絶歌

著者 :
  • 太田出版 (2015年6月11日発売)
2.86
  • (39)
  • (75)
  • (119)
  • (71)
  • (66)
本棚登録 : 1910
感想 : 229
2

良識派の人たちはまず遺族の許可も取らないで出版を断行した元少年Aと太田出版の非常識に憤慨しているでしょうし、内容に関してはせめて犯人の深い反省と苦悩を見たかったことだと思います。それとは別に好奇心からこの本を取った人たちは猟奇殺人犯の異常心理など他では読めないような特異性に興味があったのではないかと思います。結果、いずれの読者層の期待にもまるで応えていない本著の評価が低いのは当然のことでしょう。
 個人的には快楽殺人者なんて犯行動機は痴漢と変わらないと思っていて、いくら犯人の人間を掘り下げても何も出てこないだろうと予測していたので、内容的にはまあこんなもんだろうと。衝撃的な本だとは思っていませんでした始めから。
 とはいえ、あまりにもお粗末な出来に遺族の思いを踏みにじってまで出してきた事への誠意があまりにも感じられず、特に第1部は腹が立ちました。~のように、~のようなと稚拙な直喩を多用した文章は高校生がはじめて書いたオナニー小説を読まされているようで腹が立ちます。「雨は空の舌となって大地を舐めた。僕は上を向いて舌を突き出し、空と深く接吻した」とか「僕は外界の処女膜を破り、夜にダイブした」とか、要るか?この一文。元少年Aの自己陶酔しか感じられません。第2部に関してはそういう文章の暴走はだいぶ落ち着いて読みやすくはなっている印象ですが。
 他にも余計な部分が多すぎます。ランドセルは日本特有の民族性と言ってみたり、アスペルガー症候群の解説から現代はコミュニケーション至上主義社会だと持論を展開してみたり、村上春樹を引用したり、『ヒミズ』のあらすじ書いてみたり。やはり自己顕示欲が強いというか、学者でも評論家でもないあなたの意見はいらない。知りたいのはあなた自身のことだけ、とツッコみたくなる脱線が多い。
 これらは著者自身というより出版社の方にも責任があるように思います。編集者のインタビューで「ほとんど手は入れていない。具体的に私が赤を入れて、直したところはないですね」と語っているがこれは単なる手抜きだと感じてしまいます。遺族に無許可とか道義的でない印象こそあれ、周りがとやかく言うことではない、現に売れているのだから出版自体が悪かったとは個人的には思いません。しかしながら批判や抗議を覚悟の上で出版に踏み切って、あまつさえ遺族を傷つけ、それでこれではお粗末すぎます。とにかく無駄が多くて、史料価値として必要だと思うものが少ない。
 具体的には、例えば83ページに、中学校の女性教師がダフネ君やアポロ君を個別に呼び出し僕には近付くなと忠告した。という一文があるが、このことから少年Aは事件前からかなりの問題児だったのだろうと推測されるけど、そういう点に触れた部分は少ない。また、一冊通じて家族への愛情が見て取れる文章や、家族はごく一般的な家庭という印象を覚える場面が多く登場するが、少年Aの言葉をつなぎ合わせるとこの人、中学生にして登校拒否中にも関わらず毎日ひと箱マルボロを吸っているのがわかります。当時は今より安くて250円か280円だったと思いますがそれにしてもそれを黙認する家庭環境って本当に平平凡凡なのでしょうか。つまり少年Aの読者が最も知りたい事件当時の生活環境が全然見えてこない。彼の残虐性に関しても猫殺しの一場面の描写はなかなか生々しくて特異性という意味では良かったが、その他の部分ではやはり陳腐な比喩表現に逃げてしまっている部分が大きい。他にも音楽や映画、逮捕以後は文学もだが、そういうものが好きなのが分かって具体的な作品、作者もいくつか挙がっていたが、こういうところももっと掘り下げてほしかったです。彼がどういうものに感動したり嫌悪感を覚えるのか興味があるからです。少年Aはプロの文筆家じゃないのだから以上のような点を指摘したり聞き出したり加筆依頼あるいは削除依頼して出版社にはもっと意義のある一冊に仕上げてほしかったです。
 最後に、読み終えてみて僕が元少年Aに抱いた印象ですが、甘いなあって思いました。文章力や嘘吐きの才があれば反省しました、苦しみましたという印象はいくらでも創作できるのだからここで言う甘いというのは反省が足りないとかそういうことではありません。反省しているのかもしれませんし、十字架も背負っているのかもしれませんがそんなの結局は本人にしか分かりません。ここで言う甘いというのは認識の甘さです。職場の先輩の家族に触れて、自分はなんというかけがえのないものを……的なこと言っておりますが、全然足りないです。言葉の粗探しみたいになってしまいますが「ん?」とひっかかる個所が多くありました。でも本当に真摯に事件と対峙しているのならそんな粗は出てこないのではないかと僕は思うのです。死刑になって被害者と同じ苦しみを味わって死ぬというのが当時描いた結末だったそうだけど、それを同じ苦しみと言ってのける認識の甘さは修正されたのでしょうか?「僕の時間は、十四歳で止まったままだ。」殺人者のままですか?

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2015年6月16日
読了日 : 2015年6月16日
本棚登録日 : 2015年6月16日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする