室町幕府論 (講談社学術文庫)

著者 :
  • 講談社 (2023年5月15日発売)
4.33
  • (1)
  • (2)
  • (0)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 44
感想 : 6
4

 「今から600年ほど前の京都に100メートルを超える塔が建っていた」、この掴みで興味関心が一気に呼び起こされる。それは七重の塔で、高さ約110メートルにおよび、中世で最大の高さを有した塔であった、と始まる。
 この巨大な塔を建てた人物は、足利義満。最初に落成したのは応永6年(1399)、場所は賀茂川と高野川が合流して鴨川となる地点、糺の森よりやや西の地点。
 院政期が六勝寺などの大規模造営時代であるのと同様、著者はこの大塔や金閣寺、天龍寺、相国寺等の建造物が相次いで建てられたこの時代にも着目すべきとする。

 最近、室町時代の研究が盛り上がっているが、本書もそのような一冊である。本書では、室町幕府が創建した大規模な建築物や儀礼の再興に焦点をあてて、それらが進められた背景や目的について分析し、さらにそれに必要だった資金調達のあり方を検討するとのことである。(「財政史的観点」というらしい。確かにお金の工面がつかなければ箱ものを建てたり、しっかりした儀式はできない。お金の出し入れから国家のあり方を見ようとする試みとのことで、ある意味当たり前のことだが、それを史料により歴史的事実として明らかにしていくことが求められるということだろうか。)

 相国寺大塔、義満の居所北山第については第3章で述べられる。当初厳しかった幕府財政、柱としては守護からの出資、土倉酒屋役であったが、遣明船による莫大な利潤が、これらの大規模造営や儀礼の復興を実現したとのこと。
 第4章は、幕間と言うには重いテーマであるが、室町時代研究を牽引した佐藤進一の「京都市政権」論についての批判的考察に当てられる。(この辺り研究史的には大変興味深いところなのだろうが、残念ながら文字面を追いかけるに精一杯だった。)
 第5章、第6章は義持の時代について。南北朝動乱からの復興期に当たるこの時代は、復興の資金需要を賄うための土倉や酒屋の発展、神人集団による商業活動の広域展開、また幕府が京に置かれたことから、首都京都と地方との結びつきが強まり都鄙の相互作用が進んだなどの動きが説明される。

 本書は、終わりに大塔のその後を語る。義満死後建造途中で放置されていた大塔が応永23年に焼亡すると、義持は再建を指示する。そして大塔は北山第ではなく、相国寺の寺域に建立されたが、文明2年(1470)雷火により三度目の焼亡を遂げてしまう。しかし、それらの状況を記した資料は驚くほど少ないという。「室町幕府は、みずからの権力を巨大な営造物で誇示する必要はもはやなく、都鄙の交流を通じて肥大化した京の都に軸足を置き、根をはっていたのである。…すでに爛熟していた京にあって大塔という存在は、単なる時代遅れの大きな飾り物の一つに過ぎなくなっていたのだろう。」(293ページ)。義満の時代から義持の時代へと、時代は大きく変わった。それを象徴的に表すものが大塔の運命だったことを深く感じさせられた。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2023年5月25日
読了日 : 2023年5月13日
本棚登録日 : 2023年5月14日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする