる事がありつづける愚の人だから。私には「愚」も一つの資格であり、世の中で「貧」が一つの財産であるのと同じ事だから。
自らを愚といい、貧といい、そのことを大肯定する。いいな。
本書のAmazon登録は「英語版」になっているが、本書は日本語でしか書かれていない。日本語版が無かったので、こちらで登録した。悪しからず。
先日の詩集を読んだ際、後半は詩というより随筆?(こういうのを短章というのかな)っぽくて、文...
先日の詩集を読んだ際、後半は詩というより随筆?(こういうのを短章というのかな)っぽくて、文章も出版されていたりするのかな…なんて想像していたのです。
このシリーズは、最終的に第4集まで出しているので、永瀬清子「だけの」詩の作り方だったんでしょうね。
全て現在では絶版で...
このシリーズは、最終的に第4集まで出しているので、永瀬清子「だけの」詩の作り方だったんでしょうね。
全て現在では絶版ですが、岡山県立図書館は流石にぜんぶ所属しているみたいです。