- Amazon.co.jp ・電子書籍 (167ページ)
感想・レビュー・書評
-
CODA:Children of Deaf Adults) 聴こえない親をもつ、聴こえる子ども
おりしも、NHK夜ドラ「しずかちゃんとパパ」最終回を見るタイミングで、
この本を読み始めた。
ドラマは、聴こえないパパこと鶴瓶とその娘しずかちゃんこと吉岡里穂、
その周囲の人々の心温まるお話だった。
「可哀そうかどうかは自分が決めること。
耳が不自由というだけで可哀そうなんて思っちゃいけない」
(そういえば静が生まれたとき、お母さんが
「この子は耳が聞こえてかわいそう」と言っていた。
自分の大好きな、聞こえない世界でこの子は生きられない。守ってあげられない、、と。)
「親のサポートが必要だから離れられない、結婚できない、というのは
自分が変化したくないことへの言い訳」
「なぜ「おとうちゃん」でなく「パパ」なのか」
あたりが心に響く、涙なしでは見ることのできない温かいドラマだった。
(BSで去年やってたんだね、、)
そしてこの本。
ライターの著者が、生まれつき耳の聞こえない母親が、
どんなふうに育ってきたのかが知りたくなり、
姉妹、学校の先生を訪ねる。
そして、当時の日本で聾啞者に対する対応が定まっておらず、
口話、手話、聾学校→聴覚支援学校、そして優生保護法と、揺れていたことを知る。
下手をすれば母親は不妊手術を受けさせられ、
著者はこの世に生まれていなかったかもしれないのだ。
あらためて思う。
人は、学び続けるのだと。
一人一人が学んで、それが最終的に国を動かすのだと。
差別偏見は一人一人のこころにある。
これは絶対なくなることはない。
しかし、学習することで、人は正しくふるまうことができるはずだ。
そして国をも動かすことができるはず。
国が先に気づいて、国の教育により国民が変わることもあろう。
昔はそういうことの方が多かったかもしれない。
今はどうか。
むしろ国のほうが頭が固く、非科学的になっている。
選択的夫婦別姓など、国民の多くが納得していることも法制化できない。
むしろ時代に逆行させようとしている。
話はそれてしまったが、それるだけの内容を含んだ本だった。
聞こえない母と聞こえる息子、その存在自体を奪いかねないのが
社会だ、ということがこの本からはっきりわかるからだ。
人は学び続けなくてはいけない。
心からそう思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
映画CODAを鑑賞して以来、聾唖者の親を持つ健常者の問題を知った。
手話の歴史と重要性、口話法とよばれる発生練習。時にそれが差別的に聾唖者の言語を奪うこと。コミュニケーションの必要性。
善意の発露と優生保護法。
そして、一番大切なことは「違いは乗り越えられる」ということを忘れないこと。 -
聴覚障害を持つ私。宮城に住んでいた事のある私。健聴の子を持つ私。
著者のお母さまの気持ち。
あっ、私と同じだ!
そう思えた身近に感じる本でした。