聴こえない母に訊きにいく [Kindle]

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  • 柏書房
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  • CODA:Children of Deaf Adults) 聴こえない親をもつ、聴こえる子ども

    おりしも、NHK夜ドラ「しずかちゃんとパパ」最終回を見るタイミングで、
    この本を読み始めた。
    ドラマは、聴こえないパパこと鶴瓶とその娘しずかちゃんこと吉岡里穂、
    その周囲の人々の心温まるお話だった。
    「可哀そうかどうかは自分が決めること。
    耳が不自由というだけで可哀そうなんて思っちゃいけない」
    (そういえば静が生まれたとき、お母さんが
    「この子は耳が聞こえてかわいそう」と言っていた。
    自分の大好きな、聞こえない世界でこの子は生きられない。守ってあげられない、、と。)
    「親のサポートが必要だから離れられない、結婚できない、というのは
    自分が変化したくないことへの言い訳」
    「なぜ「おとうちゃん」でなく「パパ」なのか」
    あたりが心に響く、涙なしでは見ることのできない温かいドラマだった。
    (BSで去年やってたんだね、、)

    そしてこの本。
    ライターの著者が、生まれつき耳の聞こえない母親が、
    どんなふうに育ってきたのかが知りたくなり、
    姉妹、学校の先生を訪ねる。
    そして、当時の日本で聾啞者に対する対応が定まっておらず、
    口話、手話、聾学校→聴覚支援学校、そして優生保護法と、揺れていたことを知る。

    下手をすれば母親は不妊手術を受けさせられ、
    著者はこの世に生まれていなかったかもしれないのだ。

    あらためて思う。
    人は、学び続けるのだと。
    一人一人が学んで、それが最終的に国を動かすのだと。
    差別偏見は一人一人のこころにある。
    これは絶対なくなることはない。
    しかし、学習することで、人は正しくふるまうことができるはずだ。
    そして国をも動かすことができるはず。
    国が先に気づいて、国の教育により国民が変わることもあろう。
    昔はそういうことの方が多かったかもしれない。
    今はどうか。
    むしろ国のほうが頭が固く、非科学的になっている。
    選択的夫婦別姓など、国民の多くが納得していることも法制化できない。
    むしろ時代に逆行させようとしている。

    話はそれてしまったが、それるだけの内容を含んだ本だった。
    聞こえない母と聞こえる息子、その存在自体を奪いかねないのが
    社会だ、ということがこの本からはっきりわかるからだ。

    人は学び続けなくてはいけない。
    心からそう思う。

  • 映画CODAを鑑賞して以来、聾唖者の親を持つ健常者の問題を知った。
    手話の歴史と重要性、口話法とよばれる発生練習。時にそれが差別的に聾唖者の言語を奪うこと。コミュニケーションの必要性。
    善意の発露と優生保護法。
    そして、一番大切なことは「違いは乗り越えられる」ということを忘れないこと。

  • 聴覚障害を持つ私。宮城に住んでいた事のある私。健聴の子を持つ私。
    著者のお母さまの気持ち。
    あっ、私と同じだ!
    そう思えた身近に感じる本でした。

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著者プロフィール

1983年、宮城県生まれ。2015年よりフリーライターになる。著書に『しくじり家族』(CCCメディアハウス)、『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』(幻冬舎)など。2022年には初の小説作品『エフィラは泳ぎ出せない』(東京創元社)も手掛ける。

「2023年 『聴こえない母に訊きにいく』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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