袴田事件の再審開始が決定した上、検察当局は静岡地裁の再審公判で有罪立証を見送る方針だそうだ。これをきっかけに図書館で借り出した。
袴田事件より前の1950年、4人が殺害された二俣事件。静岡出身の著者が、この地に冤罪事件が集中していることに関心を持って取材、刑事の手記をもとに書いたのがこの小説。多くの記述が事実に則しているという。
この二俣事件も、同時に公判が進行していた幸浦事件も、袴田事件同様冤罪で、その後幸いにも無罪を勝ち取っている。当時の静岡県警警部補を中心に行われた拷問による自白強要、その自白を証拠採用する裁判。時間をかけて真犯人がある程度特定できたにもかかわらず、すでに“犯人”を逮捕してしまっている、という警察の面子が事態をそのまま進行させてしまう。真犯人によるその後の犯罪を未然に防ぐため、監視はしたものの、公判は維持。無辜の被告に死刑まで求刑している。
無罪を勝ち取ったのは、清瀬一郎弁護士。5.15で青年将校側の弁護についたり、大政翼賛会の重鎮で東条英機の主任弁護人という経歴が災いし、国家主義的と思われてはいたものの、左翼的と思う人もいるほど保守とリベラル双方に揺れる複雑怪奇な政治家。手弁当だが“人類愛”で弁護を引き受け、清廉一筋、金権政治を嫌った大物。彼だから勝ち取れた無罪かもしれない。
戦後間もない混乱の中、帰還兵、在日朝鮮人や障がい者に対する今以上の理不尽な差別意識、生活苦の庶民など、現在とは異なるさまざまな要因が散らばっている。刑事訴訟法で拷問が禁止されていたとはいえ、自白に大きく心証を左右される裁判も今とは随分異なっていたのだろう。
こうして公に問題視され争われた冤罪の向こう側に、どれだけ多くの冤罪があったのか想像に難くない。社会の秩序を維持することはもちろん大切だが、そのためにさまざまな法を整備しても、人を裁く、ということの難しさは今も変わらないのだろうと思う。少なくとも、自身の功を目的に人を貶めるような国家権力側の人間が生まれないような法整備にも、常に心を向けねばならない。
- 感想投稿日 : 2023年3月26日
- 読了日 : 2023年3月26日
- 本棚登録日 : 2023年3月22日
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