正しい愛と理想の息子

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  • 光文社 (2018年11月20日発売)
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『自分の子どもを愛していますか?と訊かれたら、わたしは自信をもって「はい」と答えるだろう。この世の誰よりも、心から、わたしはわたしの息子を愛しています』と語る寺地はるなさん。

あなたが”愛しています”と誰かから言われたのはいつのことでしょうか?特に欧米人と比較して日本人は”愛している”ということを安易に口にすることを躊躇します。下手にそんな言葉を聞くと却って疑いたくもなります。しかし、言葉には出さなくても心の中では言葉に出せば”愛しています”と表現される感情を、あなたも今、身近な誰かに対して抱いているとも思います。そんな対象の一つが自分の子どもでしょうか。日本人で自分の子どもに”愛している”などと言ったことのある人はぼぼいないと思いますが、言葉に出さずとも、子どもを愛しむ気持ちには変わりはないでしょう。それは、過去のあなたを育ててくれた両親だって同じはずです。”愛されて”育ち、今度は”愛して”育てる、人の世はこの繰り返しで回っているのだと思います。しかし、幾ら愛したって、幾ら愛されたって、それが双方にとって必ずしも幸せになるとは限りません。親子関係がそんなに単純なものであるなら、誰も苦労はしません。親が子どものことを思い、全力で”愛した”その結果が、その子どもの未来にとって必ずしも最善なものになるとは言えないという現実を前に『わたしの愛が、わたしの子どもの人生にとって有益なものであるかどうかはわかりません』と語る寺地さん。

そう、この作品はそんな寺地さんが綴る『正しい愛』とはなんなのか、『理想の息子』とはなんなのか、を考えていく物語です。

『黒いスエードケースの中のダイヤモンドを、女が目を輝かせてのぞきこむ。午後三時の喫茶店』という場面。『女はなかなかの美人で、鼻の下をのばしているあの男はたぶん一時間以内に契約書に判を押してしまう。お気の毒に』と思うのは主人公の長谷眞。『最初に必要になるのが婚約指輪ですね』、『女性はやはり憧れるのではありませんか?なにせ一生に一度のことですから』と畳みかけるように説明する眞。『今のうちに石だけ先に買って準備しておくんです』、『ネックレスに加工しておけば、普段から身につけられます』と続ける眞に、『はあ、なるほど』と頷く女性。『言ってみれば、投資ですよね。おふたりの、幸せな未来への投資』と駄目押しする眞は『それにこれだけのクラスのダイヤ、他ではこの価格では手に入りませんから』と言い添えます。『ジュエリーデザイナー。俺のSNSのアカウントにはそう書いている』という眞。一方、『目の前の男女もまた、SNSで知り合った。男のほうから誘って、交際に至った』と事情を何故か知る眞は男からメールで逐一報告を受けていました。『でも、さすがに九十万はちょっと、今は無理です』という女。『…こっちは、お客さん全員にお見せしているわけではないのですが。特別ですよ』と念を押して眞は『ひとまわり小ぶりな宝石ケースを取り出』しました。『プラチナの土台にアクアマリンとダイヤモンドが交互に並んだ』その指輪。『もちろんイミテーションだ』というその指輪。『ペアで四十万円です』と説明する眞は、『四十万円は大金だ。でも九十万円のあとだと、ずいぶん安く感じられるはず』と考えています。『ねえ、買おうよ。えっちゃん。買おう』と言う男。指輪は女の指にぴったりはまります。『現在はフリーターでいらっしゃるんですね』と聞く眞。『ごめんね、えっちゃん。僕が就職できないからローンが組めなくて』と言う男。『りょうちゃんってば』と言いながら『女が男の手を握りかえ』し『私が買います』と言う女。『毎月ちょっとずつ返してくれたらいいからさ』という女は『喫茶店の向かいのATMで金を引き出し、四十万円を支払った』という展開。ふたりが去った後に自らの住処へと戻る眞。『鞄から封筒を取り出して、一万円札を床に一枚ずつ並べた』眞は『心が「ようやく」という感慨でひたひたに満たされる』のを感じます。そんな眞と、ペアを組む沖遼太郎の詐欺にまみれた人生、そしてその中で『正しい愛』とはなんなのかを見つけていく物語が描かれていきます。

『おふたりの、幸せな未来への投資』という甘い言葉を決め台詞に、まさしく詐欺が行われようとしている衝撃的な場面から始まるこの作品。小説の冒頭は、その作品にどれだけ入り込めるかを見極める上でもとても重要ですが、まさに犯罪が行われようとしている現場の、かつその詐欺師視点として物語に入っていくことになる読者は、いやがうえにも一気にこの小説の世界に引き込まれていきます。しかし、読者の気持ちとしては、視点側の眞ではなく、今まさに騙されようとしている女の側に警告を発したい、そんな思いに囚われます。しかし、眞のそれまでの人生、境遇が振り返られると読者の中に眞に対する複雑な感情が襲ってきます。『脚のきれいな女と、スルメ工場勤めのかたわら寸借詐欺を働いていた男は偶然出会い、気まぐれに子どもをもうけた』という眞の出自。そして『施設にほうりこんでも良かったけど、子どもは意外と役に立つかもしれんと思った。だから、俺が育てることにした』という父親のもとに育った眞。そんな眞は『三十二歳で、清掃会社でバイトしている男。偽宝石売りであることを知らぬ他人から見たら、俺はそんな男だ』と自分のことを見ています。しかしそんな眞は『ショッピングモールの床をモップでこすることだけが俺の人生のすべてではない』と思って生きています。そして上記で紹介した詐欺行為をする際には『女にとって四十万がはした金じゃないことは、もちろん俺にもわかっている』が『良心は痛まない。痛めてはいけない』と自分に言い聞かせます。『ほんの数か月とはいえ』、男と付き合うことができ、将来の甘い夢を見ることができた、『その対価だと思えばいい』という一見説得力がありそうに見えて、なんとも身勝手な自己擁護の理屈を展開する眞。そして『俺たちは俺たちの人生から降りられない』という信念の元、突き進む眞。本物の詐欺師がどんな感情を持って生きているのかは分かりませんが、生きていくためには、そして自らが日々行う行為に意味を持つためにも、彼らなりの論理・理屈というものがあるのだと思いました。しかし、これは納得できない、納得などしたくない論理・理屈でもあります。この辺り、詐欺師が主人公という設定のなんとも言えないもどかしさ、主人公に感情移入しきれないもどかしさを感じる物語だとまずは感じました。

『愛なしに子どもは育てられないのかもしれないが、愛だけでも、子どもは育てられない』と語る寺地さん。この作品でも、主人公の眞、そしてその相棒の沖、さらには親子二代で民生委員という山田民恵など、幾つかの親子の関係が提示されていきます。そのそれぞれにおいて、形は必ずしも同じではないとしても親が子どもにかける愛というものが確かに存在していたことがわかります。すっかり大人になった今でも『いまだに母親に認めてもらいたがる沖』がいる一方で『沖を理想の息子の型にはめようと躍起になった沖の母』がいたのも事実です。子どもに不幸せになって欲しいと願う親はいません。こうすれば子どもが幸せになるだろう、と考える限りを尽くして、子どもに愛情を注いでいく、それが一般論としての親の姿だと思います。自分が良かれと思って、自分が正しいと思って、精一杯注いだ愛情の先に未来が開けると考えるのも当然のことだと思います。しかし、そんな風にある意味がんじがらめに、親の理想像の中に生きることを余儀なくされた子どもにとって、それを正しいと感じるかどうかは別物です。また、その先に本当に正しい未来が訪れるとも限りません。『そもそも愛などというのは、世間で言われているほどきれいで尊いものなのだろうか』と疑問を呈される寺地さん。いつもながらに奥深い問題を提示される寺地さんがおっしゃる通り、”愛しています”という一見、美しく尊い響きの言葉の意味するところ、その感情の行き着く先を考えれば考えるほどに、『正しい愛』とはなんなのか、その答えを単純に語ることなどできないと思いました。

「正しい愛と理想の息子」という問題提起を感じさせる書名を冠したこの作品。”愛しています”という言葉に絶対正義のような感情を抱いてしまう私たちですが、そこには『愛しているからこそ、まちがってしまう』という思わぬ結果が待ち受けている可能性があることをこの作品で見せていただきました。

難しいテーマを優しい筆致とハッとする言葉の数々でわかりやすく問題提起してくれるこの作品。絶妙に張り巡らせられた伏線の数々と、未来の垣間見えるさわやかな結末に、なるほどね、と感じた作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 寺地はるなさん
感想投稿日 : 2020年11月19日
読了日 : 2020年10月26日
本棚登録日 : 2020年11月19日

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