田舎に住んだことのある人には「そうそう!」と頷けることばかり。田舎の「世間」はめちゃめちゃ狭い。(物理的な広さは、広い。「隣の家」が見えないこともある。)
読み始めは、守と涼世夫婦とその子供の隆行と桃子夫婦の、介護にまつわる物語かと思ったら、読み進むにつれ本家の嫁とか、桃子の美大時代の友達とか、隆行の部下とか、登場人物が増えていき(まあ、皆介護をしているという共通点はあるのだが)、語り手も変わるのでどうなることかと思った。
読み終わると、もう少し守一家に重心を置いても良かったのではないかと感じたが、元校長先生のボケっぷりが面白くて愛が感じられたので、まあいいか。
田舎の辛抱して生きてきた老人のケチエピソードなど、ホントにリアル。電池がもったいないから補聴器をずっとははめないとか、何かに使えるとガラクタを拾ってくるとか。
「何かを作るための材料はいつも山から取ってくるか、どこかから廃材を拾ってくるかしていて、金をかけることなど思いもつかないのが守流だった。なのに、その何かを作るという部分がストンと抜け落ち、木切れだのブリキだのを拾ってくるという習慣だけが残っているのは不気味で貧乏くさいだけだった。」(P21)
桃子さんは「嫁」となって5年しかたってないし、地元の人間でもないのによくやったな、と思う。物語自体が老いを肯定的にとらえていることには好感を持ったが、小さな世間が社会の良心を支えている、というのはどうかな、と思った。もちろんそういう側面もあるだろうが、長男だから、長男の嫁だからと介護を押し付けられたり、しなきゃしないで長男のくせに嫁のくせにと言われるような、それがストレスで老親を殺してしまうなんてこともあるわけで、いいことばかりじゃない。もちろん、桃子さんも疲弊して「付添いさん」を頼み、それによって救われたことも書いてあるのだが、付添いさんの時給は安いし、あくまで個人的な依頼の形なので全額家族持ち。(だから、時給も安くなるわけだが。)しかし、これに税金を充てれば、国はますます財政難。少子化で、どうすればいいのか、と読んでいる方が頭を抱える。
この本の中の老人のように家族が看取ってくれる人ばかりじゃないが、老いや死は人を選ばない。
本自体は面白く読んだし、介護をする家族のリアルな姿が描かれていたとは思うが、桃子さんのように「辛かったが、良かった。舅は愛しかった」で終われない人もいっぱいいるからなあ。
- 感想投稿日 : 2019年5月19日
- 読了日 : 2019年5月18日
- 本棚登録日 : 2019年5月18日
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