落語の国からのぞいてみれば (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社 (2008年6月19日発売)
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感想 : 32
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江戸時代の価値観で現在を見直してみると、意外に面白い。

落語を聞いていて、どうしても現代の感覚からするとピンと来ない場合があります。
ちょっとしたことだと移動の距離感や貨幣価値、労働環境など。
そうしたこのと知識も得られて楽しいのですが、
中でもおもしろいのは「公」と「個」に関する観念の違いでした。

例えば「左利きの侍はいない」という話。
現代の我々の感覚では当然左利きの武士だっていただろうと思ってしまいます。
しかし、いない。日本刀の扱いはすべて右利きを前提に定められており、例外は認められないのです。
なぜなら生存をかけた争いが激しかった時代においては、少数派の存在を考慮する余裕がない。有無をいわさずその型に嵌めた方が効率が良い。ましてや侍とは「さぶらう」つまり貴人の側にいてそれを護る役割であり、あくまでも「公」の存在。個人の好みや個性などという「個」の要素とは最も遠い存在であったのです。
したがって左利きの侍は存在せず、左利きの落語家も、扇子を刀や箸に見立てるときは右利きとして演じる訳です。
ちなみに現代の剣道においても左利きであろうが右利きと同じ構えで教えられます。

あるいは結婚についての話。
庶民にとって結婚はああだこうだ言わないで勧められたらするもの。それ以上でもそれ以下でもない。恋愛なんてのはあるにはあったけれど、閑で金のある人間がするもの。まぁ吉原やら川崎やらでお金を払ってそれらしい遊びをするのがせいぜいで。ここでも「共同体の存続」を「個人の生き方」よりも優先するのが合理的であった時代であることが窺えます。

まぁそんな感じで、現代人からみたら堅っ苦しくて不自由で耐えられないと思いますが、なにしろそんな自由なんて概念すらなかった時代です。でもその中でけっこう泣いたり笑ったり、貧しいながらも人間らしく暮らしていたようにも見えますね。

けっして「江戸時代に戻りたい」という訳じゃなくて、こうした「200年前の今とは全く違う価値観の社会」での出来事がこうして落語というかたちで現在も語り継がれ、しかもその人間性に充分共感しうるという事実に驚き、なかなか素敵なことだなぁと思うのです。寄席に行ってみたくなりますね。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 歴史
感想投稿日 : 2013年4月28日
読了日 : 2013年4月28日
本棚登録日 : 2013年4月28日

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