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感想・レビュー・書評
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研究の本では無い。叙述的な本。議論プロセスがまとまっている本。私には合わないタイプの本でした。社会科学を大学で学んだとき、研究をするときは、インプリケーションを強く求められてた。そのため、研究者の書く文章には、何かしらの判断に使える政策的意義や、新規的な法則、概念を提示するおもしろさを求めてしまう。この本は、議論プロセスそのものを本としているので、クリアなメッセージがあるわけではない
■感想
・結局、アイヒマンの人間性や、ある単語の持つ意味に対してどこまで思考、叙述したところで、真実を確かめることはできない。というか、人間において、真の人間性、真の性格といったものなどそもそもない
・裁判でどう罪を問うかという政治的、倫理的な批評を下すべき話と、1人の人間の行動メカニズムの分析の話を同時に進行している。これらは、混ぜても良いメッセージに到達できない
・逮捕後、ほぼ死が確定しているであろう当人の裁判での言動から、当人の、仕事を行なっている際の人間性が導けると考えている?逮捕後は、戦争時とは全く異なる世界観を持って行動しているはず
・アイヒマンが悪、という前提は戦勝国側の理論であって、何か人類共通の絶対的な価値基準によって、彼を悪とすることはできないと私は考える
・全体的に、明らかにしようがないものに焦点を当て、明らかにしようとしているために、論が混乱している印象を受けた詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
組織的な悪事、最近でもビッグモーターの件などがあるけど、そうした場面でよく当事者が言うのが「上の命令には逆らえなかった」みたいなこと。アーレントの「悪の凡庸さ」というワードはそれを表現するのにピッタリで、実際人口に遡及しているが、アーレントが本当に言っていたことはそんなじゃないよ、アイヒマンの実像は違うよ、という本。
國分先生の中動態の話も出てくる。完全な主体ではないならそこに責任はないのか、いやそうではないだろう、みたいな話もある。
”アーレントの〈悪の凡庸さ〉概念は、職務に忠実なだけの〈凡庸な役人〉、上からの命令を伝達する「歯車」というイメージで広く受容されている。だがナチズム・ホロコースト研究に従事する歴史学者からすると、それはアイヒマンという人物を形容するにはおよそ的外れなものに思われる。この男がユダヤ人絶滅政策の中核を担うキーパーソンとして、官僚機構のなかで卓越した組織力と創造性を発揮したことは疑いえないからである。”
”現代のアイヒマンたちはいったいなぜ命令を遂行したのか、その理由を主観的要因と構造的要因の絡み合いのなかで究明することは、彼らの罪と責任の所在を突き止めるうえでも必要である。”
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アーレントは日本でも人気である。タイトルにある「悪の凡庸さ」という言葉もウケがいい。
ただ、この言葉自体は60年以上前が初出だが、日本における浸透の歴史は意外と浅いらしい。たとえば、朝日新聞史上で「悪の陳腐さ」(意味は同じである)という言葉が登場するのは93年、しかも20世紀内ではこの一回のみであり、受容のきっかけになったとはいえない。主に受容が変わったのは、99年から00年にかけてのガイドライン関連法案の際に、アイヒマンへの言及が大幅に増加したとのこと。
通俗的な理解では、権力に服従し、思考を放棄し、ただただ命令に従う役人的凡庸さ、組織の歯車として非主体的な行動への警句。
そのような理解に対して、一石を投じたり投げ返したりするのが本書である。
収められているのは、歴史学や思想史学からのアーレント批判や擁護、そして「悪の凡庸さ」という言葉をめぐる議論である。
各々の論文自体は、それぞれ立場は違えど頷くところも多い。ただ、最後に収録されている座談会は、あまり噛み合っているとはいえないと思う。 -
4つの論考はどれもわかりやすく、素晴らしい。著者の考えが少しずつ違うのは、読者にも考える余地を与えるという意味で良かったと思う。個人的に印象に残ったのは、アイヒマンが決まり文句を頻用するというところ。自分も自身で考えた言葉を使わずにそういうものに頼りすぎていないか。
討論は少し難しかった。further readingをいくつか読んでみて戻ってくれば、もう少しわかるかもしれない。
ナチスは良いことも、、、が素晴らしかったのでこちらも読んだが、同じ著者の本はもっと読んでみたい。