検閲官―発見されたGHQ名簿―(新潮新書) [Kindle]

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  • 検閲官
    発見されたGHQ名簿

    著者:山本武利
    発行:2021年2月20日
    新潮新書

    つまらない内容だったので、いやいや読んで時間がかかってしまった。読書メモも残す気になかなかなれなかった。

    ここでいう検閲官とは、GHQ占領下において郵便物を開封して検閲をした者のことを言う。CCD(民間検閲局)に通信部門(郵便、電信、電話の検閲)とPPB(Press, Pictorial & Broadcasting)部門(新聞、出版、映画、演劇、放送等の検閲)があるが、この本で扱っているのはほとんどが通信部門の郵便検閲についてである。

    検閲をするためには、日本語で書かれた手紙を英訳しなければいけない。日本語が出来るアメリカ軍人では間に合わないため、英語のできる日本人を大量に雇った。仕事が郵便物の検閲だと分かったのは、雇用が決まって以降のことだった。

    日本国憲法が施行されたのは終戦2年後の1947年5月3日だが、GHQは1952年までいた。その間、憲法21条で「検閲の禁止、通信の秘密を侵してはならない」と定められていたにもかかわらず、それが守られなかった。憲法違反の行為なのに、彼らはどうしてそんな仕事に就いたのか、それをどう考えていたのか。その辺りをあぶりだそうとしているかに思える本だが、読んでみるとその面はあまりに弱すぎた。

    著者は一橋大と早大の名誉教授。学者であり、ジャーナリストではない。しかも、フィールド系というより、資料を調べて分析していくタイプの学者のように感じられる。この本は、著者が2013年に国立国会図書館で見つけた検閲官の名簿の引用が中心だ。どうやら、その名簿発見こそが一大事のようで、日本人検閲官約14000人の完全なリストが存在している意味が大きいらしい。

    ところが、読者にとっては、もっとジャーナリステックな内容でないと面白くもない。日本国憲法が施行されていようと、GHQ占領下では民主主義がなかった、憲法違反なんて日常のことだった、というのは我々の感覚では普通のことだ。例えば、赤狩りと呼ばれた行為など、思想信条の自由が完全に侵されているわけだし、検閲だって多くのドラマなどで描かれてよく知っている。この郵便物の検閲も、当時の人も公然の秘密として知っていたわけだから、そこに検閲官の自己矛盾をあぶりだそうとしても、それは無理な話だ。

    内容のほとんどが資料の引用だ。しかし、1人ぐらい検閲官をした人へのインタビューがあった。なぜ、もっとインタビューをしていかないのか、不思議だし、歯がゆいばかりだ。例えば、予算の関係で1949年にCCDが廃止になって検閲官たちは解雇されたが、「彼らに秘密暴露禁止を強要したのかどうかまだ判っていない」としている。なんで聞かないのか?少なくとも1人はインタビューしているのだから、聞けば分かるではないか!と叫びたくなる。

    なお、検閲官の中には、後に「国会の爆弾男」といわれる社会党の楢崎弥之助、「夕鶴」を書いた劇作家・木下順二、歌人の岡野直七郎、作家・吉村昭などの有名人もいたことが分かっている。

    検閲の目的として、危険人物の監視と並び、日本国民が占領政策をどう考えているかを調べる〝世論調査〟面があったようだ。天皇制存続の方針決定の参考にもなったと思われる、と著者は書いている。

    *************

    1945年9月~49年10月まで、郵便2億通、電報1億3600万通が開封され、電話は80万回盗聴された。

    一般検閲とウオッチリスト者を対象として専門工作部による検閲があった。一般検閲では、検閲を免除した郵便物に「検閲済」の消印をつけたり、切除部分を日本になかったビニールテープで補修したりして戻した。一方で、専門工作部では開封が分からないように蒸気で開封したりしてその痕跡を残さない。陽動作戦で油断させた。

    元郵政大臣の証言(佐藤恵):「信書の事前検閲、この第1位は当時、神社の宮司さんあての信書、こういうこともありました」
    当時、神社の宮司の中には左翼系の人物もいたため検閲の対象とされていたようだ。

    多くの国民にとって一番迷惑だったのは(検閲による)郵便の遅配だった。そのため全国各地に私設郵便を扱う(株)ジャパン・エキスプレス・サービスなどの便利屋が出来た。政府も、CCD廃止までは、これを法律違反として取り締まることをしなかった。

    検閲をしていて偶然に事件を発見することがある
    ・その一つに九州帝大の捕虜生体解剖事件
    ・看護婦長が人肉を食べたと綴った手紙の発見
    ・黒田城で起こった豪州兵暗殺事件 など

    検閲のもう一つの目的は、占領や占領軍を日本人がどう受け取っているか、占領政策はよい方向に進んでいると日本人は考えているか、などを知ること(証言より)。
    検閲内容を一種の世論調査として利用し、天皇制存続の方針決定の参考にもなったと思われる。

    作家・吉村昭も日本文の手紙を英語に直す仕事につこうとした。条件は昼食つきで月給1500円。面接時のことを書いている。女性のいう英語がなにも分からず、不採用に。
    「アメリカ占領軍も多大な労力を払っていたものである。すべての封筒の中身を英訳させ、それを調べるのは容易ではない・・・」

    社会党「国会の爆弾男」の楢崎弥之助も検閲に関わったが、その事実を公開している。アルバイト感覚で給料は高くなかったけど、仕事があるだけありがたかったし、なにより自由な雰囲気が良かったとしている。そして、職場で話題になった新円切り換えの経済情報を記者に軽い調子でしゃべったため、職務違反でCCDをクビになった。守秘義務違反の刑事事件にはならなかった。

    ある人の証言によると、放送会館での新聞検閲は、地方紙の事後検閲だった。

    女性検閲官の1割がコーラス部。その会報の最後の広告のトップには「求ム~ボーイフレンド」とあり、「美男子ニシテ学識豊富話題好きな方、一日一回コーヒー。一週間一回映画を奢レル自信ノアル方ニ限ル 当方眉目秀麗ナル一女性メンバー 委細ハ編集部マデ」

    緘黙しているが、「夕鶴」を書いた劇作家・木下順二もしていたと思われる。戯曲「山脈」で原爆を扱っている一方でCCD勤めだったことになる。
    木下は誤植発見などに偏執的にこだわった。本に誤植があると見返しに書き出した。編集者は「マクベス」を平坦に言うと、アクセントが違うと注意された。

    GHQは検閲であることを隠して、「連合国要因募集」の広告を新聞に出していた。「英語ができる者」の募集だが、実際は和文英訳力のある者を期待。新聞社は広告料がドル箱だった。新聞社の広告担当者が接待攻勢を受けていたという資料もある。

    木下順二も岡野直七郎(歌人)も、CCDの管理職だった。

    検閲者は給与以外にも特典があり、ダンスやピクニックの主催、定期健診の実施、急病では高価なペニシリンも投与された。

    予算不足になり、1949年にCCDは解散となった。雇われていた日本人は大きなショックを受けた。彼らに秘密暴露禁止を強要したのかどうかまだ判っていない。

    敗戦から2,3年もたつと、多くの郵便利用者は、自らの手紙が占領軍により開封され読まれていたことを認識していた。

    日本人閲覧者の多くは、終戦まで軍国主義、天皇崇拝のイデオロギーの所有者だった。

    CCDやATIS(翻訳通訳部)に勤務した日本人は優に1万人以上(筆者推定では2万人)になるが、そのなかには、のちに確信自治体の首長、大会社の役員、国際弁護士、著名なジャーナリスト、学術雑誌の編集長、大学教授などになった人々が含まれている。

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著者プロフィール

1940年生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。一橋大学名誉教授、早稲田大学名誉教授。

「2018年 『子ども・家庭・婦人博覧会』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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