- Amazon.co.jp ・電子書籍 (221ページ)
感想・レビュー・書評
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穂高の山稜に生きた宮田八郎さんのエッセイ。山の素晴らしさも厳しさも、さまざまに見てきた宮田さんだからこそ編み出せる言葉が、軽妙な関西弁の語り口で遺されている。
山への心構え、ひいては生への心構えについて考える機会を供してくれる、とてもいい作品でした。
以下、本書の結論ともとれる言葉を。
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山は死ぬための場ではなく最大限に生きるための場です。山は登るという行為には、感動や喜びとともに不快や苦しみがつきものです。そうした相反することが同時に、それでいて矛盾することなく存在するのが山の世界です。
当然のこととして山に登ろうとする者は、そこで命を落とすことを避けるべく全力で努めます。山で生き抜くには経験や知識、何よりも生命力ともいえる体力が必要です。そして注意深く謙虚であらねばなりません。時には運さえ味方につけなければ登れない山だってあります。山での死はその結果としてあるのではありません。死が結果だというのであれば、人は皆いずれ死んでしまうということだけです。死はその生の結果としてあるのではなく、山を登ることの一部としてそもそもそこに存在しているものです。
だからぼくは、「人は山で死んではならない」のではなく、「人は山でより生きねばならない」と記すべきであるのでしょう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
力一杯生きている人の姿に、何度か鼻の奥がツーンとした。
死にに行くようなもの、じゃなくて、よりよく生きるために山に行く。そこでただ、できることをやる。文句言いながらでも、怒鳴りながらでも。それは山で人を助けるというところに、絶対にぶれない軸があるから。そしてとても謙虚。それは生まれ持った人柄というより、山という人知の及ばないものの中で勝手に培った生き様なんだと思う。あぁ、山に登りたい。と思った。 -
フリーライターや山岳救助隊の方が書いた山岳遭難のルポはいくつか読んだことがあったが、今まで民間人で救助に携わる人が書いたものは読んだことがないことに気が付く。何が違うかというと、書き方が物凄く自由なのだ。一つひとつの救助活動に対する思いがストレートに表現されている。あちゃー(汗)とかよっしゃー(喜)とか、感じた通りの本音が。
ハチロウさんはご自分のことを、人より正義感が強いとか親切心に富むとかそういうことはないとおっしゃるが、本当に素直で、愛嬌があって、それでいて謙虚で、みんなに愛された人なのでしょう。山に登るのは自己責任ではあるけれど、救助することを迷惑だと思ったことは一度もない。救助できるのであれば救助するのが当たり前。この本を読んだら誰もがハチロウさんを好きになると思う。
遭難事故は救助者の力量や人数に合わせて起こってはくれない。レスキューの神様を失っても遭難は減らない。その時その場でできること、できないことを判断することが大事だというハチロウさん。
それにしても山と関われば関わるほど、人はどうしても死と隣り合わせになって、自然と哲学的な思考になるようだ。それは山を心から愛し、畏敬の念を持っているからだと思われる。
Kindle Unlimitedにて200523読了 -
「山で死んではいけない」と、繰り返される言葉の重みよ。
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穂高岳小屋の宮田八郎さんの半生記。山岳遭難救助の模様を綴った前半はテンポよく進む。後半は山岳遭難救助の経験、仲間・友人の死を通して辿り着いた、山での「死」について、「山で生きる」ということについて深く考えさせられた。
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久しぶりに人間味のある方と話をしたような気になった。
現代にはびこるマニュアル人間や言われたことしかやらない人間と違い、山の知識・経験・体力をもとに生きてきた一本筋が通った人間だったことが良くわかる内容だった。
完成する前に本人は亡くなってしまったが、どんな方がったのか会ってみたかった。