リベラルとは何か 17世紀の自由主義から現代日本まで (中公新書) [Kindle]

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  • 「「リベラル」と呼ばれる政治的思想と立場がどのような可能性を持つのかを、歴史、理念、政策の観点から検討する」ことを目的とした新書、約200ページ。大きくは、リベラルの成り立ちとその後の遷り変わり、グローバル化と産業構造の転換により変化が迫られる現在、そして日本におけるあり方について、の三点について扱う。

    基本的な定義として、個々人の多様な価値観を何よりも重視し、すべての個人が人生の目標を自由に追求できる機会を保障するために、国家による再分配を求める立場をリベラルと定義する。そして一般に、この国家の分配を重視する立場を左派、他方で市場の自由を重視する立場を右派と呼ぶ。

    リベラルの歴史については、三つの段階に区分けされる。まず、19世紀以降、商工業ブルジョワジーの利益を代弁する思想へと変質した自由主義への修正として誕生し、戦後の労使の合意によりケインズ主義的福祉国家の導入により成功を収めるまで。次に、文化的価値観にもとづき経済成長を優先する政治のあり方を批判する文化的リベラルの出現と、それにともなう「リベラル―保守」の新たな対立軸の発生。そして、グローバル化の進展と産業構造の転換を受けた社会変化に対応するため、国家に求める分配を変化させた現代のリベラルということになる。

    政治的なスタンスを「国家―市場」「リベラル―保守」の二軸に整理したうえで、現代リベラル(リベラル+国家中心)は、新自由主義の延長線上に現れたワークフェア競争国家(保守+市場中心)と、多文化主義を否定する排外主義ポピュリズム(保守+国家中心)との対抗関係にあるとされる。伸長する排外主義への対抗としては、受益層を狭く絞り込む制度ほど分断を生みやすく、普遍主義的なアプローチによる分配が肝要であると強調する。また、日本については「リベラル」という言葉が本来の意味からかけ離れたかたちで用いられており、生活の保障を保守政党の側が提供してきた事実もあって、現代的なリベラリズムが根づいていない様子がうかがえる。

    個々人がどのような政治的立場を選択するかに関して、職業や組織における役職によって規定されやすいという指摘が興味深かった。現在の問題として考え合わせれば、本書内でも繰り返し言及されるグローバル化と産業構造の転換によるアウトサイダー(非正規雇用者)の増加が大きなポイントだと思える。著者が指摘するとおり、新たな社会構造に対応し、インサイダーとアウトサイダーの分断を解消に導くロードマップを示すことができるなら、リベラルが両者から支持される余地は十分にあるのではないかと思わせられた。産業構造の変化を考えれば、今後に求められるのはアウトサイダーをインサイダーに戻す方向性ではなく、アウトサイダーであっても生涯を安心して全うできる新たな社会の設計なのかもしれない。

    「リベラル」の概念や歴史、日本におけるあり方について知りたいという動機で選んだ一冊だった。結果として、その要望にすべて応えたうえで期待を上回る内容だった。全体を通して過不足がなく、偏りを感じさせない記述にも好感を持った。「第6章 日本のリベラル」にある、民主党政権に対しての厳しい評価をはじめとした、近年の日本の政治をめぐるコンパクトな分析も参考になった。

  • 現代においてリベラリズムは政治的に苦境に立たされていることは間違いなく
    これは日本だけでなく世界的な潮流であることが、
    右派ポピュリズムの各地での湧き上がりを見れば分かる。

    本書はここにリベラルの成り立ちから確認しつつ、
    いかにしてこの隘路に追い詰められたかを検証し、
    そしてそれを打開するための方法の手がかりを模索するものだ。
    (局所的な話としてとらえないのは美点ですね)

    自由放任からの福祉政策としてのリベラルから
    新自由主義というのはおおまかに理解していたが
    ワークフェア競争国家という用語は興味深い概念だった。
    ウェルフェア(福祉)とかけた言葉ですね。

    要は単に小さな政府を求めるというのではなくて、
    「人々を市場へと導引する国家の強力な役割」を果たそうとするものらしい。
    (そんなのが現れていたら「働いたら負け」という言葉も出るよね。)
    福祉政策は保持されるが、それは就労に結びつく場合に限って、ということ。

    その名称の中に競争と入っているのは国際競争の環境下を意味しており、
    この勢力の考え方はある点では自然に現れるべくして現れたと言ってもいい。

    一方で、この思考の中には自由は加味されておらず
    権利は条件付きであるように振る舞う。
    現実的なリソースの話がそうであるのと、目指すべき場所についての話を分けて考えるなら
    彼らに対抗勢力としてのリベラルはやはり必要である。

    万能の解決策があるような話ではなく、華々しい結論があるわけでもないが
    現在の政治的状況を整理する助けにはなってくれるだろう。



    >>
    格差の拡大によって社会不安が高まると、新自由主義政権が頼ったのは、保守的な道徳だった。ハーヴェイらが指摘するとおり、個人の選択の自由という新自由主義の原則と、個人を超える集団の権威や伝統を強調することは、本来相容れないはずだった。ところがサッチャーは、福祉に依存する貧困層を道徳的な失敗者というイメージと結びつけ、勤勉の道徳と家族による相互扶助の美徳を強調した。(p.51)
    <<

    本邦でも覚えのある挙動である。
    自由と保守はこのように結びついた。

    >>
    制度が選別的であればあるほど、市民の間の連帯感情が弱くなり、「我々」と「彼ら」という線引きが生まれやすい。弱い立場になりやすい移民は、福祉にただ乗りする「彼ら」だという意識が強まりやすい。一方、制度が普遍主義的であるほど、中産階級を含めた広い人々が福祉の受益者となる。「我々」と「彼ら」という線引きが生まれにくいため、排外主義は相対的に弱くなっていると考えられる。(p.146)
    <<

    この考察から導かれるのは弱者を選別して保護するような政策であるアファーマティブアクションなどは
    より弱者を孤立させるおそれがあるということであり、
    大きな枠組みで社会保障と福祉を作っていく必要があるということだ。

    簡単なことではないが、理想は目ざなければ進むこともない。

  • 本書は、リベラルという言葉を軸に政変について記した感じである。

    政治と経済は一体なのだろう。数は力であり、一定の数・勢力をもった団体は、自身のおかれた立場を守るもしくは覆すために政治に働きをかける。政治は政治で、政権を得なければ自身が信じていることを実現出来ない以上、その勢力を取り込まなければならない。
    行き過ぎないという点で民主主義は中道として機能すが、結果、分断とどっちつかずになる。

    AとBの施策があり、Aを選択した場合、その結果は歴史が証明してくれるが、Bを選択っした場合は想像でしかない。Aは結果責任を負うが、Bは何も負わない。
    にも拘わらず「Aはこうだ」と言い切る著者の主張には疑問が残る。

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著者プロフィール

一橋大学教授

「2020年 『政治経済学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

田中拓道の作品

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