ロバート・オッペンハイマー ――愚者としての科学者 (ちくま学芸文庫) [Kindle]

著者 :
  • 筑摩書房
4.30
  • (6)
  • (2)
  • (1)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 72
感想 : 4
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・電子書籍 (409ページ)

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 著者自身が物理学者なので、物理の人としてのオッペンハイマーの学問的位置に対する正確さを叙述することはもちろん、文学・歴史への目配りも行き届いている。
    著者自身の教養をあますところなく感じさせる完成度の高い伝記。

  • 映画「オッペンハイマー」が、どのような事情かはっきりとはわからないけれど、日本公開の見通しが立たない。そのせいでフラストレーションが溜まり、発散するための代替物として本書を手に取りました。

    タイトルに「愚者」とある。これは戦後、数人の物理学者たちからオッペンハイマーがファウストに見立てられていたことに対し著者が「オッペンハイマーはファウストの精神の強靭さと規模を持たなかった。彼は愚者であった。」から取られている。

    愚者としての科学者、という言い回しから受ける印象は、オッペンハイマーが原爆の父という代名詞とともに語られることも相まって、原子爆弾という人類を破滅させかねない兵器を作り、結果として甚大な被害を出してしまった傲慢な科学(科学者)に対する愚かさを謳っているように思える。

    が、本書はそのような原爆の父としてのオッペンハイマーのマスイメージを上書きしようとするものであり、件の愚者という言葉は、むしろ陳腐な人間という意味合いのほうが強い。(文中でもアーレントの「悪の陳腐さ(banality of evil)」という有名な文句が引かれるが、本書を読む限りアイヒマンのそれとは意味合いが違うように感じる。アーレントのアイヒマン評はevilに、本書のオッペンハイマー評はbanalityにウェイトが置かれているような印象である)

    20世紀の前半、物理学は黄金期を迎える。本書においては特に1925年の量子力学の産声が大きすぎる意味を持つ。
    物理学の黄金期ということは、物理学者の黄金期を意味する。オッペンハイマーをその一員に数えて差し支えはないが、第一線の物理学者たちと比較すると、一歩下がった位置にあるのもたしかだそうである。それに、オッペンハイマーには原爆の父という不名誉なレッテル以外のイメージに乏しく、この手の学者にーたとえばノイマンやラビのような、一般人が憧れと畏怖を抱くような天才の煌めきを感じさせるエピソードも弱い。そういう意味ではきわめてbanalityな物理学者である。

    映画「オッペンハイマー」がどのような内容かはわからないが、本書では原爆の父としてのオッペンハイマーを否定的に描いている。細かく言えば、オッペンハイマーひとりに原爆投下への責任を背負わせ、自分たちを免責するようなナラティブに対する否定である。だからといってオッペンハイマーに免罪符を与えるわけでもなく、遠慮なく小気味よい筆致でありながら罪と責任のバランスを損なわない評価を与えている。

    オッペンハイマーの評伝としては、ほかの評伝は読んでいないために評価できる立場にはないが、一冊の本としてはとてもおもしろいものだった。

全4件中 1 - 4件を表示

著者プロフィール

藤永 茂(ふじなが・しげる)
1926年中国・長春生まれ。九州帝国大学理学部物理学科卒業。京都大学で理学博士の学位を取得。九州大学教授を経て、カナダ・アルバータ大学教授就任。現在同大学名誉教授。著書:『分子軌道法』(岩波書店)、『アメリカ・インディアン悲史』(朝日選書)、訳書コンラッド『闇の奥』(三交社)他多数。

「2021年 『ロバート・オッペンハイマー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

藤永茂の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×