支配のために再生産する学校教育
いつか勉強した「市場は資産を持つ者に需要があるものを生産する」というのに似ているなぁと感じた。
私欲のために支配する・される構造を想像する。
教育は支配階級の言葉遣いや文化を恣意的に教え込む傾向にある。それは紛いもなく支配階級がイニチアシブを取り続けるために効果的だからだ。
1970年代に彼が指摘した教育が生み出す社会構造は、半世紀経った現在でも変わらない。支配する者の私利私欲が垣間見えたような気がした。
本来幼児期の家庭環境や他者との言語を通したコミュニケーションから習慣そして志向、性格へと成長していく。しかし、性格を構成する習慣や語彙などが恣意的に教え込まれる学校教育内容と一致していないほど、学校での評価が低く、低学歴、主観的将来展望が低くなっていく。結果的に、支配階級は支配階級の、労働者階級は労働者階級の再生産がなされる。
学校教育は恣意的な教育内容の習得効果を試験という形で評価をなすためである。
一見平等に思える上記のような評価システムは、実際は結果に平等はもたらさない。再生産までの時間を延長させているに過ぎないのだ。
また、教育システムを担う教員の採用試験にも同様のことが言える。教育システムはシステムを担う教員の価値観や文化をも再生産している。
教育機関の最高峰「大学・大学院」は、今も裕福な家庭のための、ないしは社会で権利を得るための顔パスにしか過ぎないのだろうか。
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- 感想投稿日 : 2024年1月13日
- 読了日 : 2024年1月5日
- 本棚登録日 : 2024年1月5日
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