「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版 [Kindle]

  • 文響社
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感想・レビュー・書評

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  • ## 感想
    - 死ぬことは怖い、と漠然と思っていたが、怖いのではなく残念だという感情に変わった。これは大きな変化。
    - そして残念な理由は、死ぬことそのものではなく、やれるかもしれない良いことができなくなる(剥奪されること)からだ、という気付きも大きかった。
    - だからこそ、限られた時間を少しでも充実させて、剥奪されることを減らそう、濃い時間を過ごそう、という思いになれた(結論は同じだが心持ちが変わったというのが重要だと思う)
    - 本の中で、人生にプラスかマイナスかのポイントを付けて価値を測るくだりがあるが、この世に生を受けたこと自体が良いことと捉えて加点をする人、とそうでない人がいるという話は、なるほどと。自分は加点派だし生きてれば良いことがある(知らないことを知ることは楽しい)、という考えがある。人生に期限がない場合いつかは退屈してしまうだろうからそれは良いことなのかはわからない、という論もあったが、自分はこれは、「自分の思い通りに思考や身体が動く場合に限り人生に期限がないことは新しいことをしれプラスを積み上げることができるから、良いことだ」と捉えているということもわかった。
    - つまり自分は、物理主義・人格説を支持してて、生そのものに加点する派、だから、脳みそだけ取り出してコンピューターで生きることもありっちゃありだし、マトリックスの世界的に、身体は体験してないが思考の中では体験していることも価値がありそうだと思ったり、極力健康で長生きをして楽しいことをしていきたい・徳を積んでいきたいな、と思ったりしてるんだろう。

    ## 著者の主張
    - 死ぬことは、これから起こる良いことが受けられないために「悪いこと」である=剥奪説。基本的には100歳前後で死ぬし、それはあまりにも短すぎる(やりたいことがやれない)ので、死は残念だよね、とは思う。
    - ただ、逆にやりたいことがこの先にまったくない、または落ちぶれていくネガティブなことしか待っていない場合、それ以上生きることがポジティブでもないので、死は残念なことではなくなる可能性もある。人によって自死を選ぶことも、未来がネガティブなことしかないと100%断言できる場合においては、その選択を取りうることは理屈上は合理的だろう。
    - なお、合理的ではあっても、未来の人生に対して100%良い悪いという評価は難しいし、寿命は人によってばらつきがあっていつどうやって好転(悪転)するかどうかも予測しきれないから、道徳的には自死を認めるのは難しさもあるだろう。
    - 死は誰にも必ずやってくる確実なものであるから、恐れることはおかしい。なぜなら、恐れるには、悪いことであり・自分に来る可能性がそれなりにあり・不確定要素がある必要があるから。恐れているのではなく、悲しむ・怒る、などの感情なのかもしれない、そこの違いは重要である。
    - また死が「どういうものかわからない」から恐れる、という考えもありそうだが、身体説からすれば、死=存在がないことだから、そもそも「ない」ものに対してどういうものかとか考えること自体がおかしい。考えても全て間違ってしまう(だから考えてもしょうがない)。ちょうど、夢を見ていないで寝ているみたいなものだよ。
    - なおこれは、物理主義=死ぬと、その時点で存在しなくなる、に則っている。身体と魂は別で死んでも魂が残る=二元論という考えは支持していない。また物理主義のなかでも、人格説ではなく身体説を取っている。例えば自分の人格が完全に他人と入れ替わったとしてその自分が殺されたら嫌だと思うのであれば、人格ではなく身体に対してを自己の存在とみなしているだろうから、という考え方。
    - 必ず死ぬ・それが悪いこと、なのであれば、逆に今生きている事自体は良いことでありありがたいこと・感謝すべきこと、とも言えるだろう。
    - また相対的にポジティブさが多い状態であることが良いことであると考えた場合、死ぬことを前提にした人生の最高戦略としては、人生のなかで達成できそうなことを詰め込んで満足感を得つつ、達成できるかわからないができたらハイリターンがあることにチャレンジすること、だ。

    ## メモ
    「形而上学」・・・「実際に見たり確かめることができない事物の本質や存在を、考えや直感によって探究する学問」
    「哲学」・・・「世界・社会・事物などの根本原理を探究する学問、自分の経験によって得た人生観や考え」
    哲学のなかに、形而上学的な検討を入れることがある、というときには、実際にはわからんけど思考実験してみるとして、みたいな意味合い。

  • 「私たちは死んだらどうなるのか?」、「死が本当に一巻の終わりならば、死は現に悪いものなのだろうか」、「不死はよいものなのだろうか」、「自殺の合理性と道徳性」などについて著名な哲学者の講義をまとめた書。魅力的なタイトルなので手に取ってみた。

    いやあ、とにかく長かった。しかも、緻密で周到な論理を構築するためか、しごく当たり前の結論を導くためにこれでもかというくらい冗長、迂遠に(へ)理屈をこねくり回している。時間をかけて読んだ割には、目から鱗、というような新たな気づきは得られなかった。普段真正面から向き合うことの少ない "死" についてじっくり考えさせる本ではあったのだが…。

    著者の結論(であり信念)は、「真っ当な理由であれ十分な理由であれ、私は魂の存在を信じる理由はないと結論する」、「身体以外に何か別のものはない。非物質的な魂は存在しない」、「死んだらもう存在しなくなる」、「魂など存在しない。私たちは機械にすぎない。…機械は壊れてしまえばもうおしまいだ。」

    そして、「私には剥奪説こそが、進むべき正しい道に思える。…死が私たちにとって悪いのは、私たちが死んでさえいなければ人生がもたらしてくれただろうものを享受できないからにほかならない。」

    「本質的には、不死にまつわる問題は、退屈が避けられない点にあるらしい。」、「けっきょく最善なのは、自分が望むだけ生きられることではないかと思う。」

    「自殺は常に正当であるわけではないが、正当な場合もある。」

    などだ。

    所々、著者の論の進め方がフェアでないと感じる部分があった。思考実験とはいえ、SF小説を持ち出してきて、ロボットは感情を持ちうることを否定できない、「脳が豆のスープに変わる直前に、私の人格をそっくり取り出して、人工の代替脳に入れる」ことにより「身体と人格が分離しうることがわかる」なんてロジック、ありなのかな?

    とは言え、"不死" に関する洞察の部分は、なかなか面白かった。やはり、もう十分生きた、と実感できるまで生きて死ぬのが理想。それがどのくらいの長さなのかは人によるんだろうな。何百年か、といったところかな。それに、人間が不死だったら、世代交代しなくなるから種としての進化もなくなるし、新たな生が生まれる余地を亡くして新陳代謝しないつまらない世界になってしまうだろうな。

    "死" を意識し、死ぬまでに何をやるべきかを用意周到に考えながら生きるべきなのか、あるいは、終わりを意識することなく淡々と日々を過ごすべきなのか。自分には後者が合っているような気がする。

  • Audibleにて。
    哲学のイェール大学教授の講義をベースに書籍化したもの。
    哲学初心者の大学生に向けた講義だけあって、自分のような門外漢が耳で聞いただけでもスッと頭に入ってくるし、なにより問いの選び方が万人に興味があるものばかりで最後まで楽しめた。
    前提をうたがい、極力漏れなく論理展開していくさまを聞いていると、考察のお手本としても学びになるし、論理を聞き理解する力もつくのではないかと感じた。

  • 予約して借りてみてびっくり本の分厚さが3cm以上?
    パラパラっと中身を読んだ程度であるが、死について科学的側面と哲学的側面から考えているらしい。
    本当に興味深くならないと読み進められない本かなと思う。
    これをちゃんと読むのは不可能と考えたので他の方のレビューを読んだが、これを読んだだけで十分に感じた。

  • 哲学によって死とは何か考察してく内容。作者は魂の存在に否定的立場。本文中に書かれている(魂を信じている人達が考える)魂のイメージが、文化の違いからかしっくりこなかった。正直哲学は言葉を捏ね繰り回してるだけでまどろっこしいイメージが強く、最後まで読めるか心配したが興味深く最後まで読めた。自分には1度読んだだけでは難しいところも多く全てを理解できたとは到底思えない。近いうちにまた初めから読む予定。

  • 最近、自分の周りで他界する人が増えてきたため、死について以前よりも頻繁に考えるようになった。このテーマに関する持論がまとまりつつあって、著者のような専門家の意見も参考にしてみたい、あるいは答え合わせのようなことをしてみたくて、本書を読み進めました。
    即座に回答を得たい自分のような読者には、表現が冗長すぎて、第4講(全第9講)で投げ出してしまいました。おそらく、他人の意見を鵜呑みにするのではなく、シェリー先生の意見を聞きながら思考を深めるには良書だと思います。

    以下のような著述が多いと、読む気が削がれます。
    ’だがもちろん、 結局はその人は本当にみなさんの散髪をしてもらったわけではない。その人は自分の散髪をしてもらっただけだ。散髪とはそういうものなのだ。誰も私の代わりに私の散髪をしてもらうことはできない。私の散髪をしてもらえるのは、私だけだ。誰かが私の散髪をしてもらおうとしても、自分の散髪をしてもらう羽目になるわけだ。
    そしてもちろん、それは散髪だけに限ったことではない。腎臓の結石を取ってもらうことを考えてほしい。
    (略)あるいは、昼食をとることを考えてみよう。誰も私の代わりに…’

  • 講義なので問いかけ型なのですごく冗長に感じる。
    哲学なので、ある程度は覚悟していたが、長ったらしく感じてきつい。

    メインの問いかけは、私は死を生き延びることができるのか?

    申し訳ないが、何のために読んでいるのかわからなくなり 、3割程度過ぎたところで諦めました。

  • 飛ばし読みですが、著者が希望するのは“死”を遠ざけず、向き合って考えてほしい。そして、著者の主張を理解して賛同してほしい。というものと理解。

    はじめと終わりを読んで、自分と著者とは死に対する考え方が違ってそうだとわかった(難しそう)だったので本を閉じました。

    自分の考える死は下記です。

    ・肉体も精神も今生の縁で形成されたもので、頂き物というより預かったもの。
    ・命は授かったものでなく、預かったもの。と捉えることで、返却(死)前にしっかり堪能しよう。返すまで粗末に扱わないようにしよう。と考える。
    ・新陳代謝することで、自身の生は流転する。これも輪廻と言えなくもない。(”ゆく川の流れは“の考え方)
    ・体の細胞は毎日代謝するので、ある意味毎日死んでいる。生き続けるということと死に続けることは同時に性質している動的平衡状態にある。これは落ち続ける軌道衛星と同じで、死とは重力に捉われて落下するようなもの。
    ・死は究極の食わず嫌い。

  • 「だから私は、物理主義の立場が最も妥当に思えると結論する。実際、人はP機能を果たせるただの身体にすぎないことを私たちは受け容れるべきだ。」

    「なぜ死は悪いのか? なぜなら、死んでしまったら、存在しなくなるからだ。そして、存在しないのは悪いとなぜ言えるのかと問えば、答えは、人生における良いことの数々が味わえなくなるから、だ。もし自分が存在しなければ、生きて存在してさえいれば得られるものが得られなくなる。死が悪いのは、人生における良いことを奪うからなのだ。」

  • 死について論理的で可能な限り科学的に(なのかな?)考察しようとする感じでスピリチュアルな感じはゼロ。なのが良かった。
    人には魂があるのか、死は悪いものなのか(不死が良いのか)、自殺は悪いことなのかなどなど。
    途中ひねくりまわしたような冗長な話が続いたりもして退屈に感じるところもあったけど、死ぬということについて考えるきっかけにはなるからよかったかなと思う。
    たしかにこんな講義が学生のころにあったら受講したかったなって思いました。

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著者プロフィール

イエール大学教授。道徳哲学・規範倫理学の専門家として知られ、着任以来二十数年間開講されている「死」をテーマにしたイエール大学での講義は、常に指折りの人気コースとなっている。本書は、その講義をまとめたものであり、すでに中国、韓国をはじめ世界各国で翻訳出版され、40万部を超えるベストセラーとなっている。

「2019年 『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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