壇蜜日記 (文春文庫 た 92-1)

著者 :
  • 文藝春秋 (2014年10月10日発売)
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暗い、ネガティブ、という感想が多いが、確かに面白いわけでも明るいわけでもない。内容は、体調不良、自己嫌悪、下ネタ、自虐ネタ、ペットの猫や魚、たまに仕事、など。しかし日記の書籍化なのでこのような内容なのは当然ではないか。人間誰しもこのようになると思う。特にこの人は最初の頃は批判が多かったと記憶しているのでネガティブになって当たり前ではないか。
この人のラジオが面白くて好きだった。また、学も高いと聞いていた。そのためか、内容はネガティブだが言葉のテンポや言い方などが良い。なので内容がネガティブでも多少面白く読める。そんなことをそんな風に考えるのか、そこまで考えるのか、視点が面白い。庶民的な生活振りを知り、テレビとのギャップがすごいなと改めて思う。
猫と魚が本当に好きなんだな。おキャット様にはなんとも言えない感情が湧いた。新聞の休刊日をたちの悪いセフレと表現するセンスよ。そしてこの人はやたらと寝ている。ストレスからの過眠症か?マネージャーと仲良さそうで良い。
日記でお金を取っていいのかというあとがきだったが、むしろ日記が本になりお金を取れることがすごい。それくらいの価値があると思われたから出版に至ったのだと思う。芸能界の私生活の本はファンならお金を出してでも知りたいと思うのではないだろうか。そもそもプライベートはプライバシーに関係してくるのでむしろお金を取って公開するべきではなかろうかと個人的には思う。
買った決め手はあとがき。「エヴァンゲリオンって腰回り細いよな。選び損ねても、選び間違えても、今はなかった。数年後には色々なくなってるかもしれないが。エヴァンゲリオンはあると思うけど。壇蜜が何かする理由があるとしたら「ファンのため」だけ」。自己肯定感が低いから出てきたのかもしれないがかっこいい理由だ。そしてエヴァンゲリオンは今年無事完結しました。おめでとう。ありがとう。さようなら全てのエヴァンゲリオン。
一度読めば充分なので売るつもりだが、なぜか後から「売らなきゃ良かった」となりそうな本。たぶんふと思い出してたまに読みたくなるあんな感じの本。




私の実力ではない。出会った方々に助けられたことを心から感謝するための賞だ。食べ物の旬は短くても毎年巡ってくるが、人間の旬は一度きり。しかも食べ物より一瞬。何が欠けても駄目だったのだ。

「字の汚さは心の汚さ」「口の歪みは心の歪み」

がんもどき。もどきは偽装の予防策。

「芸能界の椅子、ここが空いてると思った?」「椅子は自分で作りました。だからすぐ壊れても仕方ないですね」

一番を言えば傲り、言わなきゃ移り気。こまったものだ。

入浴剤は常に色々な種類を常備しておきたい。帰りを待ってくれているような気がするから。「お帰りなさい。今夜も選んでよ」と。

バナメイエビもイプロシンも悪くない。悪いのは、無理をさせた方だ。

昔、鯉は金持ちの家でないと大きくならない、と聞いたことがあった。今ならわかる。鯉はエサに「余裕」を混ぜてもらっていたのだ。

一人で食事をすることで誰にもグチもいわず迷惑をかけずにすんだので大目に見て欲しい。

誕生日。いつも一番一緒に過ごしたい人に一番冷たくされる日。

彼女のこれから行くであろうあの世には彼女の三男と亭主が待っている。そう考えると、少しだけ悲しみが引っ込んだ。天国には会いたいひとがいる。

好み。「どうせなら」を趣味といい、「どうしても」を癖という。

「カレーと生姜焼きは不味く作る方が難しい」初めて訪れる食堂でも迷いなく注文してもよさそうだ。「迷ったらチーズバーガー。何処にでもあるしチーズの味で大概ごまかせる」

遮るものがあるとゆがんだ業が顔を出しやすくもなる。例えば「匿名」という文字を身につければヒトはヒトに研がれた刃を向けることも簡単だ。匿名に託された保護への希望より、匿名の力から得る切り傷の方が多いのは時代なのだろうか。ただ、切り傷を負っても私は武器を持たずに生きたい。

「ヒトから信頼を得る方法」は「社会から嫌われているヤツと仲良くする。さすればそいつは自分をより大きく評価し人望として返す」

この世界で人間をやっていると「ちょうどよい」ということはほとんどなく、人生の大半はちょうど良さを山の彼方のように探しながら折り合いをつけて生きてゆくのだろう。熱帯魚の餌の分量ですら毎日ちょうどよいを探すのが難しいのだ。

お前それで売れたくせにと言われても、当事者にしか感じられない痛みがあった。それで売れたんじゃない。それをバネにしたんだ。

思い立ったら...ができないと未練が残るのだろう。ゴミも、恋も、バンジージャンプも。

よくタバコや車をちょくちょく替えるのは浮気性だというが、ボディーソープやドレッシングはどうなのだろうか。気分を変えたい気持ちは認められず、飽きっぽいともとられるのか。ずっと同じものを愛せない時もある。

ねこの日。大好きな「語呂と都合で生み出された日」。

「俺、お前の事甘やかしすぎたんだよ」......は、自覚できる位甘やかしてから言ってくれ。

1ヶ月の中でちゃんと決まって何かを催してくれるというのは、張り合いとなって本当にありがたい。

奪われたものだけを記憶して自暴自棄になる時もある。居なくなりたくなる。そんな時、自暴自棄を引き起こさせてそれを食べに来る鬼がいることにする。鬼は涙と怒りしか食べられないから、ヒトにこんな辛い思いをさせ、腹をふくらませる...という話を勝手に作る。

夕方まで電源が切れたように眠っていた。打ち合わせまでの時間を有効に使うのは、動くだけが選択肢ではないと自分に言い聞かせる。

「これでダメなら諦めて!」と謳った商品を買い、これですっかり諦めてしまった人は世の中にどれほどいるのだろうか。

移動時間は読書や執筆など生産的な事を、なんて言われることもある。しかし寝ているかバカバカしい話をマネージャーと交わすことは一見非生産的のように見えて実は自分では全くそう思えないのもまた事実。嫌いなことや苦手なことを無理してやってもいい結果は生まれない。

休みだが忙しい時期なので無理してバイト出勤したら店長に休みなさいとお叱りを受けて感動した...なんて話を就職活動のエントリーシートの「学生時代に感動したこと」として書いた。このエントリーシートの結果は言うまでもない。

24時間はもう闘えない。

お金がないということは、眠いということと近い気がする。

傘も人も役に立たなくなる時は一瞬で訪れる。手のひらを返される日なんていつくるかわかったものではない。

「ああ、この人、私を格下と思い受け答えしているなあ」とすぐに気づいてしまう。速やかに無口になるのが最善にして唯一の対応と心得ている。

別れた今でも友達として...そんな話をたまに聞くが、セフレにもならずにどうやって元恋人と話をしているのだろうか。

何処の世界でも何かが無くなったとしても、必ずその代わりはいる。代わりの無いものでありたいと願ったがそれは無理な話だし、そう考える事はおごりだと思うようになって随分経った。

金持ちになると趣味が他の金持ちと似てしまう。

止まない雨はないとよく言われるが、完全に止むことを予想出来る雨もまた存在しないのも事実だと思う。だから私たちは予想外に翻弄されて季節をより季節らしく感じるのかもしれない。

過去をほじくり返しても古傷を開かせるだけ...とは必ずしも正解ではなかった。いやしくも成り上がりの端くれとして過去を掘り下げることで、トラウマから解放され恐怖心が薄れ、しかもお金がもらえるなんて...そんな可能性を知る。ほじくり返され損にならない事実に喜んでいいのか戸惑うが、自分の気持ちは変わるものだと妙に納得してしまう。ダメ人間の過去、就職浪人だったことを恥ずかしい思いをしながら話し、蔑まれながら得るお金に汚さはない、そう思うようになった。

早くどっか行って欲しいと思うほど長居されてしまうのは台風でも人間関係でも同じ。

確かにキスだけした人の方が甘酸っぱい思い出として刻まれている。かつて付き合った人には大体2パターンの感想しか残らない。「次あったらお互い命の保証はできない」「土下座して謝って詫びなくてはいけないし刺されても文句言えない」。

明日が怖くて胃薬。

稼いだ金の出どころで責められることは少なくても、自身の自慢、散財、愚痴、病みゴトは己の首をしめるようなものなので、目立たない様に慎ましく生きていかなくてはならない。

仕事と仕事以外を分けていると割り切れていない時に落ち込むのが好きではないからだ。生きていることは、仕事でもあり怠けでもある。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 手放し
感想投稿日 : 2021年8月11日
読了日 : 2021年8月11日
本棚登録日 : 2021年5月7日

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