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感想・レビュー・書評
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あの「村上ファンド」の村上世彰氏による自伝。
本著が世に出たのは2017年と今から5年前ですが、その主張は今の観点から見て(コーポレートガバナンス的には)筋は通っているように思え、これはつまり、著者は昔から変わっていなくて、世の中が変わってきたってコトなのかな?と思いながら読了しました。
「『意義や必要性はわからないが、とりあえずステータスとして上場していたい。でも、自分が嫌いな相手には株を持ってほしくない』という姿勢は、上場企業として通用しない」というのは全くもってその通り。
著者側の立場で書かれた本とは言え、過去の出来事を説明するにあたって、著者なりの動機があって、それが私欲に基づくものではなく、日本の株式市場全体を憂いていたものだという説明もクリアでした。
・・・とは言え、「私の思いがまっすぐ伝わらずに悔しい思いをしたことも、悲しい思いをしたこともたくさんあった」というくだりで頭に?が浮かび、「短気な私はそんな報告を聞くたび、頭に血が上ってしまう」という文章であーっとなり、最後に会談でキレて会食をブッチして帰るくだりを読むに、なるほど頭も切れるし頭もキレてる方なのか…と思ってしまうのも事実です。
(そのイメージが大前提になってしまう感もあるので、氏のメガネをかけて、髭を生やして好々爺感を出すイメチェンは大成功だったようにも思います)
そこらへんを説明していたのは池上彰氏の解説で、村上氏を「毀誉褒貶激しい人だ。その理由は、他人に自分の考えを伝える技術が稚拙だから。要するにコミュニケーション下手なのですね。」と評しており、個人的にはこれだけの切れ者がコミュニケーションで下手を打つなんてあるんだろうかと思ってしまうんですが、まぁわからないものですね。
本著では、著者は投資家になるべくしてなった、と書いていますが、資金力とルールが背景にあったのではと思います。
企業側もルールの遵守等で一定の進歩がある中で、今後徐々に投資家側にも一定のコミュニケーション力が求められるようになる気もしており、それはスチュワードシップ・コードの名の元に行われるものよりもっと込み入ったものになると思うのです。
それでも、著者は投資家を続けていくのでしょうか。。
日本の借金問題にも触れていて、これを解決するには「資金を循環させること」以外にないと主張していたのも勉強になりました。
やはり日本の市場に大きな影響を与えた人なのだと思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
著者に対しては、「村上ファンド事件」のマスコミ報道を通じて、ふてぶてしい、揺すりたかり紛いの強欲な投資家、というくらいの悪いイメージしか持っていなかった。が、本書を読んでその印象は大きく変わった。著者がきれい事を盛って書いている可能性もあるにはあるのだが、少なくとも "信念の人" ということはひしひしと伝わってきた。
著者は、父親に小学生の頃から鍛えられた筋金入りの投資家だというから、あざとく儲けるのが得意なのだろう。ただ、「コーポレート・ガバナンス」を日本の株式会社に根づかせたい、企業の内部留保を吐き出させて株主に戻し、株主による再投資を通じて資金循環を作り出したい、という強い思いは本物だと思う。金儲けだけの人じゃなかったんだな。
"もの言う"株主としての経営陣への著者の要求は、余剰資金は内部に貯め込むのではなく、①より高い利益を求めて積極的に投資するか、②当面投資の予定がないなら投資家に還元し、さもなくば③MBOをして非上場化する(その際、株価にプレミアムをつけて株主に還元する)べき、というもので、終始一貫している。何れも株主を儲けさせろ、という要求なのだが、資金循環を通じて経済を回すことにになるから公益にもかなう、というのがミソ。
著者は、通産省から外務省に出向していた時、エジプトに日本をPRするプロジェクトにのめり込み、人手が足りないので「仕方なく自費でアルバイトを一人雇うことにした。ところが業務量が多くて勤務時間が膨大になり、私の月給がそのままアルバイトの給料になってしまう有り様だった」という。普通、自分のポケットマネーでこんなことやらないよな。思い込んだら猪突猛進、とても一途な人なんだな。
本人の才覚とは言え投資で莫大な金を儲けた著者に対して、妬ましい気持ちがわかないでもないが、著者の熱い思いが伝わってくる良書だった。
本書を読んで、株式投資とは何か、株式市場から資金調達するとはどういうことなのか、やっと分かったような気がする。
株式市場というのは、要は人々の欲望を煽って、現在のビジネスの実力(儲け)以上の金集めを可能とする、打出の小槌のような仕組みなんだな。配当を通じて得られる実利もあるものの(こちらが株式投資による本来のゲインなのだが)、将来儲かりそう(評判が立つ)→皆が株を欲しがる→株が値上がりする→値上がりする株は価値が高い→高くても買いたい→もっと値上がりする、といった値上げスパイラルが、莫大な資金を生む一種のギャンブルのようなもの。だが、抜け駆けを許さない公平なルールを作っておかないと、皆が安心して投資しなくなり、錬金術(期待値による株の高騰)が生まれないから、インサイダー取引規制だのなんだのと厳しい縛りがある。とても上手くできた仕組みだ。ただし、株主を選べず、敵対的な株主に乗っ取られるリスクを甘んじて受けなければならない、ということ。美味しいことばかりじゃないってことなんだな。
本書で分からなかったのは、株主への還元と再投資の考え方。著者は、(利益の事業への再投資を否定はしていないものの)「毎年ほぼ利益の全額を株主還元に回し、新規の事業への投資などは借入によって賄」うのがあるべき姿であり、「不要な手元資金をリリースする一方で、必要に応じて資金を銀行から借り入れれば」よく、「資金を眠らせて世の中への循環を滞らせることこそ、上場企業がもっともしてはならないこと」、「企業の無借金経営は、倒産のリスクを避けられるし、金融機関の干渉も受けないから望ましい、などという考えはとんでもない間違いだ」と書いている。だが、せっかく上げた利益を株主に還元しておいて、新たな投資は銀行から借金して行え、というのは、無駄に金利を払わされるなんじゃないのかな。確かにその方が世の中にお金が回ることにはなるんだけど。う~ん、よく分からん。 -
いま冷静になって振り返ると「あれは一体なんだったのだろう?」と思う。ライブドア事件の頃、著者の扱いは完全に「悪役」だった。
ハゲタカファンドの首領。マスコミは、犯罪者同然の扱いをしていた。しかし、著者の言い分は、きわめて真っ当。
敵対的買収など、アメリカなら当たり前の世界である。
インサイダー疑惑についても正直、著者に非があるようには思われない。
コーポレート・ガバナンスの浸透と徹底。正義は、著者にある。著者が目指した世界こそが、実は資本主義のあるべき姿だ。
日本人はいまだに敵対的買収などをしないし、物言う株主も少数だ。それはとりもなおさず、日本の投資家のレベルの低さを表している。
「おわりに」には、著者が絶望の末、シンガポールに移住してしまったことが書かれ、裏表紙には、心労によって白髪になってしまった写真が載っていた。
けれども「恨み節」という風には書かれておらず、えらいなーと思った。著者が日本のマーケットに登場するには、100年早かった。
本書では"資金の循環"ということを強調しておられるが、お金のエネルギーだけでなく、NGO活動などを通じて、広く世界にエネルギーを循環していかれるようになった著者の姿勢は、本当に素晴らしいと思う。
村上ファンドに興味がなくても、投資のあるべき姿が参考になる。投資家なら必読だと思う。 -
自伝
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投資はライフワーク。常に目指した来たのは、コーポレート・ガバナンスの浸透と徹底であり、それによる日本経済の継続的な発展である。長くバッシングされてきたが、私の主張を冷静に受け止めてくれる流れになってきたように思え、家族に対する責任として本を書いた。
順に論理を追って読んでいくと、普通で真っ当に思えます。流れが変わったのでしょう。 -
・良い企業は資産(現預金)を塩漬けにしない
・米国企業はコーポレートガバナンスを徹底している企業が多い
・日本企業の未来は資金循環にある -
2022.1.29 再読
コーポレートファイナンスの代弁者として行動してきた軌跡が如実に描かれている。確かに、生まれた瞬間から人種が違う富裕層のポジショントークに聞こえなくもないが、この本を最後まで読めばそれらは愚問であり、彼が見ていた視座は間違いなく日本をリードするものであった。現に、既得権益にまみれて捻じ曲がった「サムライカルチャー」のお陰で日本は緩やかな凋落を喫している。
投資家として利益を得るために活動するのは当たり前である。そういったプレーヤーの挙動さえも含んでいるのが資本主義の本質であり、今の社会の隆興を支えるルールなのだから。
ただ、そこに対してストーリーをキチッと語れるフロンティア・パーソンはこれまで存在しただろうか。村上氏は公僕として国に15年も尽力してきたからこそ語れるの視点が行動となって現れているのを感じ、熱くなるものがあった。 -
ガバナンスを熱く訴えるマスコミによって悪者にされた感もある。投資家としては真っ当だが腹黒いものもある。
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非常に面白かった。
当時を思い出しながら現在の株式相場と企業環境を考えながら読むと非常に面白い。
読み返しに値する本。