リセット(新装版) (双葉文庫)

著者 :
  • 双葉社 (2020年4月15日発売)
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本棚登録 : 1718
感想 : 150
5

あなたは、今の人生に満足していますか?

もし、その答えが”NO”であるとしたら、
あなたの人生を見直してみませんか?
あなたの人生を変えてみませんか?
そして、あなたの人生をやり直してみませんか?
…な〜んて書くと怪しさ満点ですよね。ご安心ください。変な勧誘をするつもりは全くございません(笑)

さて、変な勧誘はしませんが、”人生をやり直す”という言葉の響きに何かしら魅力を感じる方は多いと思います。もちろん、普通にはそんなことはできません。でも、ふと思い返してみてください。勉強机のお腹のところにある浅い引き出し。あの中に夢の”道具”が入っている彼の部屋を見たことがありますよね?そう、そうです。あの”道具”を使えば過去には行けるかもしれません。でも、今、話題にしているのは”人生をやり直す”ことです。あの”道具”では今のあなたの姿のままに過去を訪れることができるだけです。例えば大人のあなたが高校の教室の中に突然現れたとしたら、通報されて万事休すとなるだけです。大切なのは、過去のあなたの”身体”の中に今のあなたの”心”だけが『タイムスリップ』しなければならないということです。そんなことができたなら…。最近身体を動かすのが億劫になって、とか、最近しわが増えて白髪も増えて、といった悩みとは無縁の世界、”身体”だけが高校生というまさかの世界がそこに広がっていきます。

そんな、まさかの”妄想”の世界。現実にはありえないと思われるそんな”妄想”の世界を現実にしてくれる居酒屋が新宿にあるそうです。『遠来の客』というそのお店。『追加のご注文は、「高校三年生」でよろしいですか?』と訊く店員に”YES”と注文したその先に、三十年前のあの制服の日々が現実のものとなるそのお店。この作品は、そんな三十年前の自分に戻った三人の女性たちが『タイムスリップするなんて、SF小説の中だけだと思ってたよ』というその先に繋がる”やり直し”の人生を生きていく物語です。

『掃除機のスイッチを切ると、いきなりリビングに静寂が訪れた』という部屋でソファに座る香山知子は『もしも人生をやり直せれば、絶対に専業主婦になんかならない』と思いつつ、『女優として活躍する自分の姿』を想像します。一方、『お母ちゃん、なんでいっぺんも私を褒めてくれへんの?』と過去を振り返るのは黒川薫。『難関と言われる大学に合格し、会社に勤めてからも、努力を重ねて二年前には副部長になった』にも関わらず『四十にもなってひとりは淋しいやろ』と言う母を思い出す薫は『高校時代からもう一度人生をやり直したい』、『結婚して子供を産む』、『そしたら…お母ちゃんが褒めてくれる』と考えます。さらに一方、『昼間はコンビニエンスストアでレジを叩き、夜中はスーパー銭湯の清掃をして』腰が痛いというのは『高校中退の四十女に正社員の道などあるはずもな』いと嘆く赤坂晴美。『あんな男に騙されな』ければと過去を思う晴美。舞台は変わり『新宿にあるデパートの七階』で故郷の『青海町』の文字を見つけた知子。『兵庫県物産展の垂れ幕』の中を覗き、『きな粉をまぶした団子が載っている試食用の小さな皿を手に』した知子。そんな時『あっ、知子?もしかして…知子じゃない?』、『薫、元気にしてた?』という中学、高校と同級生だった知子と薫の偶然の再開。そして『うそっ!?あんた知子じゃん。えっ何、そっちは薫!?』、『わたしだよ、わ、た、し。赤坂晴美だよ』と訳ありで高校を中退した晴美までもが偶然に居合わせたその場所。『どうせなら飲もうよ』と『晴美は言いながらバッグから割引券を取り出し』ます。『へえ、〈遠来の客〉か。いい感じの店だね』とその店へと向かう三人。しかし『あれっ?行き止まりだよ』、『本当だ。この地図、おかしいよ』という状況。しかし『前方のどん詰まり』にあった『威風堂々とした中世ヨーロッパの牢獄のような建物』に『遠来の客』という文字を見つけた三人。中に入ると『いらっしゃいませ』と、六十歳くらいの店員が迎えてくれました。『客はひとりもいなかった』というそのお店。『幼い頃に読んだ、不思議な洞窟に迷い込んでしまう童話を思い出す』知子。乾杯をし、飲み始めた中で『人生、やり直したいなあ』とため息混じりに言う知子。しかし、『私は別にやり直したいとは思わないけどね。今の生活に満足してるし』と口に出しながらも『人生をやり直せるものならば、いちからやり直したいに決まっているじゃないか』と心の中で思う薫。『えっ、本当?不幸なのは私だけなの?』と戸惑う知子。そんな中、店員が『追加のご注文は、「高校三年生」でよろしいですか?』と唐突に尋ねます。『カクテルの名前かもしれない』と思う知子の横から『まっ、とりあえず、その「高校三年生」とやら、いってみよう』と酔った晴美が注文します。『承りました』と言った店員は『大きな抽象画を』、『壁から外』し、『では、三十になります』と言って『「3」と「0」と書かれた石を』押し込みました。そして場面は変わり『おい、黒川薫、どうしたんや。早う、続き読んでえな』という声に、『意識が朦朧とする中』やっとの思いで顔を上げた知子は『高校生だ。制服姿の高校生が前後左右にたくさん座っている』という光景を目にし、『ここはいったいどこ?』と思います。そして、知子、薫、晴美の三人が、心は四十七歳のままに、まさかの高校三年生のあの時代に戻ってしまった”やり直し”の物語が始まりました。

『高校時代には話をしたことはほとんどなかったはずだし、卒業後もつき合いはなかった』というかつての同級生三人。今や四十七歳になったそんな三人が偶然の再会を経て、まさかの三十年前、高校三年の四月の高校の教室へと『タイムスリップ』する!というこの作品。『タイムスリップ』と聞くと、もうそれだけでたまらなく興奮する私。Amazonの”あらすじ”を読み終わる前にすでにポチッと押していたという衝動買いをしてしまった作品です。『タイムスリップ』を扱った作品はこの世に多々あります。『タイムスリップ』ものの元祖とも言える映画「バックトゥー・ザ・フューチャー」の他、小説も多々刊行されています。ただ、そんな作品を知らなくてもあなたが日本人なら『タイムスリップ』はもうお馴染みですよね。ご自身では認識されていないかもしれませんが、圧倒的大半の日本人が人生最初の『タイムスリップ』と出会うのは「ドラえもん」です。そう、私たち日本人は、”時を超えることができるかもしれない”という感覚を幼い頃から自然に醸成されて育ってきているのです。大人になって『タイムスリップ』を取り上げた作品に違和感なく入っていけるのは「ドラえもん」あってのこと。藤子不二雄先生の偉大な功績には改めて感心させられることしきりです。

さて、そんな『タイムスリップ』を扱ったこの作品は三人の女性が主人公となります。かつて同じ高校時代を送った三人も今やそれぞれ全く異なる人生を歩み、それぞれに不満を抱えています。『人生をやり直せれば、絶対に専業主婦になんかならない』と思う知子は『女優として活躍する自分の姿』を思い浮かべます。難関大学を卒業し、会社で副部長にまでなった薫は『人生をやり直したい…短大へ行って、卒業後は地元で就職して、二、三年したら結婚して子供を産む』という人生を思い浮かべます。そして、『タイムマシンで戻れるものなら、高校時代に戻りたい』と思い、『絶対にあんな男に騙されないで、ちゃんと高校を卒業』して『平凡』な暮らしがしたいと思う晴美、と三人はそれぞれの現状を憂い、それぞれにこうありたいという思いを胸に抱いていました。そんな三人が偶然に再開したこと、そして『遠来の客』という居酒屋を訪れたことがきっかけとなり、まさかの『タイムスリップ』によって、そんな今までの”人生をやり直す”機会が与えられたその先の物語が描かれていきます。

私たちは過去に撮影した写真や動画によって、過去を見ることはできます。しかし、それらはあくまで記録であって、そのことを分かった上でそれらを見る分には過去はどこまで行っても過去にすぎません。その一方で、高校三年のあの時代へとまさかの『タイムスリップ』をした三人が見るものは全てがリアルです。『若き日の夫だ!』とリアルな高校三年を生きる夫の姿に感動し、自宅の台所に立つと『使い捨て時代に突入する前の、物の溢れていない暮らしの清々しさ』を感じるなど、三人の新鮮な驚きが描かれていく〈第二章 三十年前へ〉は、読み応え十分です。そして『今は昭和五十年代の前半なのである』という時代へと遡った三人は、”身体”だけは高校生という設定の中、その時代を生き抜いていきます。『タイムスリップ』ものの掟として『大切なことは、他人の人生を変えないことだよ』という点を意識する三人。しかし、三人は”人生をやり直したかった”という思いを持っている以上、その人生は元のものからはどんどん外れていきます。『忘れもしない』と、自身の運命を大きく暗転させるきっかけとなったある日を注意深く乗り切っていくなどしながら、新たな人生を作り上げていく三人。その先に描かれるのは、三人がこうしたい、こうなりたいと思い描いていた”やり直し”の人生の先に待つ姿でした。『そうよ晴美、新しい人生の始まりよ』という本来存在しなかったはずの人生を歩み始めた三人。

そんな描写の中でとても興味深く描かれるのが『十代というのはなんと恥ずかしい存在なのだろう』と四十七歳の視点から見る高校生の自分たちの姿でした。あなたは自分が十代だった頃に、自分の親とどのように関わりを持っていたでしょうか?すでに当時の親の年齢を超えているという方もいるかもしれませんが、『タイムスリップ』の先の世界ではそんな過去の親の姿を垣間見ることになります。『母の横顔を見つめる。若い!自分が十七だから、えっ?四十三歳!元の世界での自分よりも、今の母の方が年下なのだ』というその世界に見る母親の姿は、記憶に残っている母親の姿とは全く異なるものでした。『早朝から夜遅くまで働いている母を、なぜ少しでも助けてやろうと思わなかったのだろう』。『母はじっと何かに耐えながら、ひたむきに一生懸命働いていた』。そして、『あんな小さな背中で休みなく働いている母に小遣いをせびり、不良仲間と夜中まで遊びまわっていた』と年齢が逆転したからこそ見えてきたあの時代の母親の姿に動揺を隠せない三人。そんな母親を見やる三人の内面の丁寧な描写が後半へと向かう物語に強い説得力を生んでいきます。

そして、この作品が凄い!と感じたのは、『タイムスリップ』ものではあっても、その事象そのものよりも、”やり直した人生”を描くことに主軸が置かれているということです。過去に『タイムスリップ』した三人は、自分が望んだ人生を手にするためにそれぞれの一歩を踏み出していきます。せっかく”人生をやり直す”機会を得たのですからこれは当然のことです。そんな物語は、〈第四章 十五年後〉において、なんとやり直しの人生の中での十五年後の世界、三十二歳になった三人の姿を描いていきます。『タイムスリップ』を取り上げた作品は多々あると思いますが、こんなにも長きに渡って『タイムスリップ』した人間の人生を描いていく作品もそうはないのではないかと思います。そんな長期に渡る人生が描かれるからこそ、こんな面白い表現が登場します。『馬鹿にされる前に相手を褒めて予防線を張る。そういうことを覚えるほどには大人になっている。今は三十代だが、通算六十年以上も生きているのだ』という衝撃の表現。”やり直し”の人生だからこそこの『六十年以上も生きている』という表現が登場する余地が生まれます。本来であれば六十代のはずが三十代の肉体を持つ三人。三十代の”身体”を使って六十代の人生経験で戦える”やり直しの人生!”これはとても面白い発想です。この辺り、『タイムスリップ』という設定を単に過去に遡るだけにしないこの作品のオリジナリティをとても感じると共に、その構成の巧みさにすっかり魅せられてしまいました。

そんな物語は、〈第五章 リセットボタン〉という見出しでどことなく想像できる展開へと進みます。『もしも店が当時のまま再現されるとしたら、自分はどうすべきなのだろう。もう一度タイムスリップするのか、それともこのままの人生でいくのか。自問自答するが、答えは出ない』という物語の一番の山場。ネタバレになるので詳述は避けますが、それまで丁寧に描かれてきた主人公たちの姿があってこその納得感のある結末へと物語は進んでいきます。そんな物語を読んで強く感じたのは『自分に何が向いているのかを見極めるのは本当に難しいと思う』という現実です。私自身、今までの自分の人生を振り返って、立ち止まって思い悩んだ日々があったことを思い出します。あの時、ああしていればどうなっていただろうな?と思うことはよくあります。そういう時に限って、そんな時の自分は何かに悩み苦しんでいることが多い、そんな風にも思います。一方で、この作品を読んで『人生を何度やり直したところでわからないのではないか』という言葉の説得力も強く感じます。人生に答えなどないのではないか、その時、その瞬間にできることを精一杯やる、未来になって振り返った時、あの時、あの瞬間、と後悔しない今を精一杯を生きる。どんな人生を生きたとしても、その感覚さえ忘れなければ、人生の最後の瞬間に、”まあいい人生だったかな”と思ってこの世に別れを告げられるのではないか、そんな風に思いました。

『私は長年、古い体質の日本社会で女性として生きることの難しさや息苦しさを感じてきました。その思いを、すべて吐き出したんです』と語る垣谷美雨さん。そんな垣谷さんの思いのこもったこの作品では、三人の女性の前にそれぞれ立ち塞がるように現れる人生の苦難の数々と、それに不満を抱きながらも前に進めないでいる三人の姿が描かれていました。しかし、彼女たちは『タイムスリップ』というまさかの体験によって、不満を抱いているだけでは何も進まない、自分から前に進む、自分自身が納得できる未来へと続く一歩を踏み出していくことの大切さに気づく機会を得ました。『本当にうまくいかないね、人生って』というとおり、何でもかんでも上手くいく人生なんてありえません。なんの不満もない人生を生きている人などこの世にいないと思います。そんな時、どうするべきなのか、不満をただただ抱えながら生きる人生を選ぶのか?それとも…。

あなたの人生はあなたのものです。『タイムスリップ』なんてできなくたっていくらでも”やり直し”ができる、いつだって、何歳になったって。それは決して遅くなんかない!すべてはいつも自分次第!そんなことを教えてくれたこの作品。前を向く人だけが手にすることのできる無限の可能性を存分に感じさせてくれた、思った以上に深いところを突く傑作でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 垣谷美雨さん
感想投稿日 : 2021年5月10日
読了日 : 2021年3月6日
本棚登録日 : 2021年5月10日

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