逝かない身体―ALS的日常を生きる (シリーズ ケアをひらく)

著者 :
  • 医学書院 (2009年12月1日発売)
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感想 : 77
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いわゆる「延命治療」、障害者の「自立」、寝たきりの人とのコミュニケーション について考えた。


〇いわゆる「延命治療」について
この本を通じて、改めて経管栄養や人工呼吸器について改めて考えた。
これらの医療機器で延命やQOL向上などの効果が見込まれるシチュエーションを想定する。
自分自身であれば、親しい人に対して負担をかけることに対して罪悪感を抱き、希望しないかもしれない。
自分の親しい人であれば、どんな形であれ生きていてほしいと願うだろう。その一方で、自分のエゴで無理に生かすことに対して罪悪感を覚えることもあるかもしれない。「その人なら何を希望するか」を考えることも重要だ。

しかし、本人の希望だからと言って鵜呑みにしてはだめで、それが背景文脈の中でどのような意味を持つのかを考えなければいけない。

また、医療者として、どちらかというとこれらの医療介入を差し控える方向に志向性があることを私は自覚しなければいけない。その背景に医療資源の配分の問題などを意識的・無意識的に考えているのかもしれない。


〇障害者の「自立」
トイレに行けなくなった障害者がおむつを受け入れる時、本書によるとそれは障害の「受容」ではなく「自立」である。
介護者が頑張ればトイレに連れていけないことはないが、それは介護者にとっては負担であり、そしておむつにすることを介護者側から言い出すことは時に難しい。本人の尊厳が絡むからだ。
介護者との共存のために、自らの身体を健康で安全に維持するために、主体的に介護者を使いこなす、そうした障害者の意識変革こそが自立なんだと、本書では語られる。

トイレからおむつに代わるというのはネガティブな響きを持ちがちだが、このような発想で考えるとポジティブにも捉えうるんだなと思った。


〇寝たきりの人とのコミュニケーション
本書の著者の母はtotally locked syndromeで、自己表現が一切できないとされてきたが、実はそれは受け手側が受け取れるかどうかの問題である、と本書で語られる。言語的な自己表現はできなくとも、非言語的に多くを語っているのだ。汗、体温、顔色、脈拍など・・・。

インドのマザーハウスでボランティアをした時、寝たきりの(おそらく小児麻痺の)孤児が何人もいた。彼らは言葉をしゃべらず、私には彼らが何を考え何を思っているのかがわからなかった。でも、もしかしたら彼らは彼らなりの自己表現をしていたが、私がそれを読み取れなかった(読み取ろうとしなかった)だけなのかもしれない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ケアをひらく
感想投稿日 : 2021年6月15日
読了日 : 2021年6月15日
本棚登録日 : 2021年5月26日

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