源氏将軍断絶 なぜ頼朝の血は三代で途絶えたか (PHP新書) [Kindle]

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  • 源惟康など「源氏将軍観」が実朝暗殺後も続いたことから、本当の意味での源氏将軍断絶は実朝暗殺ではなく、むしろ実朝が生き続けて頼仁親王か雅成親王を次期将軍にするプロジェクトが成立した場合に発生していただろうとういう著者の説は説得力があった。この密約時の後鳥羽の思惑、実朝の思惑、義時政子の思惑を整理し分析されていて非常に面白かった。

  • 著者は、実朝が決して昔ながらの俗説のように、ただ文化的素養に満ちた青年で政務には全く無関心、というわけでは決してなかった立場をとり、その説自体は素人の自分としては面白かった。

    また同じく北条義時の傀儡というのがよくある説明だが、義時とも政務的に協調路線で、かつそれがうまくいっていたとのこと。

    そして、実朝生前からの親王将軍推戴構想を考えれば、公暁による暗殺があろうがなかろうが確かに源氏将軍は断絶したし、そう考えると暗殺に義時黒幕説は動機がないように思えた。

    あの時代、鎌倉殿=将軍=源氏の血統を前面に出せば、血で血を争うは避けられなかったわけで、もうそれはやめよう=親王将軍推戴構想となったのか?

    新書レベルでも『吾妻鏡』書いてある、ではなく『吾妻鏡』に書いてあるもののこう解釈すべきであろう、という考察が必要になってきていると思い知った。

  • 鎌倉殿の十三人、コテンラジオを視聴した後でより理解が深まった印象。特にさて実朝のことは知らないことが多かったので改めて坂井先生の実朝に関する書籍を読みたいと思いました。

  • 〈北条得宗家〉支配の正当化を目的に編纂された『吾妻鏡』からバイアスを排し、源氏将軍三代を解説◆「頼朝」建久2年新制で朝廷から「正式に全国の治安維持を担当する軍事権門」と認められる◆「頼家」摂関家のみに許される五位中将として「よろしく彼の家人郎従等をして旧の如く諸国守護を奉行せしむべし」と継承、急病・危篤後の政変で失脚◆「実朝」将軍親裁を進め〈大御所実朝と親王将軍〉体制成立直前に右大臣で暗殺◆「頼朝」後継は「泰時」としたい『吾妻鏡』編纂者の改変・粉飾により二代三代は将軍不適格と後代に誤解させた(2020年)

  • 鎌倉時代の数少ない貴重な史料である「吾妻鑑」が,時の権力者・北条氏におもねる編纂者によって北条氏に都合のいいように脚色されたり事実を捻じ曲げられているとして,その嘘の中から真実を読み解後という本。頼家・実朝はこれまで言われてきたような暗君ではなかったということ。政務をほっぽりだして蹴鞠や和歌に明け暮れ,政務は北条を中心とする有力御家人が勝手にやっていたというのも嘘らしいということ。後鳥羽上皇の実朝に対する信頼感と思惑などとても興味深かった。果たしてこうした新説が正しいのかどうか研究者でもない私には評価しようもないが,十分に納得できた。
    結局,頼朝直系の将軍が3代で途絶えてしまったのは,北条と比企の不毛な主導権争いに周りが巻き込まれてしまったということに尽きるのだろう。あとは嫉妬深い北条政子のせいで頼朝に子供が少なかったことか。
    公暁による実朝の暗殺には特に黒幕はいなかったということだが,将軍を暗殺しておいて,自分が次の将軍になれると本気で思っていたなら大馬鹿者である。実朝が父頼家の真の仇だと思いこんでいたのもアホだが。義時と間違えて源仲章を殺してしまったに至っては救いようがない愚かさだ。
    滑川の河口が当時は現在よりも100数十メートルくらい上流側にあって,由比ヶ浜も今のような全面浜ではなく,小さな船ならつけられるくらいの浦出会ったというのは知らなかった。とは言えあんなところで巨大船を作った陳和卿はアホとしか言いようがないが。

  • 鎌倉幕府の創設者・源頼朝の血統はなぜ三代で途絶えたのかを検証した本。

    大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の時代考証を担当する著者が、鎌倉幕府内の権力闘争の歴史を解き明かしていきます。

    二代・頼家、三代・実朝は学校で学んだイメージと全く違い、興味を持ちました。

  • 最新の研究を通じて、現在は頼家や実朝も再評価されているとのこと。ただ頼家が突然の病に冒されて、比企家は滅ぼされるは、一幡は殺害されるはで、頼家は存命のうちに出家したとあるが、流れから想像するに一服盛られて生死を彷徨っている間に出家させられてしまったと考える方が納得できる。以前から不思議に感じていた実朝の大型船造船の逸話についての理由づけは、納得した。でも実朝が自ら同意の上で摂家将軍や親王将軍を迎えようとしていたかは疑問。公暁にしたって幼少時の実朝が頼家を殺害したと本当に思っていたとは俄には信じ難い。

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著者プロフィール

創価大学教授
著書・論文:『源実朝 「東国の王権」を夢見た将軍』(講談社メチエ、2014年)、『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』(中公新書、2018年)、「中世前期の文化」(『岩波講座 日本歴史』第6巻中世1、2013年)など。

「2020年 『乱世を語りつぐ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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