5歳のときに視力を失った14歳の少年ルーチョは、叔母のベアとともにアルプス山脈の<百歩>という名前の山小屋を訪ねた。あらゆることに器用に対応する彼は、そのために人の手を借りることを極度に嫌い、登山の際も、ベアとスカーフで繋がるのみだった。山小屋で彼は、同い年の少女キアーラと山岳ガイドのティツィアーノと出会い、翌日彼らとともに<悪魔の頂き>にワシのひなを見に行くことになった。ところが、山が苦手なキアーラも頑張って登ったものの、ひなは見当たらない。巣立ったものかと思ったが、巣の近くにロープが残されており密猟だとわかった。
人に頼ることに極度の嫌悪を持つ少年が、人とのつながりに喜びを見出す姿を、アルプスの美しい自然を背景に描いた物語。
*******ここからはネタバレ*******
まず、ルーチョの能力の高さに驚きます。目の見える人でも山歩きの足元には気を使うのに、それをスカーフ一枚や登山用ストックで乗り越えてしまうとは。
叔母のベアの行動も大胆です。歩けなくなったときに山歩きの苦手な同い年の少女キアーラに彼を託すなんて。しかもキアーラは崖崩れして道が失われたところを彼と歩いているわけで、なんちゃって山女の私としては、「良い子は決して真似しないで」と言いたい。いやー、ここでは、「勇気ある撤退」でしょ。そう思う私はチャレンジ精神を失った人でしょうか?
いや、そもそも登山の前夜に大雨があったんだから、道が悪くなっていることは予想してなくちゃね。
挿絵が、可愛いのに残念です。
36ページ「長いすの背もたれに手を置いた」とありますが、絵の長椅子には背もたれがありません。
また、ベアとルーチョの飲み物はアイスティーのはずですが、紅茶のキアーラと同じカップが描かれています。
ケーキの置き方も反対じゃない?と思いはしますが、もしかしたら、イタリアではこう置くのかも知れません???
表紙の絵も逆ではないですか?彼がスカーフを巻くのは左手だったような?でもそうすると見開きで続けて絵が描けませんね。
154ページと短い物語りの中に視覚障害者の想いや思春期の少女の気づまり感、猛禽類の盗難と密輸等多くのエピソードを入れたためか、特に後半部分はストーリーを心情説明で終わらせている感が目立った(特に110~111頁、146~147頁)。
ルーチョにとって山は心地良いものであるはずなのに、あの悪夢の原因はなんだったのか?
飛べなかったから?
ラストでは飛べた。なぜ?何を乗り越えたから?盲導犬のアストラを?
???
私の読解力では解けない疑問です。
表現は平易で、刺激的な描写もないので中学年から読めると思います。
- 感想投稿日 : 2020年4月23日
- 読了日 : 2020年4月23日
- 本棚登録日 : 2020年4月23日
みんなの感想をみる