「薬剤師・毒島花織の名推理」シリーズも、現在刊行されているのは本作が最終である。
薬剤師という職業を切片として、そこから見えてくる世界は、意外にも多様化されていた。考えてみれば、あの小さな錠剤を飲むことで、体の不調が改善されたり、飲み方を誤れば重篤な不調に陥ることもある薬という存在は、とても謎めいて見える。普段はあまりにも小さな存在だけに、薬がまとうそうしたミステリアスな面に気づかずに過ごしているけれども。
薬の対語が毒と理解していたが、実際は毒となるものをその量を調整すれば薬となる、という指摘にも驚いた。例えば、毒草の代表のようなトリカブトからも薬は生成されるらしい。本シリーズのタイトルには、「薬」と同じくらい「毒」という言葉が含まれる。それも、薬と毒が表裏一体の関係にある、という作者の指摘に由来するのだろう。
薬剤師をテーマとすることで、ややストーリーがこじつけめいた感じを受けるところはある。しかし、本シリーズを通読してみると、総じて示唆に富んでいる。日頃、処方されるがままに、あるいは市販されているものを体調に合わせて購入し、疑うことなく飲んでいた薬が、実に科学的論理性に満ちたものであったのかということに気づかされた。そして、世にあまりにも数多ある種類の薬を出すことを生業とする薬剤師という職業に、いかほどの知識と責任、倫理性が要求されるのかが理解できた。
一つ誤れば毒ともなる薬を処方し、手渡す薬剤師という職業は、やや大げさにいえば人の生殺与奪を握っている。しかし、これまで処方薬局に抱くイメージは、病院で処方箋をもらい、そこに書いてある薬をもらいにいくところだった。そこにいる薬剤師は、処方箋の薬を揃えて、袋に入れて渡してくれる人にすぎなかったのである。「たかが薬をもらう」のに一時間も待たされたりすることに不満を覚えたことは何度もある。薬を渡されるときに受ける説明も、「袋に書いてあるとおりに飲めばいいのだろう」と真剣に聞いていなかったことのほうが多い。
だが、そうした不遜な客にも笑顔で説明をする薬剤師の「見えない」苦労を知ることができた。このことが本シリーズを読んで得た最も大きな価値ではないだろうか。
薬が関与することはすべてテーマであることから、コロナ禍、うつ病(とそれと混同されがちな双極性障害との違い)、西洋医学と漢方医学の違い、麻薬(大麻)、アルコール依存症、糖尿病――こうしたことが物語となる。通常のミステリー小説のような、派手な殺人は起こらない。しかし、薬というイコンを通して見える世界は、そうした大きな事件ではなくても良質のミステリーとなり得る。
薬効に対する知識から展開される推理は、科学的理論に裏付けられており、ゆえにスリリングだ。だが、物語はその次元にとどまってはいない。科学から離れ、人の心に分け入ることもするし、薬から派生して推理は広く展開される。その推理の多くは推測や推察に基づくものであるかもしれないが、論拠となる薬が科学的であるため、絵空事にはならない。
繰り返すが派手な事件は起こらない。主人公たる薬剤師・毒島花織と水尾爽太の関係も、爽太の思いとは裏腹に進まない。二人の関係が進まないことが、このシリーズがさらに続くことを予感させる(これも推測にすぎないが)。
派手な殺人やバイオレンス、あるいは激しいアクションを好む向きにはお薦めできない。だが、間違いなく本シリーズは、他の作品にはない刺激に満ちている。