あぁ、終わってしまった……。
どのくらいのことが汲み取れているかはわからないけど、凄く良い作品でしたし、こういった作品に出会えたことは、私にとって幸せでした。
素晴らしい作品を、ありがとう。
◆タイトルについて
告白します。
最初に本作のジャンルとタイトルを聞いたとき、ヤバい性癖の話かと思ってました。
本作を読み始めてそれは誤解だとわかりましたが、同時に再度「なぜこのタイトルにしたのだろう」と疑問がわきました。
本作は、昭明さんがネグレクトで心が育まれなかった少女澄花を教育し、自立させようという構造をとっています。
その生活の中で、昭明さん側にも気付きがあり、そして澄花の心が形成され、成長していく。
本巻で語られたのは、実際にはさらにその外側にもう一段、「少女の壊れた心を癒す」という構造が隠れていた、ということだったと思います。
昭明さんによって形成された「お人形」は、実はまだ心が壊れています、と。
ゆえに本作のタイトルが「せんせいのお人形」だったということでしょうね。
では、昭明が行った人格形成(本作中では「塗り替える」と表現)は悪いことだったのか?
無論、違います。
幼い時分に心が壊れてしまった澄花は、壊れたままに年を重ねてしまいます。
大人ならあるいは、壊れた心を時間が解決してくれることがあるかもしれません。
しかし、澄花は心が形成される前に壊れてしまっているので、正しい(という表現はきっと正しくない気がしますが)心の形に戻ることは出来ません。
これに対し昭明さんがバラバラになった心を組み上げ、その結果として、澄花自身が自分の心が壊れていることを自覚した、という流れだと思っています。
つまり、昭明さんによる人格形成がなければ、彼女はその問題に向き合う方法すらわからなかったのだと思います。
昭明さんの教育で、澄花は「自立」する方法を獲得しました。
澄花が狭い視野や思い込みに囚われず「本当のわたしとは?」と自問できているのは、彼女が自立できているからだと思います。
それが出来たとき、彼女は「お人形」から次のステップへ進めているのだと思います。
◆「女の子育てる系」としての本作
何らかの事情を持った少女を独身男性が育てる物語群、私はこれを「女の子育てる系」と呼んでいます(男女逆の場合もあります)。
本作独自の感想ではありませんが、この系においての本作を少し考えてみたいと思います。
この系によくある流れとして、少女が保護者である男性のことを恋愛的に好きになり、しかし男性はこれに応えられない、というものがあります。
本作を読んで思ったのは、この恋愛を成就するために、少女の精神的及び経済的な自立は必須だということです。
男性に精神的または経済的に依存している状態での恋愛成就は、仮にそこに通う愛が本物だとしても、構造的には搾取構造になってしまいます。
無論、恋愛をテーマにした物語であるならそれでも構わないでしょうが、社会構造に摩擦のある状態での恋愛成就は、本作のような少女の自立を主題にした作品にはそぐわないでしょう。
互いに対等な関係を築いた上での恋愛成就、おそらくこれがこの系での最終解だと思います。
もう一点、思ったこととしては、子供の存在です。
本作の最後、養子を迎えて育てているんですよね、これはなるほどと思いました。
ネグレクトの末男性に迎えられた少女が、新たな家庭で親のいない子を本当の子供のように育てる。
凄くこう、カッチリはまった感じがしますね。
ただ同時に、実子じゃないのか、とも思いました。
ここは自分の中で結論が出ていないのですが、少女が血の繋がった家族を持って幸せになることも正解のような気がするし、血や家に依らない「家族」で幸せになるのも正解な気がする。
少なくとも、子供が出てくるのは間違いなく正しいと思うものの、ここはもう少し考えたいところです。
こういった気付きが得られたこともまた、本作に出会えた喜びのひとつでした。