今を生きる思想 ハンナ・アレント 全体主義という悪夢 (講談社現代新書100) [Kindle]

著者 :
制作 : ハンナ・アレント 
  • 講談社
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感想 : 6
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感想・レビュー・書評

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  • アレントの入門書として秀逸。このシリーズ(講談社現代新書100)の100ページで完結というコンパクトな中、全体主義とは何か、行為とは何か等、うまくエッセンスを捉えている。ただ、公的空間と私的空間についての解説は触れる程度(T.N)

  • ハンナアレントの思想のエッセンスに触れることができる良書。

    特にp105以降の「終わりに」が感動すら覚える希望に満ちた内容になっているのが印象的だった。

  • p.2023/1/22

  • 牧野雅彦著『ハンナ・アレント:全体主義という悪夢:今を生きる思想(講談社現代新書.現代新書100)』(講談社)
    2022.10発行

    2022.12.17読了
     アレント(1906-1975)の思想の骨子は、多様性の尊重と画一性への抵抗といったところだろう。全体主義の背景と構造を探究し、全体主義以降の人間が人間らしく生きていくための条件とは何かを考察した人である。本書では、アレントの思想を紹介しつつ、現代の問題へのアプローチ方法も探っている。
     しかし、言うは易く行うは難しである。本書を読む限り、アレントは(あるいは筆者は)19世紀以前の国民国家を理想としているようだ。人間は、人間を法的に保護する実効的な機関や制度がなければ、無権利で無防備な存在であるとも説いている。この点は、人間の自然状態を万人の万人に対する闘争状態と捉えたホッブスを彷彿とさせる。少なくともアレントは(あるいは筆者は)国民統合の装置としての国家の存在を容認していたようだ。
     また、アレントは民主主義の立場から全体主義の分析を行っているが、民主主義ですら総力戦のためのシステムだったと捉える見方もある。総力戦を勝ち抜くためには、国民に栄養(福祉)と知識(教育)とプライド(ナショナリズム、市民権)と権限を与える必要があり、民主主義の延長線上には管理社会があるとも言われている。
     ジャーナリズムやアカデミズムに対する風向きも怪しい。新聞社は発行部数を減らし、大学の大倒産時代は間近に迫っている。人々は真偽不明な情報やデマがはびこるインターネットやSNSで情報を調達している。
     トランプ前大統領のフェイクニュースやQアノンの陰謀論、米選挙におけるロシアのSNS工作、杉田水脈衆議院議員の差別発言……。
     この情報社会において、いかに事実の真理を語っていけばいいのだろうか。前途は決して明るくはない。


    【要旨】

     19世紀ヨーロッパにおいて完成した「国民国家」は、階級や階層によって区分された国民を基盤とする国家である。国民国家は単一で均質な人間の集まりではなく、職業や身分などに基づく階級や階層集団から成り立っており、それぞれの集団の経済生活や社会生活上の要求は、労働組合などの利益団体が吸い上げ、それらの集団を集票基盤とする政党が集約して議会などの代表機関で表出するという形で安定したシステムを築き上げていた。

     ところが、19世紀初頭の産業革命にはじめる資本主義経済の発展によって国民国家は次第に解体されてゆく。これが西洋国民国家のシステムの枠を本格的に乗り越えるようになるのが、アフリカ争奪戦にはじまる「帝国主義」の展開である。

     絶えざる利潤の拡大と蓄積を追求する資本の運動を原動力とする帝国主義は、格差や差別を生み出し、国民国家の基盤である階級や階層を解体する。人々は所属していた集団、職業や経済・社会生活の拠り所となっていた集団から切り離され、一人一人バラバラにされてゆく。その結果、お互いに対する関心を持たず、誰からも配慮されなくなった「大衆」と既存の体制や社会に対する不満や反逆、権力への渇望、暴力行使への欲求に取り憑かれた「群衆(モブ)」が大量発生する。「全体主義」は、国民国家のシステムが本格的に解体する第一次世界大戦以降、このような大衆と群衆(モブ)を背景にして生まれてきたのである。

     階級社会の解体によって自分の足場を根こそぎ奪われ、人間関係を成り立たせている「共通世界」を破壊された大衆は、まともな「判断力」さえ奪われてしまう。判断力を失った大衆が最後の拠り所とするのが「論理による強制」である。有無を言わさず服従を強制する論理こそが、もはや経験を頼りにこの世界で生きていけなくなった大衆にかろうじて生きる方向を示すことができる。こうして異を唱える人間を「人類進歩の敵」「人間社会に害をなす異分子」として排除する全体主義が完成するのである。

     しかし、「論理による強制」は、数学的な論理の強制や自然の法則とは「似て非なるもの」であり、そうであるからこそ、抵抗することは可能なはずである。人間は論理的な推論に完全に取り込まれてしまう存在ではない。複数の人間の相互作用の中で行われる行為は、法則に基づく推論や予測からたえず逸脱して新たなものを生み出していく可能性を秘めている。予想もつかなかったことを始める人間の能力は、イデオロギーによる「論理の専制」を打破することができる。そのためには、人々が自らの「行為」によって自由な「運動の空間」を作り出さなければならない。

     自由な「運動の空間」を作り出すためには、政治的に中立な立場で「事実の真理」を擁護する存在が必要不可欠である。それが「ジャーナリズム」と「アカデミズム」である。「ジャーナリズム」と「アカデミズム」は、それぞれ人々が自由な「行為」に基づく「運動の空間」を安定的に維持する役割を果たしてくれる。全体主義の再来を防ぐためには、こうした「事実の真理」の守り手を保護していくとともに、一般の人々も、人間の行動を一方的に強制しようとする全体主義の試みに抵抗した人たちの行為の記憶を語り継いでいく必要があるのである。

    URL:https://id.ndl.go.jp/bib/032357709

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著者プロフィール

広島大学法学部教授

「2020年 『不戦条約 戦後日本の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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