花咲家の休日 (徳間文庫 む 9-4)

著者 :
  • 徳間書店 (2014年9月5日発売)
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『お花さんたち、今がとっても楽しい、楽しいは素敵、ってうたってる。お花もいつかはみんな枯れて死んじゃうのに、どうして楽しいのかなあ?』

私たちの命は有限です。それが分かっているからこそ、太古の昔から権力者は不老不死の力を手に入れようと足掻いてきました。もっと身近なところに目を向けましょう。夜になると、美しい夜景が街々に広がります。私もロープウェイに乗ってそんな夜景を見に行ったことを思い出します。しかし、それらがどんなに美しいものであっても『あの灯りは朝が来るまでのもの』です。決して『永遠の光ではありません』。そんな風に考えて夜景を見る人もなかなか少ないかもしれませんが、それが現実です。幾ら美しくても朝になれば消えてしまう、それまでの短い命。『でもあの光の美しさは損なわれるものではありません』というその光。『いつかは消えてしまう光でも、その美しさに変わりは』ありません。それは『人の命も同じです』。光のように命を持たないものでさえ、そして私たち人間や植物のように命を持つものであればなおさら、いつかは消えゆく運命にあります。この現実を『消えてしまうから価値がない、ということにはなりません』と語る村山早紀さん。『ただ一度のその人生の間、地上で輝く儚くも強い光なのですから』と続ける村山さん。普段私たちは命を、そして生きるということを強く意識することはありません。日常生活はそんなことを考える余裕なく過ぎ去っていくものだからです。一方で、心が弱ったり、何かしらのピンチに陥った時、人はその存在を強く意識するようになります。自分の命を意識する瞬間は、他の命のことも思う瞬間でもあります。そんな時、私たちの最も身近に今日も生きているものの存在が浮かび上がります。そう、それが植物です。彼らも限られた時間の中で精一杯生きています。そして、彼らは物言わない存在ながらも、私たち人間のことを太古の昔から最も身近で見続けてきました。もし、そんな彼らと会話することができたなら、私たちのことを最も知っている彼らだからこそ、私たち人間に色んな力を貸してくれるのではないでしょうか。植物たちと会話し、コミュニケーションをとることのできる力。そんな魔法のような力を持った人々がいます。『花咲家』の人々。この作品はそんな『花咲家』の人々が身近な植物と関わり、その力を感じて生きていく、そんな世界を見る物語です。

プロローグとエピローグを含めて七つの短編から構成され、連作短編の形をとるこの作品。“『魔法の力』が『大きな奇跡』を生むその結末に、この作品に出会えた喜びと、その奇跡を感じる幸せな時間〜「花咲家の人々」さてさて氏レビューより抜粋“という読書の幸せを感じる絶品の前作「花咲家の人々」の続編という位置づけのこの作品。村山早紀さんの作品にはなくてはならない『風早(かざはや)の街』。この作品では、そんな街の中でも特に古い歴史を持つ花屋・千草苑の家族が主人公となっていきます。前作を読んでいない人が戸惑わないようにと置かれた冒頭のプロローグでは、世界観の全容と家族五人のプロフィールが語られることもあって、間違ってこの作品から入った方も戸惑わない工夫はされています。しかし「花咲家の人々」は、それ以上に家族のそれぞれを深く知り、物語に圧倒的な深みを与えてくれる内容となっていることもあって、やはり前作から順に読むのがおすすめです。そして今作では『そんな彼らが、ある日ふと出会った、日常の一歩先にある、ちょっと不思議な出来事、夢のような現実のような、そんな事件』が繰り広げられる「花咲家の人々」の一年後の夏の物語が描かれていきます。

『ある月曜日、月に二度の植物園の休園日の朝のことです。花咲家のお父さん、こと草太郎さんは遅めに起床しました』と居間に向かう草太郎は『庭の草木の緑は、夏を喜ぶようにうたってい』るのを聴きます。『比喩でも想像でもなく、植物の声が聞こえる草太郎さんは、笑顔でその歌声を聴きました』と草太郎は息子の桂がこの夏に友人たちと遊びに行く約束をしていると娘の茉莉亜から聞いたことを思い出しました。『楽しそうな夏休みですねえ』と思う草太郎は自身と似ている部分の多い桂のことを考える中で、ふと自分の子どもの頃のことに思いを馳せます。『他の子どもたちには聞こえない、植物の声が聞けるということ ー そのことに必要以上に怯え、悲愴感を覚えていた子ども時代』を思う草太郎はあることを思い出し、自室へ戻ります。『古いライティングデスクの引き出し』から『小さなプラスチックの箱を引っ張り出し』た草太郎。そこには『古びた一枚の銅色の、異国の硬貨』がありました。『この硬貨を「魔法のコインだよ」と渡してくれた友達』のことを思い出す草太郎。それは『小学六年生の頃』のことでした。『星野聖也というその少年のことを、物語の主人公のようだと』思っていた草太郎。聖也は『いつも笑顔で目がきらきらしていて』、『成績も良くて、優しくて、クラスのみんなとも仲良くできて』という転校生。『誰にでもフレンドリーな転校生の席は草太郎さんの隣』だったという二人。『…なんでいつも笑ってるんだよ。何が楽しいっていうんだよ』と思わず口から出てしまった独り言を聞かれてしまった草太郎に『ここでは誰も死なないでしょう?ここには戦争がない。戦場から逃げようとして倒れ、飢えて死ぬ者も…』と妙なことを言う聖也。それをきっかけに親しくなった二人。『花咲くん。君って、ほんとにいい人だよね』という聖也は『君、植物の言葉がわかるって噂があるんだって?素敵だね。魔法使いみたいだね』と語る聖也。そんな聖也に気になることがある草太郎。それは聖也の身体のあちこちに見られる『古い傷跡』でした。『聞いてはいけないような気もして』気づかないふりをした草太郎。そんなある時、『うわあ、勝手に読むなよ』とうっかり机に置いたままにしていた小説を聖也に読まれて驚く草太郎。『面白いね、この話』という聖也。そして『その物語の、世界で最初の、そしてただひとりの読者』になった聖也。『花咲くん、作家になるといいよ』と言う聖也。そんな聖也は『ぼくも、このお話の中に入ってみたいなあ』と言います。『亡国の王子がいいな。隣国に古い王国を攻め滅ぼされて、臣下の魔法使いの手で遠い国へ亡命するんだ』という聖也が語る物語。『ある日ついに故郷へ帰り、臣下を率いて戦い抜いて、見事王国を復活させ、世界に平和を取り戻すんだ』という聖也の希望に沿った物語を書くことを約束する草太郎。そして…という短編〈魔法のコイン〉。C・S・ルイスの小説「ナルニア国ものがたり」とリンクさせ、作品に描かれない世界に読者の想像力がどこまで飛翔していけるかがある意味試される、そんなロマンを感じさせる短編でした。

『花咲家』シリーズの第二弾として刊行されたこの作品は、前作と比べてもファンタジー世界がより色濃く、もはやなんでもありの様相を見せます。それは時空を超え、死神と出会い、そして人間以外に視点が移る物語でもあります。そう、この作品では〈金の瞳と王子様〉の中に小雪という猫が登場し、その猫視点で作品が描かれていきます。村山さんの作品でも〈ルリユール〉など猫視点は登場しますが、この作品に登場する小雪は『あなたはあたしを助けてくれた。冷たい水に沈んで、死んでしまうところだったあたしときょうだいたちを助けてくれた』と、前作で桂が助けてあげた猫のそれからの物語が描かれていきます。『そのことを、あたしは一生忘れないからね。あたしは、あたしの王子様を守るんだ』という健気な小雪視点のその物語では人間と猫の深い関わりが描かれていきます。『飼い猫はたまに、何もないところをじいっと見つめていることがあったり、誰もいない空間に向かって唸り声を上げていたりすることがあります』、という猫の日常の不思議。村山さんは、それを『「ここに来てはいけない」ものたちから、大切な家族を守っている』と書きます。『それが人間に大切にされている猫たちの、昔からの仕事』というまさかの猫の大切な役割。『それがひとのそばにいることを選んだ猫たちの選んだ道』という猫視点だからこそ説得力を帯びる人との関係性。植物に次いで私たちの身近にいる存在としての犬と猫。この作品では、そんな中から猫視点を登場させることで、植物だけでなく、身近な存在である猫についても、その存在と命に光を当てていきます。人間以外の生き物がとる、ふとした行動。それら全てに意味を求め出すとキリがありませんが、このシリーズを読めば読むほどに、人以外の生き物に対する見方が自分の中で変わっていくのを感じます。はっきり言葉にして説明するのは難しいですが、このシリーズを読んで、身近な生き物が愛おしく感じられ、命というものの大切さをより強く感じられるようにもなった、そんな風に感じました。

そんなこの作品世界の一番の魅力は『植物と会話し、見る間に花を咲かせたり、種から生長させることさえできる力。自分が思うままに操ることまでもできる能力』を先祖代々受け継いできたという花咲家の人々の不思議な力にあります。この作品でもそんな力が発動する瞬間を読者は幾度も目撃することになります。それは例えば〈時の草原〉の中の次のようなシーンです。ある場面で友だちが足を滑らせ『滝壺へと落ちて行』くという緊急事態。『待って』と叫ぶ桂は『滝のそばの草木、その、雨に濡れた緑の葉と花、枝に手を』つきます。そして、言葉ではなく一心の願いをした桂。それにより『奇跡が起きま』す。『桂の足下から、ざわざわと音を立てて草木が茂り、渦を巻くように伸び』、落ちて行く友だちを追いかけます。『同時に、下の方で滝壺を取り巻くように茂っていた緑たち』も動き出します。『一斉に立ち上がり、枝葉を伸ばして、互いに絡まり合い、まるで緑のクッションがそこに突如として生まれたというように、組み合わ』さるその瞬間。落ちていった友だちの『体と一緒に水にばしゃりと沈みながら』も『無事に受け止めたのでした』というそのシーン。荒唐無稽と言ってしまえばそれまでですが、『古くから魔法じみた出来事や伝説が多い街』とされる『風早の街』だからこそのこの奇跡は村山さんの作品世界に入り込めば入り込むほどに全く不自然さを感じなくなっていくから不思議です。日本にははっきりとした四季があります。それを彩るのは植物たちであり、日本人は昔からその生活を植物たちと共に過ごしてきました。盆栽や生け花、和歌や俳句、そして料理の繊細な盛り付けなどにも植物は大切な役割を果たしています。仕事や勉強で疲れた時に、庭の緑を見て目を休める、緑の中でリフレッシュする、さらに私たちは日常の中での慶事に花を送り、それに意味を見出してさえいます。それにより、私たちの心は時に癒され、勇気づけられる。そう、実は私たちの誰もが、知らず知らずのうちに植物たちの力を借りて、植物たちの力に支えられて生きているとも言えます。この作品世界で植物たちが人と生き、人のことを思い、そして人を助けてくれるというその光景は、実は私たちの日々の植物たちとの関わりの延長線上にある話であって、単に荒唐無稽と突き放すこと、それ自体が余程荒唐無稽なことであるとも言えるのではないか、この作品を読んでそんな風にも感じました。

『花咲家』の人々のその後を描いたシリーズ第二弾のこの作品では、前作以上にファンタジー色の強い、不思議世界を垣間見ることができました。しかし一方で、私たちの周囲にある多数の植物たちを見る時、そこには確かに命があり、彼らが長年に渡って私たち人間のこともずっと見つめてきた存在であるという事実にも思い至ります。植物たちとコミュニケーションをとることのできる『花咲家』の人々が持つ力。それはそんな植物たちのことを愛しみ、大切にしてきた彼らの先祖が偶然ではなく必然として手に入れた力なのかもしれません。

前作同様、そっと触らないと壊れてしまいそうな優しい世界観の物語、改めて、この世界に出会えたことの喜びをゆっくりと噛みしめた、そんな作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 村山早紀さん
感想投稿日 : 2021年1月25日
読了日 : 2020年11月1日
本棚登録日 : 2021年1月25日

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