もしも何をするために生まれてきたのかがわかったなら、自分の人生がついに始まったりするのだろうか?と思って借りた。
そしたら思い出した。
先日、アディダスの前を通りがかったらPVが目に入った。
「並外れた努力をする」
「今なすべきことがわかっている」
「マスコミが、連日追いかけ回す」
「出すべきときに結果を出せる」
「人々に希望を与える」
「云々・・・」
「それがヒーロー」
「と言うなら、」
「俺は、ヒーローじゃない」
「adidas」
ど肝を抜いた。
アディダスは、知っていたのか。
そう、わかったことは最初からわかっていること。
私たちは何かのために生まれなくてはならないわけではないということ。
また何かのために生まれるわけでもないということ。
だがそれよりも、本当は私たちには、敬虔でいることよりほかには何も、
本当に、何もないということ。
それだけだった。
追記2019年12月9日
敬虔というのは神のストーリーに生きるということだ。自分を拡張したい時、神への、宇宙への問いかけとして、目を留めたなにかの奴隷になってみるのは方法の一つだろう。
もともと「瞑想ができない人はこの本で瞑想したことになる」というあまりにもクリエイティブな怪情報に惹かれて読むことにしたのだが、瞑想の意味を理解した今は、情報発信者がかわいらしい不届者であったことも理解できる。
すべてをオラクルにできた時、私たちは完了するのだろう。
読書状況:読み終わった
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- 感想投稿日 : 2017年3月26日
- 読了日 : 2017年3月26日
- 本棚登録日 : 2017年3月26日
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