鎌倉うずまき案内所

著者 :
  • 宝島社 (2019年7月12日発売)
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あなたは、六年前の自分が何を思い、何を考え、そして、何を望んでいたかを覚えているでしょうか?

あなたの年齢によっても六年という期間を長いと考えるか、短いと考えるかは異なってくると思います。歳を重ねれば重ねるほどに年月もいうのは圧縮されるようにも感じます。しかし、六年という歳月は小学校一年だったあなたが、中学一年に進んでいる、そんな時間の長さでもあるのです。もしかしたら、そんな今のあなたは六年前に『僕はなんのためにこの会社にいるんだろう』、『親として、これからどうやって彼をサポートしていけばいいんだろう』、そして『私はなんのためにこの世に生を受けたの』だろう、というように、様々な悩みの中で身動きが取れなくなってしまっていたかもしれません。

人の悩みは人それぞれです。また悩みも時間の流れによって変化してもいきます。そして、そんな悩みに向き合い、もがき苦しんだ結果が今のあなたを作り出しているとも言えます。苦しみながらも生きてきた、そんな今のあなた自身を褒めてあげていいのだと思います。

しかし、自分の苦しみとその結果は全て見える一方で、他人の苦しみを目にすることはできません。それ故に『ヒロチューってまだ二十三歳なんだろ…年商五百億だって』と『誰もが知る若いIT社長』の話を聞くと、『雇われのサラリーマンだったことなんかあるだろうか』と思い、『遊んでるみたいな生活しながら』成功を掴んだそんな人物に『まじめに会社勤めしてる自分がばかばかしく思えてくる』という妬みの感情も生まれてくるかもしれません。この感情は、今見えている、成功したその人の姿しか見えないために生まれる感情とも言えます。しかし、苦労した過去の自分の先に今があるなら、そんな他人にだってその人を作ってきた歴史があったはずです。

ここに青山美智子さんが2019年に発表された作品があります。三十年の年月を経て終わりを告げた平成という時代を描いたこの作品。”きっかけ”、”起点”を大切に描く青山さんが綴るこの作品。それは、今を生きる人たちの三十年の時間を遡ることで、そんな彼らの苦難の歴史を紐解く物語。過去を遡っていく画期的な構成が、そこに驚きと感動を紡ぎ出す物語です。

『平成が、終わった。二〇一九年四月三十日、それは華やかな幕引きだった』と振り返るのはこの短編の主人公・早坂瞬(はやさか しゅん)。『改元がもたらした十連休が明け』て出勤した瞬は、『平成になったとき大学三年生だった』という上司の折江から当時の話を聞かされます。『愛車の赤いプレリュードを乗り回し、イタメシ屋でアルバイトをしていた』という若かりし時代を語る折江。そんな折江に渡せずに『鞄の中にしまい込んだ白い封筒』を思い、ため息をつく瞬。『平成と令和、ふたつの時代を、僕は退職願と一緒にまたいでしまった』と思う瞬は、鎌倉駅へとやって来ました。『早坂くん、時間、大丈夫?』と訊くのは四歳年上でフリーライターのノギちゃん。『都内の出版社に』七年前に入社し、『主婦向けの女性誌「ミモザ」編集部に配属されてからは六年になる』という瞬は、『ヒトツナギ』というリレー形式の連載記事の取材に鎌倉を訪れました。『もう鎌倉駅には着いているのですが、五分ほど遅れるかもしれません』と『取材先の古民家カフェに電話』すると取材相手の黒祖ロイドはすでに待っているようです。そして到着した店で『は、はじめまして。今日はよろしくお願いいたします』と名刺交換の後に始まったインタビュー。トイレに立った黒祖を待つ間、『早坂さん、もう折江さんに会社辞めるって話しました?』とカメラマンの笠原に訊かれる瞬。『もう企業に縛られる時代じゃないでしょ』と続ける笠原にはっきり返せない瞬。そんな所に黒祖が戻って来ましたが、『ああ、しまった。煙草が切れた』と言う黒祖に、『同じ銘柄でいいですか』と瞬は指定されたグロサリーにタバコを買いに出ます。ライターのノギちゃん、カメラマンの笠原、そして作家の黒祖…『自分の名前ひとつで身を立てるスペシャリストたち』と出版社の一社員でしかない自分と比較して考えこむ瞬は、『どうも、道を間違えたみたいだ』と『見おぼえのない風景』に行きあたって戸惑います。そんな時『達筆な毛筆で「鎌倉うずまき案内所」』という看板に行き当たり、地下へと続く螺旋階段を降り始めた瞬。たどり着いた部屋には『グレーのスーツを着た小柄な爺さんがふたり』、『頭の上あたりの壁に、フリスビーみたいな丸い巻貝』がかかった横でオセロをしていました。突然、『はぐれましたか?』と訊かれた瞬は、『「はぐれる」という言葉は今の自分に』しっくりくるように感じます。『そうだ、僕は今、はぐれている。あの会社から。仕事から。自分のやりたいことから』と思う瞬に、『ワタクシが外巻きで』『ワタクシが内巻でございます』と挨拶する二人。その次の瞬間、『ぐらりと視界が揺れ』、気づいたら『峰文社が出している「DAP」という雑誌の編集がやりたくて、この会社を受けた』と今までの人生がフラッシュバックする瞬。次の瞬間、『ナイスうずまき!』と爺さんたちが叫び、壁の巻貝が動き始めました。『うちの所長です』と伝える爺さんは『変化を恐れず味方につけよ、と申しております』と所長の言葉を瞬に伝えます。そんな不思議な体験をした瞬が『変化を味方にしながら、もっともっと力をつけて僕がいつか…』と変わっていく、そんな力強い物語が描かれていきます…というこの短編。物語の起点として、過去に時間軸を順に遡っていく物語の起点として、読み返せばオールスターが勢揃いする豪華な短編であることに気づく好編でした。

2019年4月30日、三十年続いた平成の世が終わりました。この作品は六つの短編が連作短編の形式を取りながら、そんな平成の世の三十年を六つの時代で切り取り、かつ現代から過去に遡っていくという非常に画期的な構成を取っています。言うまでもなく時間軸は過去から現代へと向かっています。過去の何かしらの結果が現代に生きる我々を作り出してもいます。何十年にも渡った時代の変遷を描いた小説は多々ありますが、それらは当然に時間軸に沿ったものです。時間軸を逆に遡っていくというのは作者にとっても読者にとっても大きな冒険です。私が読んできた小説の中でこれを見事に展開したのは桜木紫乃さん「ホテルローヤル」位しか記憶にありません。そんな桜木さんの『雑誌のインタビュー記事を読んで以来ずっと(勝手に)勇気づけられてきた』とおっしゃる青山美智子さん。そんな青山さんがこの作品で展開する物語は、「ホテルローヤル」を超える、圧倒的な伏線に埋め尽くされた物語でした。

そんな風に時間軸を過去に遡っていく物語となると、それぞれの時代の時代感を如何に出すかは一つのポイントです。六年ごとに遡っていく物語の中でそんな時代感の描写のごく一部を、切り取られた時代とともにご紹介しましょう。
・2019年〈蚊取り線香の巻〉:
- 廊下に設置されたコルクボードには、「FREE Wi-Fi」の貼り紙
- 消費税が…今年の十月からは十パーセントになりますよね、どこまでいくのか
・2013年〈つむじの巻〉
- テレビでAKB48が『恋するフォーチュンクッキー』を歌っている
- 二〇一四年の四月以降は、あらゆる商品の消費税が八パーセントになる
・2007年〈巻き寿司の巻〉
- 「そんなのカンケイねえ!そんなのカンケイねえ!」小島よしおだ。最近ブレイクしたパンツ一丁の芸人
- 使い込んで傷だらけのMP3プレイヤー
・2001年〈ト音記号の巻〉
- 四月に小泉純一郎って人が総理大臣になって、なんだか今までと世間の反応が違う
- 消費税五パーセントを合わせて、千百五十五円
・1995年〈花丸の巻〉
- ホットパンツのポケットからマッチ箱みたいな四角いものを取り出す。ポケベルだった
- フロッピーに文書がちゃんと保存されているのを確かめ、感熱紙に印刷しながら
- 消費税三パーセント込みで九十円の俺の昼めしだ
・1989年〈ソフトクリームの巻〉
- ラジカセの脇にカセットテープのケースがいくつか置かれている
- おニャン子クラブと秋元康なら私もなんとなく知っている
- 四月から消費税が三パーセントつくでしょ
という感じで、消費税、通信機器、その他時代を象徴するような人物も登場させながらその時代、その時代が見事に描き分けられていきます。この鮮やかな描写は、これらの時代をこの国でリアルに見てこられた方とそうでないと方とでは随分と印象が変わるのではないかと思います。青山さんは、その観点から、2019年に五十二歳という折江にこんな風に語らせます。『なつかしいって感情は、年長者へのご褒美みたいなものだよね。時がたてばたつほど、美味くなる』。もちろん、この作品は幅広い年齢層にそれぞれの楽しみ方を提供している作品だと思いますが、この作品を真に楽しめるのは、この三十年の時代を必死で生きてきた人たち。この作品はそんな人たちにご褒美的楽しみを提供してくれる作品でもある、そう思いました。

そんな風に時間を遡っていく作品は、言ってみれば答え合わせから作品を読んでいくことになります。小説の醍醐味はこんな苦難の時代を送った彼、どん底に生きた彼に、物語の結末に光輝く未来が待っていた、めでたし、めでたし…という苦闘を経て歓喜に至る、ベートーヴェンの第九のようなストーリー展開でしょう。しかし、時間軸を遡るということは、先にその歓喜する様を見てしまった後に、苦闘している様を見ることになります。これはどう考えても違和感があります。そんな流れで私たちが小説から感動を得ることはできないでしょう。ある種のハラハラドキドキ感は小説を読む上で欠かせません。それを解決するためにこの作品には凝りに凝った青山さんならではの構成が待っていました。ネタバレにならない範囲で、かつ押さえておくべき!という観点でこのことを一つ書いておきたいと思います。最初の短編で、主人公の瞬は、『ヒトツナギ』というリレー形式の記事の取材に古民家カフェを訪れます。そして、SF作家の黒祖ロイドの取材の場面が登場します。そんな黒祖にインタビューのリレーをしたのは、『大御所女優、紅珊瑚(くれない さんご)』でした。『めったに顔出しをしない』という黒祖が紅珊瑚からの紹介によって『異例のOK』を出したというこの企画。そんな黒祖は、次に『誰もが知る若いIT社長』というヒロチューへとバトンを渡していきます。メインのストーリーはあくまで瞬が『鞄の中にしまい込んだ白い封筒』に入れた退職願をどうするのかという瞬が主人公となる物語です。そこでは、『ヒトツナギ』の企画など単なる物語の背景に過ぎません。しかし、この作品はそんな背景を単なる背景と読み飛ばしてはいけない作品です。背景が後々の短編の中でそれが過去に登場した人物たちの苦闘の結果であったという驚きが読者のあなたを次から次へと襲います。この作品は、あなたの今までの読書の手法は通用しません。メインで展開するストーリーに感動しながらも、物語の背景となるあらゆる事ごとにもしっかり注意を払い、その内容をしっかり記憶しながら物語を読み解いていく、そんな読書のその先にあなたを次から次へと襲う驚きが深い感動へと変わっていく、この作品は、そんな画期的な構成の物語なのです。

この作品は時間軸を遡っていく、いわば技巧的な作りの作品であることに触れましたが、一方で六つの短編で描かれるのは、青山さんならではの、”きっかけ”、”起点”に光を当てる物語です。この作品では『鎌倉うずまき案内所』という、行きたいと思っても行けない、行くべき人の前にのみ現れる不思議な場所が登場します。そして、『アンモナイト所長』というこれまた奇想天外な存在によって暗示される”きっかけ”、”起点”を意識したその先に、それぞれの短編の主人公たちが、顔を上げていく物語が描かれていきます。『なんで結婚するんだろう』と結婚に自信を失った32歳の梢。『私がわからなくなってしまったのは、真吾の心だ』と息子の進路に思い悩む母親の綾子。そして、自分の立ち位置がわからなくなり『友達から、学校から、自分から』はぐれていると感じる中学生の いちかなど、今の自分に思い悩む様々な年齢、職業、境遇の主人公たち。そんな主人公たちが、『鎌倉うずまき案内所』で与えられた”きっかけ”、”起点”を元に力強く歩き出す様が描かれるのは、青山さんの安心の王道パターンです。そんな王道パターンが、時代を遡る中で繋がっていく。どんどん、どんどん繋がっていくこの作品。全体を俯瞰するために用意された巻末の〈平成史特別年表〉を読み終えて、その構成の巧みさに改めて感激しました。

『人生ってまっすぐな道を歩いていくんじゃなくて、螺旋階段を昇っていくようなものなんだ』という通り、私たちの人生は単純に真っ直ぐ続いていくだけのものではありません。『お互いの曲線がそっと近づいたり重なったりするときに人は出会』い、また離れていきます。しかし、そんな人と人は真っ直ぐな人生でないからこそ、再び、また違う場面で再開する事だってあるのだと思います。”大人の階段をのぼる”と言うように階段を一段一段上がっていくということは、人が成長していくということでもあります。かつて幼かった、また悩みの中に苦しんでいたあの人、この人も階段を上がっていきます。そして、そんな苦労に、苦難に見合ったその先の未来を生きている人に再開することだってあるのだと思います。そんな螺旋階段を降りていくように他人の人生、今そこに輝いている人の過去の姿を見るこの作品。”きっかけ”、”起点”を大切にする青山さんのならではのこの作品。そして、読後すぐに最初から読み返したくなること必須のこの作品。

青山さんなりのこだわりをふんだんに盛り込みながら、小説の一つの可能性を提示した画期的な作品だと思いました。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 青山美智子さん
感想投稿日 : 2021年9月15日
読了日 : 2021年8月29日
本棚登録日 : 2021年9月15日

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コメント 7件

りまのさんのコメント
2021/09/16

さてさてさん
レビュー ありがとう。
自分の過去を思い出して、おもわず涙が…。
いろんなことが、ありました。
みんなも だよね。
この本 買って 読もうと思います。何故か 涙の りまの でした……。


まことさんのコメント
2021/09/16

さてさてさん。おはようございます!

いつも、ありがとうございます。
この本は私も、フォロワーさんが皆さん読まれていらっしゃったのでつられて読みました。再読したくなる本ですよね。
図書館で、青山美智子さん、その頃はまだすぐ借りられたのですが、今はもう凄い人気でかなり待たないと借りられなくなってしまいました。

ところで、今、私のレビューの『書く習慣』という本のコメント欄に、皆さん集まってくださっているのですが、是非さてさてさんにも語っていただきたいという要望がありました。
もし、お時間があれば、是非コメント欄に遊びにいらしていただけないでしょうか。どうぞよろしくお願いいたします(__)。

りまのさんのコメント
2021/09/16

さてさてさん、まことさん。
私も、知りたい!まことさんのところで、こっそり、伺って いますね。

まことさんのコメント
2021/09/16

りまのさん。

是非是非、りまのさんもよかったらいらしてください。
お待ちしています(*^^*)

さてさてさんのコメント
2021/09/16

りまのさん、こんにちは。
はい、なんとも胸がいっぱいになって涙が…ということってありますよね。青山さんの作品では私もそんな感を抱くことが多いです。この作品も本当に良いお話でした。
一応、青山さんの既作は完読しました。私の場合、三冊揃わないとレビューには至りませんので、青山さんの次のレビューは、さていつになるのかなあ、と。新刊続々を楽しみにしています。

さてさてさんのコメント
2021/09/16

まことさん、こんにちは。
青山さんの昨年三冊読んで他の作品も読みたかったのですが、三冊揃わないと読めないので、「月曜日の抹茶カフェ」を心待ちにしていました。
青山さんの作品完読ですが、読んで良かった作家さんでした。
まことさんのところにもお伺いさせていただきます。ありがとうございます!

まことさんのコメント
2021/09/16

さてさてさん。

ありがとうございます。
お待ちしています。

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