象徴の貧困 1

  • 新評論 (2006年4月1日発売)
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人間であることが恥ずかしいという思いを、われわれは全く取るに足らないような状況でも感じることがあります。たとえばあまりに低俗なものの考えに出会ったり、バラエティ番組を見たり、大臣の演説を聞いたり、「鈍い楽天家」の言葉を聞いたりしたときです。恥とは哲学をするためのもっとも強力な動機のひとつであり、それによって哲学は必然的に政治哲学となるのです。(p46)

マーケティングは今や社会のコントロールの道具である。(p47)

国際的対立の空間としての経済はルールなき戦争と化し、そこでは民間人と軍人の見分けはつかず、いつでも破棄できる契約が法に取って代わり、不正行為が横行している。そこでの武器は根本的に進化し、その結果この戦争は本質的に感性に関わる戦争となった。この感性的な戦争は軍事的戦争、宗教的戦争、民族間あるいは国家間の戦争を妨げないばかりか、明らかにそれを導き、それらを予告するものである。感性的戦争とは、同時に、そして何より、時間の戦争である。この戦争こそドゥルーズがコントロール社会と名付けたことの核心なのだ、コントロール社会とは、ここではまず情動の(すなわち時間、自己触発の)コントロールとして構想されるのだから。(p47)

第二次大戦後、意識は自由に使える(ただし無尽蔵ではない)資源として、すなわちひとつの商品として広告会社に狙われました。それは「発展」の条件そのものです。そして変わりやすさそのものである動機を総動員する際に、時間的な商品がこれに勝るもののない武器となるのです。なぜならそれは意識の時間と完璧にそして大量に絡み合うからです。(p87)

しかし無意識とはコントロールできるものではないので、コントロール社会とはあらたなタイプの検閲社会となり、それは不可避的に欲動の噴出を招くことになるでしょう。それに先立って無数の代償の言説があるとしても、ほとんど口先だけの慰めにすぎません。そこで問題なのは恐れることでも、期待することでもなく、「あらたな武器を探すこと」であり、つまりは闘わねばならないのです。どんなにわれわれが臆病であったとしても。(p139)

数学だけでなく、あらゆる思想は感性的なものである。いつでも、概念の起源にはなんらかの情動がある。そのことを私は『現勢化』の中で示そうとした。言い換えれば、私は、単にドゥルーズを猿真似し、スピノザをおうむ返しに繰り返さねばと思ったことなど一度もないのだ、そもそも彼らの本をまだ読んだことないときに、無数のさまざまな情動によって、私の思想の最初の概念がもたらされたのだから。(p188)

20世紀における重大事件のひとつが、ビバップとモダンジャズの創始者であるチャーリー・パーカーの音楽と、そこでの録音とサクソフォンを連携した使い方であると主張したのだ。チャーリー・パーカーは他者の音楽の録音を何度も聞いては、それをもとに新しい音楽を作っていったのであり、ジャズはよく言われるように「楽譜なしの即興」の産物ではなく、楽譜というテキストに代わる録音という「技術」がジャズという音楽を可能にした。(p233注)

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感想投稿日 : 2008年3月19日
本棚登録日 : 2008年3月19日

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