幾山河: 瀬島龍三回想録

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  • 産経新聞ニュースサービス (1995年9月30日発売)
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図書館にて借りた本。書庫の奥深くに入っていた本。山崎豊子の不毛地帯の主人公、壱岐正のモデルともされている瀬島龍三氏の回想録。

タイトルの「幾山河」には、人生を通じて幾つもの山や河を乗り越えてきたという意味がある。その意味の通り、筆舌に尽くし難い人生を歩んでいた。

日本軍参謀として、シベリア抑留民として、商社マンとして、そして国家を裏で支えるリーダーとして。

陸軍大時代には、現代でいうロジカルシンキングやPDCAサイクルを学んでいた。それがその後の人生の役に立った。具体的には、「考え方を考える」というものだ。着眼大局着手小局という勝海舟の考えをベースに筋道を立てながら考えることを学んでいた。


私が知らなかったのは、ノモンハン事件においてしっかりとPDCAサイクルを回し、反省していたことだ。しかし、予算の関係上、反省を活かすことはできなかった。私は今まで陸軍は反省すらしていなかったと思っていたが、さすが反省はしていたようだ。

ハルノート問題について。アメリカのハル国務長官が出したハルノートについての矛盾をこの回想録を通して知った。ハルノートでは日本軍の満州からの撤退を要求していた。しかし元々は日露戦争の勝利によって、南満州鉄道や関東州の租借権などを得た。加えてこのポーツマス条約はアメリカのルーズベルト大統領によって斡旋されたもので国際的に認められるべきものであった。それを、開戦前に覆そうとしてきたハルノートはさすがに呑むことはできない要求であったと思う。


また日本の海外資産などの凍結、石油製品の禁輸、これらの要因により戦争を迫られた。だからこの太平洋戦争は日本の侵略、計画戦争と言われているが、「不期受動戦争、自存自衛の戦争」と言わざるを得ない。この点はよく考えるとそうであると思った。

一方で東京裁判において、原告側から日本は計画的に戦争を進めていたと指摘があった。が、戦争というのはそもそも計画あってのものであって、計画のない戦は無能であると思う。この点も疑問である。


戦争の教訓として、瀬島氏は憲法の改正を図るべきだったと考えていた。その根底にある考えには、「この世に不変のものはない。不変のものは常に変化していくことだ。」


様々な歴史本や小説を通じて、東条英機大将や瀬島龍三氏などは冷血な人であるというイメージがあった。しかしそれは誤りで極めて人間味のある人であると思った。


シベリア抑留で彼が感じたのは「厳しい環境下で心身の健康を保つには学ぶ精神が必要」ということだ。「衣食足りて礼節を知る」である。最低限、衣食住を持ちつつ学ぶ必要がある。私もこれを聞き、社会に出て艱難辛苦の日々であるが、お金をもらいながら学んでいくという心持ちでいこうと思った。

また瀬島氏は「環境が人をつくる」を身をもってシベリアで気づいた。「苦難のときこそ、自らを犠牲にして、人のため、世のために尽くすべき。これこそ人間最高の道徳。組織の上に立つ者こそ、ノブリスオブリージュの精神で人としての修練を重ねるべき。棺桶に入るまで修練は続く。」

不毛地帯のモデルとされているが、やはりフィクション要素も多く勘違いされることも多いらしい。裏側を知れて面白かった。


昭和41年に伊藤忠商事と住友商事の合併話があったのは驚いた。合併後の名前が住友商事になると聞いて伊藤忠はこれを固辞したらしいが、実現していれば大きな出来事であった。


この本あるいは瀬島龍三氏の人生から「本物のGRIT」を学ぶことができる。仮に私が辛い状況に置かれても、昭和の偉人たちはこんな苦労を重ねているのだから自分の悩みは大したことないと思えてしまう。逆境に対する力は昭和の偉人たちには到底敵わないが、自分も負けないくらいのGRITを培っていきたい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2021年4月24日
読了日 : 2021年4月24日
本棚登録日 : 2021年4月24日

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