ローマ史再考 なぜ「首都」コンスタンティノープルが生まれたのか NHKブックス [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • コンスタンティノープルを中心に、4世紀から7世紀にかけてローマ帝国がどのように変容していったのかを説明した本。あらゆることについて言えると思うが、「首都」の役割・扱いは時代や国によって異なる。現代の視点でコンスタンティノープル建設を捉えると見誤ることになると感じた。

    コンスタンティノープルが建設されたことで、ローマ帝国の中心は東に移った。本書を読むまでは何となくそんなイメージがあった。しかしこれは当事者の感覚とは異なるようだ。彼らの認識としては「皇帝のいる場所こそがローマ」である。皇帝は必要に応じて帝国内を移動し、そこには大勢の軍人や官僚が付き従い、そこから司令が発せられる。従ってローマ帝国の中心は特定の都市ではなく、皇帝のいる場所なのである。

    とはいえコンスタンティノープルが建設された時から特別な都市であったことには変わりない。コンスタンティヌスは自らの拠点としてビザンティオンを選び、そこが新たなローマとなるよう、様々なモニュメントを配置し、さらには元老院を設置した。従ってコンスタンティノープルが建てられた時から第二のローマとしての役割を期待されていたのは間違いない。しかし真にローマの首都となったのは、皇帝が戦場に繰り出すのを止め、コンスタンティノープルに居座るようになってからである。この時、皇帝と場所が一致し、現代的な意味でも首都となった。

  • コンスタンティノープルが生まれ、ローマの大都市として成長していく過程で、元老院が拡大し、軍事指揮者として移動する皇帝とその朝廷が定着していった。

    その過程でローマは皇帝と権威と法を失っていき、東ローマ帝国は千年続き、西ローマ帝国はローマの元老院自身が皇帝を置かないという選択をすることで滅んでいった様子が面白かった。

    読んでいて、アシモフの「ファウンデーション」で銀河帝国が滅んでいく様子を連想した。

    都市国家ローマが拡大していく上で、イタリア全土を治めるには地理的な優位があったが、ガリア方面、ドナウ方面へと軍隊が展開していく際には、北イタリアの方が優位になり、ラヴェンナやミラノに皇帝の宮廷が置かれたことも興味深かった。

    後北条氏が韮山から小田原に拠点を移し、その後武蔵に拡大していったが、小田原から動くことはなかった。しかし、後北条氏の後に関東に入った徳川氏は江戸の価値を認め、都市として整備していったところに共通点があると思った。

  • コンスタンティノープルの成立から滅亡までを描いているのかと思いきや、ほとんど初めの部分だけだった。俺たちの東ローマ帝国はまだまだこれからだ…的なところで終了。

    教科書的な記述も多く、短なるミーハーにとっては辛い部分も。ローマ人の物語だと最終刊の「ローマ世界の終焉」と時代がかぶっているのかな。

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著者プロフィール

東京大学大学院総合文化研究科准教授
1979年 東京都生まれ
2010年 東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了
2014年 東京大学講師を経て、現職

主な著訳書
『ローマ帝国と地中海文明を歩く』(共著、講談社)
New Approaches to the Later Roman Empire(共著、Kyoto University)
『高校生のための東大授業ライブ──学問への招待』(共著、東京大学出版会)
『古代地中海の聖域と社会』(共著、勉誠出版)
リバニオス『書簡集1』(京都大学学術出版会)

「2019年 『書簡集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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