解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯 (河出文庫) [Kindle]

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  •  ジョン・ハンターは現代外科医療に貢献した偉大な人。当時迷信めいた治療法が主流だったころ、外科に科学的手法を取り入れた。小説「ジキル博士とハイド氏」「ドリトル先生」のモデルになった人物。クジラの観察についての論文がきっかけとなり、メルヴィルの小説「白鯨」が誕生した。ワクチンを開発したエドワード・ジェンナーの師匠(ジェンナーは弟子1号)。人物像は手塚治虫の「ブラックジャック」にも似ているなと思った。

     実験と観察を主軸とした医療を実践した人。動物実験や死体の解剖などを行い、数々の外科的知見を発見していった。興味は常に解剖で、標本集めに人生をささげていた。解剖学のために死体集めをビジネスとしており、死体泥棒の裏稼業と深くつながっていた。お金には無頓着で標本集めのために大金をつぎ込み、めずらしい動物は我先にと買い取った。また、治療の際はお金持ちからお金をふんだくり、貧乏人からは受け取らず、順番も優先していた。(珍しい病気の観察や、新しい治療法の実験台になってもらうためにやっていたという見方もある)

     驚くべきことに、ダーウィンの進化論より先に、その考えに到達していたこと。ハンターはたくさんの動物を解剖している内に、ある傾向に気づく。「全て動物は似ている部分と異なる部分で構成されている。生物はもとの姿から変化しているのではないか?」。そこから動物は世代を超えて変化(進化)しているという結論にたどり着いた。しかし、当時の宗教的な価値観から誰も注目せず埋もれてしまった。後にダーウィンが注目され時の人となったのは不遇な話し。

    感想・気づき
     いつの時代も一握りの天才と呼ばれる人が、革新的な方法で時代を切り開いていくと思った。そういう人は世間の常識から外れていると見られがちで理解されない。保守的な考えから逸脱し、常に自分の信じた道を突き進む人が、次の時代をつくっていく。後の世からは「偉大な天才」として名を刻むことができる。既得権益を打ち破り破壊的イノベーションを起こすことがいつの時代も大事なんだなと思う。

     動物実験は動物に苦痛を与えているから反対という意見を聞くことがある。もともとその意見に反対だったが、本書を読んでうまく説明できるようになった。
     当時は生きた動物を解剖して体の機能を調べるしか方法がなかった。たくさんの動物実験が行われ、中には解剖医の娯楽で行われているものもあった。当時もこれに対する批判はあった。しかし、動物実験によって人間を解剖することなく体の機能を解明した功績もある。ハンターの功績も動物を解剖して得られた知見なくしては存在しない。動物実験しないなら、人間で実験するか、または「病気は運命だ」と思って苦痛や死を受け入れるかのどちらかしかない。
     自分は「動物の犠牲の上に治療法ができている」という認識を持ち、治療を受けたいと思う。単に「かわいそうだから反対」は考えが浅すぎる気がする。もちろんテクノロジーの発展によって動物実験の頻度は減らせると思う。しかし生物の構造がとても複雑な以上、無くなることは当分ないと思う。

  • ジョン・ハンターは、1728年にイギリスの田舎町に生まれた。
    10人兄弟の末子で、村の学校を13歳で中退し、家の農場の手伝いや大工をやり、20歳の時、兄のウィリアムを頼って、喧騒と混乱に満ちたイギリスの首都ロンドンにハンターは出てくる。

    兄のウィリアムは、すでに医学の道で身を立てており、研究目的の遺体を十分に調達できるよう法整備されていたライデン(レンブラントの生地)やパリで教育を受け、ロンドンで解剖教室を開こうとしていた。

    兄の元に落ち着いたハンターは、兄が驚くほどの器用さをもち、好奇心探究心旺盛の誰よりも解剖学者の素養がある青年だった。
    兄の教室の講義に使う標本を準備し、メスをふるい、標本を作り、兄の講義に耳を傾け、夜は死体の調達に精を出す。
    そういう毎日を送りながらどんどんジョン・ハンターは解剖の世界にのめりこんでいく。

    並外れた情熱と科学的好奇心によって、人間のみならず、動物までも彼のメスによって切り開かれ、縫い合わされ、埋め込まれ、取り出され、標本にされた。

    ロンドンに来てからのジョン・ハンターの人生の慌しさは、本書にぎっしり描かれた逸話で証明される。

    本書は、ジョン・ハンターの医者としての仕事のみならず、彼を解剖台にのせて開いてしまったような、人柄から人間関係、当時の都市状景までも余すところなく描き出している。

    ジョン・ハンターは、『ドルトル先生』のモデルともいわれ、自宅は『ジギル博士とハイド氏』の家のモデルとなった。

    愛弟子には天然痘のワクチンを実用化したジェンナーらがおり、ダーウィンにも少なからず影響を与えたといわれているジョン・ハンターは、狭心症の発作を繰り返しこの世を去った。
    どんなに先をいっていたジョン・ハンターでも、冠状動脈の狭窄を治療することはできなかったようだ。

    2005年にロンドンに王立外科医師会のハンテリアン博物館が修復を終えてリニュアルオープンした。
    ここで本書にも登場する貴重なジョン・ハンターの標本コレクションに会えるらしい。

  • 変態?解剖医として名高いジョン・ハンターの伝記。18世紀当時はまだ医学も今と比べたら全然原始的で、そもそも解剖がしっかりとされてないため解剖学的知識が乏しいまま医者は存在していたのだ

  • 外科を科学のレベルにまで引き上げた医師の話。導入部はややおどろおどろしい人物像で描かれるものの、ハンターが生涯をかけていかに人体や病気に真摯に向き合ったかが語られていく。

    確かにちょっと病的な執着さがあるけれど、ジョン・ハンターがいなかったらもう少し科学的な外科の出現は遅かったのかもしれない。

    原題はThe knife man。邦題が俗っぽくてもったいないし、表紙がグロ過ぎる。これがなければもっと読まれていたんじゃないだろうか。

  • 18世紀のイギリスはまだ医学が発展しておらずガレノスの四体液説という、血は全身を巡っておらず悪い血が臓器に溜まる事でその臓器が病気になると考えられていた。
    なので医者は悪い血が流れている臓器をメスで切りる瀉血治療を施していた。
    でも体の血を半分抜く瀉血をすると死ぬ、つまり医者にかかると死ぬというのが民間人でも経験で気づき始めた時代だった。
    なので、インチキ薬売りによる薬産業が発展した。
    ドニゼッティの愛の妙薬の舞台、18世紀末もまさに薬産業の時代。ドゥルカマーラの様な口の達者な人が、町を渡り歩き、音楽などで人々を集めて、あのドゥルカマーラのアリアの様な”この薬はこんな病気に効く、これもそれもあれも何でもござれ”と貧しい人々を餌食にして売り歩いた。
    勿論まだ薬学も発展していないので薬の効果もなく、毒薬を処方して死んでしまう客が大勢出た。だから、さっさと町を去るのが定石だった。
    愛の妙薬の”Addio”は、Arrivederciと違い、もう二度と会わないであろう人に使う別れの言葉だが、町民としては”こんなに良い薬をこんなに小さな町にまで来て売ってくれてありがとう。”の意味だが、ドゥルカマーラとして、”薬を飲んだら本当に天に召されるかもしれないからもう二度と会えないかもね(←この意味もあるとは音大では習わなかった初知識)”尚且つ、”次に来た時にはもうインチキ薬売りだと知れてるからもう二度と来ないよ”というトリプルミーニングのaddioになっている。(今までダブルミーニングだと思っていた)


    余談。前に話したかもしれないけれど、当時の外科医療は、床屋さんが兼任でやっていた。血を扱うのは下賤な仕事なので、髭剃りなどで刃物を扱い慣れている床屋さんが瀉血をしていた。まさにセビリアの理髪師もそう。今の床屋さんのクルクル回るポールがあの3色なのは、赤は”血”、青は”静脈”、白は”包帯”と言う瀉血の名残り。
    時代が進むと床屋が権力を持つ様になり、ジョン・ハンターという解剖医の影響で医学が飛躍的に進歩し、床屋は床屋、外科医は外科医へと分岐していく。


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著者プロフィール

イギリスのジャーナリスト。「ガーディアン」「オブザーバー」などの全国紙や一流雑誌に寄稿、記事のいくつかで受賞している。1999年に英国薬剤師協会で医学史の学位を取得、「マカベア・ベスト論文賞」を受賞。

「2013年 『解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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