ほほう。そうきたか。
一般的には愚鈍で優柔不断なイメージの小早川秀秋。
だって肖像画を見たって、武将とは思えないゆるんだ表情。
この作品では、幼いころから秀吉の養子になり、立場をわきまえているからこそ周囲の大人の顔色を窺い、決して目立つことなく自分の意志を持たず、与えられた環境を黙って受け入れていた秀秋は、本当の自分を抑えに抑えていたのだという。
秀吉の正妻ねねの甥である秀秋は、多くいる兄を差し置いて秀吉の養子になり、どんどん引き立てられていった。
けれども秀吉に実子ができた時、彼はいらない存在として小早川家に養子に出される。
しかしそこで隆景に本当の自分を見出され、無理に自分の気持ちを抑える必要はないと言われる。
秀吉は才能のあるものに魅かれ、執着する。
秀吉の養子に迎えられたという時点で、秀秋は才能にあふれた子であったはず。
だからこそ、自分を脅かす存在を決して許さなかった秀吉の前で、秀秋は自分の意志を殺さなければならなかった。自分でも気づかないほど深いレベルで。
隆景に己を見出された秀秋は、隆景こそを父と慕い、人として大きく成長した。
では、なぜ秀秋は豊臣家を裏切り、小早川家の本家筋である毛利家を裏切り、徳川についたのか。
それも、東軍西軍どちらにつくのか、最後の最後まではっきりさせなかったのはなぜか。
読んでいる時、それはとても説得力のある説で、そんな体験をしたならばそう感じるであろうということが、ストレートに伝わってくる。
しかし、秀秋、本当にそんな出来る男なのか?
だってあの顔…。
酒浸りで、暮らしぶりは贅沢だったからねねに多額の借金してたんだよね。
そういうことが書かれてなくて、新たな説を展開したところで、それは作り物の域を出ないだろう。
小説だから最初から作り物なんだけど。
だけど、関ヶ原の合戦で東軍が勝ったのは、まぎれもなく秀秋のおかげ。
なのにどの資料を見ても、ディスられているのはなぜなのか。
三成ですら最近は見方が変わってきて、実直で生きるに不器用な男だったなどと言われたりもするのに、秀秋の貶められっぷりは変わらない。
そこに何かがあるのでは?と思うのは、ある意味自然。
これからもいろんな説が出てくればいいと思う。
小説としておもしろく読んだからこそ、最後は蛇足と思った。
そこは、読者が思う部分だ。
“関ケ原最大の功労者とも呼べる秀詮の不慮の死。そしてその後の過剰なまでの人格の誹謗。
秀詮が愚者であることで得をするのは、いったい誰か?
歴史とは生き残ったものが紡ぐ過去である。”
秀秋、享年21歳。
- 感想投稿日 : 2017年6月16日
- 読了日 : 2017年6月16日
- 本棚登録日 : 2017年6月16日
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