資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界 [Kindle]

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  • ChatGPTのニュースより、いま超重要な話が詰まった一冊。全人類の必読書にしたい。
    資本主義とは何か?その途方も無い難題に、挑み続けた一人の経済学者がいた。天才的な数学力を駆使して、アメリカ経済学のど真ん中で、ノーベル経済学賞にもっとも近い男と称されながら、突然と日本に舞い戻り、公害問題などに取り組んだ男・宇沢弘文。
    第一線の経済学者ですら、宇沢弘文の思想の全体像を把握するのは困難という中、彼の一生を、その思想と闘いを、希望と絶望を、ジャーナリスト佐々木実氏がまとめさげた一品。

    あとがきで、宇沢先生が佐々木さんに送った言葉が披露されている。
    「ジャーナリズムや出版界も、じつは社会的共通資本なんだよ」。
    この言葉には、業界業種とわず、人間として全身全霊で挑んだ仕事には、社会的共通資本たりえる価値が宿る可能性があるのではないか?という希望を感じる。

  • 宇沢弘文って名前は知っていたが、ノーベル賞に一番近かった経済学者というのと左翼活動が結びつかなかったが、ようやく分かった。

  • 読書方法:フライヤー

    読後感:納得!

    宇沢さんは「社会的共通資本」を提示した人物。
    「社会的共通資本」は、個々の経済主体によって私的な観点から管理、運営されるものではなく、社会全体に共通の資産として、社会的に管理、運営されるべきものを意味する。
    すべての資本の扱いを市場に任せる「市場原理主義」に相反するものであり、宇沢さんは主流派経済学と戦っていく

    宇沢さんはもともと数学の天才
    社会に興味があったので経済学へ
    そこで、数学をつかった経済学 数理経済学に出会う。


    くしくも、SDGsの注目により宇沢さんの理論が見直され始めている。

    戦後日本の経済成長は、経済活動にともなって発生する社会的費用を低所得層に大きく負担させていた。
    →社会的費用とは、市場経済において生じたネガティブなインパクトについて、生産者や使用者といった当事者ではなく、社会全体あるいは第三者が負担させられる費用を意味

    宇沢さんの考えは、例えば、歩行者が安全に歩くための権利を実現するためには
    環境整備が必要で自動車1台で年間200万の税が必要だが、
    現在はそれがなく、弱者である歩行者に転嫁されている。

    私有資本の市場経済を認めながら、市場原理を及ぼすべきでない領域を社会的共通資本として分析をした。

    社会的共通資本のカテゴリーは3つある。

    1つ目は、大気、河川、海洋、森林などの「自然資本」。
    2つ目は、道路、公共交通機関、上下水道、電力などのソーシャル・インフラストラクチャー、つまり「社会資本」。
    3つ目は、学校教育、医療、金融、司法、行政などの「制度資本」。

    発展途上国がわりを食わないような、炭素税の仕組み
    宇沢さんの考えは、時間軸も広い。
    →将来世代への負担を公平に分担するという思想


    大きな話でなくても、
    例えば会社内で制度を考えるとき、
    弱者や議論に参加できない人(表面的な役職とかではなく、実質的に弱立場にある人)が割を食わないような
    仕組みを考えるべきだと感じた。

  • スティグリッツをして「ヒロの思想は30年後にわかる」と言わしめた経済学者の生涯。2019年マイベスト。

    「それにしても、宇沢はずいぶん謎めいた人物にみえた。 70 歳代半ばになっても長年ジョギングで鍛えた頑健な体軀にめぐまれ、180センチという実寸より背丈は大きくみえた。胸までのびた白くて長いあご髭が聖者の風貌をかもしていたものの、無類の酒好きで健啖家、なによりおどろいたのは観察眼のたしかさだ。  独特の語り口で、名の知れた経済学者の生態を文化人類学者か精神分析家のように描き出してみせる。解剖のメスはアメリカや日本の経済学者集団にも執刀され、ビールをのみながら、焼酎やワインをかたむけながらの縦横無尽の放談はそのまま学派の栄枯盛衰物語になったり理論の形成史になったりした。  それは経済学が醸成される現場を知る者の目撃証言だった。いや、宇沢自身が経済学の最前線で理論づくりに貢献してきた当事者だった。彼こそが、世界の名だたる理論家たちの共同体、いわば経済学の「奥の院」にいた唯一の日本人だったのである。」(Location: 100)

    「資本主義を探究しつづけた男は、いまだ帰ってきていない。宇沢弘文は遭難したのではないか。それが本書を執筆する際の、私の仮説だった。彼の思索の全貌はいまだあきらかにされてはいないのだ。資本主義と闘いつづけた男の軌跡をたどれば、そこには明瞭な思想が浮かびあがるだろう。そんな思いを抱きつつ、私は捜索の旅にでることにした。」(Location: 168)

    「アメリカの経済学界に宇沢が確乎たる地位を確立したのは、英国の経済学術誌『レヴュー・オブ・エコノミック・スタディーズ』に「On a two-sector model of economic growth(経済成長の2部門モデルについて)」(1961年 10 月号) を発表したときである。厳密にいえば、発表前のディスカッションペーパーの段階ですでに学界の注目を集めていた。 「Uzawa's 2 sector model(宇沢2部門モデル)」と呼ばれるようになった分析モデルは多くの経済学者に影響を与え、大学院生や若い研究者たちはこぞって宇沢2部門モデルを用いて論文を書いた。」(Location: 2,315)

    「最適成長の研究は、中央集権型の計画経済ではなく、市場経済制度を前提にして、「社会的な観点(from The Social Point of View)」から、もっとも望ましいとおもわれる資本蓄積の過程を考察する試みである。市場機構あるいは資本主義システムのもとで、あるべき社会の姿を考えてみようということである。  宇沢は発展途上国の経済発展に資することを念頭に、最適成長理論の構築に取り組んでいた。」(Location: 3,924)

    「ジョージ・アカロフにインタビューした際、宇沢の偉大な業績として称賛したのがやはり投資理論だった。「経済学の大きな課題、アルフレッド・マーシャル以来の難問にはじめて解答を与えたのがヒロだったんですよ」と興奮気味に話していたのが印象的だった。「企業の利潤と投資の関係をはじめて理論的に解明した」とアカロフは解説したが、宇沢は企業能力指標が企業の利潤によって計測できるとして理論化したので、投資と利潤がどのような関係にあるのかがはじめて理論的に示されたのである。 」(Location: 4,603)

    「宇沢が日本に帰る決意を伝えると、アローやソローはじめ周囲の経済学者たちはみな驚愕した。ポール・サミュエルソンは「国際的名声の頂点にあるときに、シカゴ大学の地位を放棄した」と評したという。イギリス滞在時に日本に帰国することを伝えたジェームズ・ミードは、ケンブリッジ大学に拠点を移すよう、宇沢に執拗に説いた。意志が固いとわかると、「地獄に行くようなものだよ」といってあきれた。理論経済学者の国際的なネットワークの実態からいうと、日本は僻地である。」(Location: 4,679)

    「4年ほどのあいだ東京大学とシカゴ大学を行き来するような生活を送るのだが、帰国した当初、シカゴ大学では東京での宇沢の処遇が話題となっていた。東大経済学部に「助教授」(現在の准教授に相当) として迎えられたからである。  ミルトン・フリードマンは宇沢から事情を聞くと、「これはスキャンダルだよ」と憤ったという。アメリカ経済学界で活躍するシカゴ大学教授が助教授に降格して東大に赴任したのだから、欧米のアカデミズムの常識ではありえない人事である。フリードマンもシカゴ大学の沽券に関わるとおもったのだろう。」(Location: 4,711)

    「宇沢がアメリカに旅立ったのは昭和 31 年(1956年) の夏だった。東京大学着任は昭和 43 年(1968年) の春なので、敗戦直後の焼け野原を知る宇沢は、まるで「発展途上国」状態だった日本が高度経済成長によって「先進国」に仲間入りするまでの激変ぶりを体験していない。帰国した際、記憶のなかの東京とは似ても似つかない街の変わりように驚いたのも無理はなかった。」(Location: 4,776)

    「46 歳を迎える年に出版した『自動車の社会的費用』は、さまざまな意味で、宇沢の変貌ぶりを象徴する著作となった。「自動車政策は間違っている」(『エコノミスト』1970年9月8日号) で自動車の問題はすでに論じていたし、近代経済学に対する批判的な態度は「混迷する近代経済学の課題」(『日本経済新聞』1971年1月4日付) であきらかにしていた。「自動車」を素材に、日本に帰国してから取り組んでいた問題を総合的に展開したのが『自動車の社会的費用』である。」(Location: 5,248)

    「社会的共通資本を定義する際、宇沢はサミュエルソンの公共財とは対照的な特質をもたせた。ひとつは、社会的共通資本ないしはそこから生み出されるサービスは、所有したり使用したりする側に選択の余地がある。さらに、社会的共通資本が提供するサービスは「混雑現象」が起きるのが一般的である。たとえば、大気という社会的共通資本の使用に際して、混雑現象が起きた結果が大気汚染である。  社会的共通資本は、サミュエルソンの公共財を修正した程度の概念ではない。新古典派経済学が描く資本主義像を否定してしまうほどの根本的な発想の転換だ。にもかかわらず、社会的共通資本を数学的に定式化する際、宇沢は新古典派経済学の分析手法を用い、新古典派経済学の理論体系に受け入れられるような定式化を試みた。いわば、新古典派経済学の手法を駆使しながら、新古典派経済学が描く資本主義像を書き換えようとしたのである。」(Location: 5,608)

    「アメリカでの取材ではアローのほかに、ロバート・ソロー、ジョージ・アカロフ、ジョセフ・スティグリッツと会った。宇沢ときわめて親しかったこの4人は、みなノーベル経済学賞を受賞している。取材先を選ぶ過程で気づかざるを得なかったのだが、この4人だけでなく、親しかった友人、同僚の多くがノーベル経済学賞を受賞している。ポール・サミュエルソン、ジェームズ・トービン、セオドア・シュルツ、チャリング・クープマンス、ロバート・マンデル……英国のジェームズ・ミードや、親交はあったが学問上は対立したミルトン・フリードマン、ロバート・ルーカスなどをふくめると、まるで歴代受賞者を数えあげるようなものだ。  なぜ宇沢弘文だけ受賞していないのだろうか。アローはもとより、ソロー、アカロフ、スティグリッツも、「ヒロは受賞すべきだった」「ヒロが受賞に値する業績を残していることは疑いない」と異口同音に答えた。教え子のアカロフとスティグリッツには別々に取材したのに、口裏をあわせたかのように、「ヒロは受賞すべきでした」と2度繰り返して嘆いた。」(Location: 8,959)

    「恩師アローとの関係をかえりみて気づかざるをえないのは、日本には真の意味での理論経済学者、理論構築者がほとんどいないということである。アローと旧交を温めることができたものの、日本では、相変わらずひとりで走りつづけなければならなかった。宇沢は走りに走ったが、伴走者はついに現れなかった。」(Location: 8,977)

    「かつて応接間のこのテーブルで向き合い、話を聞いていた日々がよみがえり、ふと思い出した。生前の宇沢がこたえなかった、ある「質問」のことである。  宇沢が孤軍奮闘、というより孤立した状態にあることが薄々わかってきたころだった。経済理論をやるのであれば、日本に戻らず、やはり本場アメリカで活動していたほうがよかったのではなかったのですか──無遠慮にそうたずねると、しばらく考えたすえ、宇沢は結局何もいわず微笑んだだけだった。」(Location: 8,990)

  •  近年稀に見る傑作。宇沢をしっかり勉強しなければね。

  • 難しい経済用語も多く登場するので、最後まで読みのは大変。ただし、近代の経済学の流れを理解し、高度経済成長以降の日本の抱えている問題を知る上では有益な本。

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著者プロフィール

佐々木実(ささき・みのる)
1966年大阪府出身。大阪大学経済学部を卒業後、91年に日本経済新聞社に入社。東京本社経済部、名古屋支社に勤務。95年に退社し、フリーランスのジャーナリストとして活動している。2013年に出版した『市場と権力 「改革」に憑かれた経済学者の肖像』(小社刊・現在は講談社文庫)で第45回大宅壮一ノンフィクションと第12回新潮ドキュメント賞をダブル受賞。社会的共通資本の経済学を提唱した宇沢弘文に師事し、彼の生涯を描いた『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』(小社刊)で第6回城山三郎賞と第19回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞をダブル受賞した。


「2022年 『今を生きる思想 宇沢弘文 新たなる資本主義の道を求めて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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