ヒルビリー・エレジー (光文社未来ライブラリー)

  • 光文社 (2022年4月12日発売)
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1984年にアメリカの白人労働者階層として生まれた著者が半生を綴った回想記。著者のバックグラウンドとなる生前の家族史にも触れる。労働者階層を抜け出すことに成功し、アメリカ国内で分断された二つの世界を知るにいたった著者が、現代アメリカの白人貧困層の問題を考察する。「ヒルビリー(田舎者)」は白人労働者階層の謂いの一種で、類語として「レッドネック(首すじが赤く日焼けした白人労働者)」「ホワイト・トラッシュ(白いゴミ)」がある。本文約420ページ。文庫版独自の要素はない。

全15章にわたって時間軸に沿って家族関係中心に著者の人生を振り返る。第1章は著者の祖父母のルーツであり著者にとっても思い入れのある土地である、ケンタッキー州南東部の炭田地域にあるジャクソンの紹介に始まる。そして、あまりにも早い妊娠のためにジャクソンを逃れた祖父母がたどりつき所帯をもったミドルタウンは著者とその母が住む町であり、本書の主要な舞台となる。

ラストベルト(さびついた工業地帯)に位置する著者が育ったミドルタウンは工業衰退の影響も大きく、荒んだ環境にある。著者がとくに振り回されたのは、次々と夫やボーイフレンドを取り替え、薬物依存におちいる母親であり、不安とともに成長期を過ごす。ただし著者にとって幸運だったのは、彼を愛して貧しいながらも労働者階層から抜け出すための手助けを惜しまない強烈なキャラクターの祖母や、優しくしっかり者の姉があったことだった。本書の三分の二ほどまでは、複雑な家庭環境に翻弄されて一時は学校生活からのリタイアの危機にもあった著者が、祖母の助力もあって高校を卒業するまでを振り返る。

その後、学費免除の目的も兼ね、思うところあって入隊した海兵隊での4年間によって自信をつけた著者が、大学生活を経て、さらにはほとんどの入学者が富裕層で占められる名門法科大学院に入学し、労働者階層からの脱却を果たして「アメリカンドリーム」を実現するまでを描く。第11章の大学入学以降は、白人労働者階層以外の世界を体験した著者が見た、同じアメリカ国内でも文化的にはっきりと分断された、貧困層と中流層以上の世界の格差や、政治について考察するエッセイとしての記述が増えていく。とくにエリートが集う法科大学院在学中に著者が受けるカルチャー・ショックの数々は印象的で、私自身のアメリカ人のイメージが富裕層や中流層寄りであることにも改めて気づかされる。

現代アメリカを舞台にした私小説的な面と、その背景となっている社会を分析する要素をあわせもつ著作として読むことができた。著者自身の人生経験や、所々で紹介される社会学的なデータから、環境が人に与える影響の大きさがありありと浮かぶ。ふたつの世界を経験したことで、著者による現代のアメリカ社会への思いも一面的ではなく複雑だ。そこには、貧困層の実情を知らずに政策を実行する権力者たちの無理解への批判と、怠惰に生活保護受給費で暮らすことに慣れきった一部の住民たちへの嘆きが混在する。そして、白人貧困層への画一的な解決策の存在については、もっとも明確に否定される。
「多くの生徒にとって本当の問題は家庭内で起こっている(あるいは起こっていない)ことにある、という事実を認識しなければならない」

白人労働者階層が抱くリベラル派への反感や、巻末の解説で補足されるトランプ元大統領への共感については、本書が啓発するポイントとして特徴的だ。弱者救済を掲げながらも、知らず知らずのうちに表れる上から目線で独善的な姿勢への密かな反発は、アメリカや政治といった枠に限らないとも思える。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2022年4月28日
読了日 : 2022年4月28日
本棚登録日 : 2022年4月28日

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