ガリレオの生涯 (光文社古典新訳文庫)

  • 光文社 (2013年1月20日発売)
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創造主がいて、人間が宇宙の中心で、生存の辛さには意味がある。
そう信じることが人間の生存の辛さを軽くする。
自分の力ではどうしようもない辛いことを、意義深いこと、
良きことと考えられることが救いになる。

むしろ古きことを証明してやるのだという厳しい決意。
それでも失敗して、失意を抱く時、人間には正しい知見がもたらされる。
正しい知見は人間(という種)の生存を有利にし、生存の辛さを軽くする。

いずれも、人間の生存の辛さを軽くしてくれる。
ただし、これらが支配者(権力者)に私有されない場合に限る。

前者は不変な静的世界、すなわち豊かさも不変かつ限られ世界になる。
すると、豊かさ得ることは偏に配分の問題になる。ゼロサムである。
よって、誰かの豊かさを増やすことは、他者の取り分を減らすことに等しい。
神が支配者の道具にされると、被支配者の苦難が正当化され、豊かさの収奪が正当化されてしまう。

後者は可変な動的世界、すなわち新たな豊かさ見出すことができる。
すると、ゼロサムではないので、絶対的に全員の豊かさを増やすことができる。
しかし、科学者という蛇口を支配者に押さえられてしまうと、
絶対的な豊かさの増加が支配者にしかもたらされない。

科学と宗教の対立?
「人間の生存の辛さを軽くする」という点において、
むしろ「相補」関係の戦友ではなかろうか。

「科学と権力」「宗教と権力」という組合せがこそ「混ぜるな危険」の「核爆弾」であるようだ。




「ガリレオの生涯」は、ブレヒトがガリレオをネタに「科学と権力」の問題をえがいた戯曲。
セリフがいちいちカッコいいのだ!!




聞けば、ガリレオとやらが、人間を宇宙の中心から
どこぞのすみっこに追っ払ったそうじゃが。
とすれば、彼はあきらかに人類の敵じゃ。
そういうものとして、扱わなきゃならん。
人間が万物の霊長、神の最高最愛の被造物であることは、子供でも知っておる。
それほどの傑作、それほどの努力の結晶を、神が、遠くのちっぽけな、
どんどん遠ざかっていく星に住まわせたりなどなさいますかな。
神のお子をどこか遠くに追いやるのか。
計算表の奴隷となった連中を信用するなどというおかしな人間がいようはずもない。
神の被造物たるもの、こんなことに平気でいられましょうか。

あなたは、ご自分が住み、その恩恵を受けているこの大地を、おとしめようとしておる。
自分の住処を汚しておる!
だからすくなくともこの私は、黙認なんぞしませんぞ。
私はいっとき、どこぞを回転する、どこぞの星のなんかの生物なんぞじゃない。
確固とした大地を確固とした足取りで歩いておる。
その大地は、万物の中心として静止し、私はその真ん中に居て、
創造主のまなざしはこの私に、私だけに注がれておるのじゃ。

すべては、人間であるこの私に関わっておる。
神の努力の結晶、中心に居る被造物、神の似姿、けっして移ろわず、そして......。

この世でのこの哀れな役割以外の役を、考えてくださるお方は、もういないのか?
我々の悲惨には何の意味もなく、飢えは試練ではなく、
ただ何も食べなかったというだけのことなのか?
身を屈めたり、足を引きずる苦労も神に愛でられる功績ではないということなのかと?
もう分かって頂けたでしょうか、私が教皇庁の決定から読み取ったのは、
まさに母のような高貴な慈悲、偉大なる慈愛の心だったのです。

神様が望まれたのは、これ以降は永遠に、すべてが自分より立派なものの周りを廻ること。
そこで回り始めたのさ、けちなものは立派なものの周りを。

太陽に向かってのたもうた、
「止まれ!これからはクレティオ・デイ(神の被造物)は逆に回るのだ
これからはご主人の大地が、下女の太陽の周りを回るんだ」

北イタリアの港湾都市では自分たちの船のために、
ますますガリレオの星図を必要とするようになっている。
そのうち我々も譲歩せざるをえなくなるでしょう、物質的な利害なのですから。

しかし、その星図は彼の異端的な主張に基づいている。
彼の学説を否定したら、決して起こることのないある種の星の運行を想定しているのだから。
学説は断罪しながら、星図は採用する、というわけにはいかないのではないか。




古きものは言う、昔からそうだから今もそうだよ。
新しきもものは言う、よくないものなら消えてもらおう。




美徳というのは、貧困と結びついているわけではないのです。

科学が貧困である最大の理由は、たいていは思い込みが充満しているからだ。
科学の目的は無限の英知の扉を開くことではなく、
無限の誤謬にひとつずつ終止符を打っていくことだ。

地球の静止を証明するという厳しい決意をもって、太陽観察に取りかかることだ!
それに失敗して初めて、完璧に打ちのめされたときに初めて、
自分の傷をなめながら、悲しい気持ちで、
やっぱり地球は廻っているんじゃないか、と疑い始めるんだ。

船に乗った時に、こう叫んだことがあるんですよ、
「岸が遠ざかっていく」と。
今の私なら知っております、岸が動いたのではなく、船が遠ざかっていったのだ、と。

三角形の内角の総和は、教皇庁の要求があっても、変更はできません。
天体の運行を、箒の柄にまたがる魔女の飛行のように計算するわけにはいかないのです。

たしかに、売るときは驢馬を馬だと言い、
買う時は馬を驢馬だという、それが人間の狡猾さだろう。
だけど、雨が降りそうだと思ったら、帽子をかぶる子供、
そういう人間のいることが、僕の希望だ。
ちゃんと根拠を大事にする人たちだ。
そう、僕は、理性が人間に与えるおだやかな力というものを信じている。
人間はいつかそれに抵抗できなくなる。
僕がこうやって、石を落として、しかも石は落ちないと言ったら、
そのうち誰も黙って見てはいられなくなるだろう。
そんなことは、人間には不可能なんだ。
証明のもつ誘惑の力は、あまりに大きい。
たいていは、ときがたつと全員がその力に負ける。
考えることは、人間という種族がもつ最大の楽しみのひとつなんだよ。

僕は人間を、つまり人間の理性を信じていいるんだ!
その信念がなかったら、朝、ベッドから起き上がる力もなくなるほどに。




ガリレオさん、あなたの勝利です。

そうじゃない!
勝ったのは私ではなく、理性(つまり人間)ですよ!

私は思うんだ、科学の唯一の目的は、人間の生存の辛さを軽くすることにある、と。

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7日目 & 7冊目
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読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2020年10月22日
読了日 : 2020年10月20日
本棚登録日 : 2020年10月20日

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