簡素な生き方

  • 講談社 (2017年2月15日発売)
3.53
  • (4)
  • (5)
  • (8)
  • (1)
  • (1)
本棚登録 : 147
感想 : 10

 『簡素』は歴史上、異なる時代の様々な人間が、自分の身を守るために接してきた教訓の一つであるのが、まずもって面白いところですよね。

 マルクス・アウレリウス『自省録』の初頭にも”金持ちの暮らしとは遠くかけはなれた簡素な生活をすること”とあります。古代ローマの末期には、貴族たちが、ご馳走を食べ、満腹になると、他の料理も味わう食べに、自らの喉に手を入れて、食べたものを吐き出してから、新たに食べるという、何とも醜悪な慣習さえあったほどですから。

 本書は生活から、教育、家庭まで、「簡素さ」を軸に、当時の社会に対して警鐘を鳴らすように各章が構成されています。

 「お金があればあるほど必要なものが増える」「生活が贅沢になるにつれて将来への物質的不安が大きくなる」

 これは車の話がしっくりきますね。車を買う。当然車検に入る必要がある。次は駐車場代がかかる。ガソリンを入れなければ走りませんから。ガソリン代も。事故に遭ったら大変ですから、保険に加入して。一つの買い物が雪だるまのように、費用を大きく大きく重ねていきます。

 生活レベルを上げれば上げるほど、費用も一緒に高くなります。シェイクスピアの『リア王』は”おお必要を言うな!如何に賤しい乞食でも、その取るに足らぬ持物の中に、何か余計なものを持っている。自然が必要とする以外の物を禁じてみるがよい、人間の暮らしは畜生同然のみじめなものとなろう”の場面が、象徴的だなぁと思い出しながら読んでいました。

 合わせて思い出したのが、ハリーポッターでおなじみのダドリー坊やの一言。「36?去年は37個ももらったのに!」「あぁしかし去年より大きいのがあるぞ」「大きさなんか関係ないよ!」与え過ぎられた人間がどうなるのかを鋭く喜劇に落とし込んでいますよね。

 しみじみと思うのは人間は「慣れる生き物」だということ。そして、この「慣れ」の機能が何故備わっているのか。遺伝子が望んでいるからではないかと思うのですが、遺伝子の目的は快不快じゃなくて「より生存可能な子孫を残すこと」。模索し続ける遺伝子は常に何か新しいもの、大きな刺激、強い刺激、新たな環境を求めるのではないかと思うので。そのために私たちに搭載されているのが、「もっともっと」と欲しがる「欲」。仏教でいうところの「知足」は人間という生物的には不自然な状態なのかもしれません。

 ひょっとすると、テロメアの長さに限りがあり、命にタイムリミットがあるのも、この変化を強制し、期限があることで、こうした遺伝子の要求に尻を叩かれているのかもしれないですね。

 女性が結婚、出産へのリミットを前に焦るのを見ているとあながち空論ではないのかもと考えさせられます。

”物質的な豊かさが増すほど「幸福になる力」をなくす”
 
 マズローの欲求五段階説が、本質を捉えています。私たちは、満たしやすい生理的な欲求から順々に満たして行ってしまうと、次のステージの欲求は、満たしがたい、難易度の高い欲求になっていきます。それにしても、この手のピラミッド型の図を見ると、崖の先端に次第に追いやられて断崖絶壁から落ちていくペンギンを思い浮かべてしまいます。

 その先に待ち受けているのが、魚の沢山取れる、楽園の海なのか。足場を無くし、天敵の海象や海豹、鯱のいる地獄の海なのか。
 
 そこで、行き過ぎを防ぐために守りましょうねと定められたのが、道徳であり、本書では「簡素さ」というわけです。ここに対立する概念として立ちはだかるのが「進歩」です。

 トーマス・マン『魔の山』でセテムブリーニ(進歩主義)とナフタ(反進歩主義)の繰り広げる論戦がまさにここでの対立を物語るのですが、欲求なくして進歩なしという観点からすれば、昨今のSDGSの機運がまさにそれで、地球温暖化を進めたのも、もっと豊かにと社会を突き動かす人々の思念であれば、このままじゃ自分たちが生きていけなくなると、生存を目的に、技術を進歩させる。だから進歩を畏れてはいけないといった趣旨が進歩主義の骨子をなすように感じられます。

 特徴的な主張に
”余分な欲求=野心・特権・気まぐれ・肉体的な享楽を得るための戦い、貧困、無知、横暴”
”害悪な人々=野心家・悪賢い人・軟弱な人・守銭奴・傲慢な人・気取り屋・寄食者”
”善良さの敵=狡猾さ・権利欲・金銭欲・とりわけ忘恩”

 これらが掲げられています。これら総称するとエゴイズムとなり、この利己主義の対局に位置する思想として”共産主義”が掲げられているのが、本書のイズムの特徴となります。

”一人ひとりが、両親とほぼ同じ仕事に就き、最初は両親よりつつましい仕事に甘んじながら、それを誠実に果たし、いずれは両親より上を目指していくとき、社会は健全だと言える。”

 システムとして、家父長制度を重んじ、敬老、尊王、敬国を念頭に置いた道徳を基礎づけることを、社会の安定に繋がると言っている点で、共産イズムが多分に盛り込まれています。

 それはさておき、個人が生きる上では、本書が提唱する「簡素さ」は が現代でさらに色濃く求められるようになってきたことに、200年も前予見している点で驚愕です。

 代表格が「ミニマリズム」「モノ商品からコト消費へ」でしょう。消費のスタイルが変わりつつある中で、企業も戦略の変換を迫られていますよね。

 こどもの憧れの職業にYouTuberが名を連ねるのにも、それまでの、警察官や消防士、パイロットなどの勧善懲悪や弱きを助けの精神などの社会通念上、力を得てきた職業の魅力が薄まりつつあるからかもしれません。

 職業の憧れの変化からも、人々の欲がどんな方向に進んでいるかが読み解けないでしょうか。
 
 インフルエンサー、再生回数といった現代特有とも思えるワードに関しても”すべてを見せるどころか見せびらかし、隠されたままでいるものを評価することができなくなり、ものごとの価値をどれぐらい大騒ぎになっているか、どれだけ有名かだけで測ろうとする。”と見事に予見しています。
 
 他人に迷惑をかけることや、危害を加えることで、注意を引き、引いた注意の数だけ、収入が入るという、事件も相次いでいる今日では、人間の価値観そのものが、この名声に限定されているのがなんとも不気味な話ですね。

 隠されたままでいることを評価しないというのも、宣伝費をかければかけただけコンテンツや商品が売れるCMやSNS商戦。食べログに載っている店には行くけれど、地元のお店には入らないようなカップル。地元でもあるサービス、商品を買い求めに渋谷や新宿まで足を延ばす人々。

 ”人間の高邁か本質にかかわる仕事であればあるほど金儲け精神が入り込むと、その仕事は不毛で腐ったものになる”

 この一文は記憶にも新しい2021年の東京オリンピックの開会式がまさにそうでしたね。複雑なスポンサーの思惑に絡まって、当初の演目はコンセプトから実演に至るまで全て塗り替えられ、統一感も、コンセプトもない、カオスな演目になり果てた点が証明してくれました。

 これら個人から、社会まで、「簡素さ」を失って、混乱をきたしている理由を本書は”連帯感と団結心の欠如”とし、”私たちをお互いに分けるもの(権利)は記憶にのこっているのに、私たちを結びつけるもの(義務)は消えてしまう”とし、誰でも自分の付随的資質(自分の社会的身分や地位、職業、学歴、名誉)については強く鋭く覚えているものだが、本質的な資質、どこどこの国で生まれたとか、さらに人間であると言ったことは忘れてしまう”としていました。

 引き合いに出すならば、三島由紀夫『憂国』が描写の目標とした日本人らしさを喪失した現代の日本人への警鐘もそれに当てはまりますよね。身分制度がなくなり、平等と引き換えに失った社会秩序。愛国心がなくなり、信仰、信国の自由と引き換えに失った母国民としてのアイデンティティー。

 母語がないと思考の基盤が形作れないように、母国を無くした人間が大量生産されている現代。当時の先進国だったフランスのぶつかった問題は、先進国となった日本や中国、これから先進国に肩を連ねようとしている国家の間にも等しく発生するように思えます。

 話は飛躍しましたが、一個人の私生活レベルにおいても、本書は実用的に読むことのできる作品ではないでしょうか。

 暴走する物欲や食欲、性欲の裏には必ず、暴走を引き起こしたバランスの欠如が潜んでいます。放置して、慣れてしまえば、本書に指摘される”有名になりたいという熱病””すべてを損失と利益で二分する金儲け主義””主張されるばかりの権利に果たされることのない義務””歯止めのかからない物欲”これらが次々と身体を蝕み転移するガンのように、進行していき、いずれは、自身を滅ぼしますよ、というお話でした。

 一言で言えば「過ぎたるは猶及ばざるが如し」ですね。

 「簡素さ」というテーマをもとに、自身の生活、言葉、思考、日常の小さな義務に関して見直すことのできる一冊です。

読書状況:読みたい 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2021年12月24日
本棚登録日 : 2021年6月13日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする