富士日記(中)-新版 (中公文庫 た 15-11)

著者 :
  • 中央公論新社 (2019年6月20日発売)
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感想 : 15
4

上巻を読んだのが2020年1月なので約2年ぶり。年末年始に山梨に持っていったものの読み終わるのに1ヵ月以上かかってしまった。
日記なのでたらたら読んでもいいのですが、図書館の返却期限も過ぎてしまったので後半はほぼ一気読みでもったいない感じ。

『富士日記』のおもしろさはなんだろう。あとから推敲してあるだろうとは思うのだが、基本的には人様の日記。日々の買い出しの記録と、食事の記録(これが地味ながらおいしそう)、別荘の暮らしなので「ていねいな暮らし」というよりは散歩、家事のあいまに原稿を出しに行ったり、河口湖に遊びに行ったりするくらいで、静かな淡々した日常であるが、百合子さんの性格なのか、あまり淡々という感じでもない。

夕陽に向って踊ってみたり、感動すると体操してみたりする百合子さんのユニークさ。観察眼や言葉の選び方の新鮮さ。

上巻は別荘を建てたばかりで、新しい生活や近所の人との交流が中心だったけれど、中巻では週末ごとの行き来にも慣れ、季節の移ろいがそのまま記録されている感じ。でもこれが退屈しないんだよなあ。

50年前の日記なので別荘のあたりもだいぶ変わっていると思うが(別荘自体はすでに取り壊されている)、一度ゆっくり巡ってみたい。


以下、引用。

大石から見る富士山は、裾を長々と曳いて、絵葉書と同じであった。

今日のように陽がよくあたっていると、陽のあたっているところを往ったり来たりしているだけで、とてもうまいことをやっているような気分になる。

河口湖畔の町の灯りは信号のように、めくばせのように、息をしているように、見える。月夜だから、雪が残っているのだけはよくわかる。去年の正月にもこれと、そっくり同じ景色を見た。そのときも、ここで私は見ていた。

スバルライン入口の農園は、看板をペンキ屋に頼んで書き換えたらしい。いままでは、素人の字で、すさまじいような赤い字であったが、今度はペプシコーラの広告まで入れて、バランスのとれた、丁度いいような、驚かさないような字体で書いてある。

無声映画を観ているように、窓の草原の雨をみながら、三人ともぼんやりとうずらそばを食べる。

庭には夏草が茂り、野バラは散りかけている。あざみは咲きはじめらしく蕾が沢山ある。雨なのでバラの匂いはしない。月見草が丈高くなった。ギボシが蕾をのばしている。

ここに暮らしていると、空や空間が広いからか、雨が一日中降ると、雨の中に浸されてしまっているような気分になる。水の中に沈んでゆくようだ。

蜂蜜の蓋をとったら大喜びだ。最も即席で楽なんだな。嬉々としてとまっている蜂が気の毒で「それはもとはといえばお前が作ったものだよ」と教えたい。

この蜂は昨日のと同じかしら。赤マジックで体に印をつけてみたら、ぶどうにとりついていたのも、ジャムのも、蜂蜜にくるのも、全部、この赤い印のついた一匹の蜂だった。怖るべき大食の蜂である。この私の研究発見の結果を、主人に発表したら「百合子にそっくりだな」と言った。

K園
Lホテル

大岡夫人はサングラスをかけて藍色の和服で運転。大岡夫人の顔色が硝子の加減か蒼白く着物が青くて、その美しいこと優雅なこと。大輪の青い朝顔のようだ!! 
感動したときには体操をして現わすことにしているから、車のうしろに向かって「万歳」を三唱した。

静かで静かで仕方がない。本当に静かな日だ。柱やハリが乾いてきしむ音さえ、響いてドキッとする。

高原を吹きわたっていく風は、波の音のように聞こえるが、硝子戸を閉めておけば陽は食堂にふりそそいで、温室の中にいるようだ。

昨日、リスの椅子にのせておいた、いなりずし、のりまきの残りは、きれいになくなっている。和食も好きらしい。

椅子にのせたハンバーグステーキのはしをくわえ、重いのでテラスで休んで、それから立去った。洋食も好きらしい。

鳴沢のスタンドでも、おじいさんが店番していた。ガソリンスタンドは、ナラヤマのようなところなのだろう。

一日静かであった。今日もゆっくりとした夕焼となる。庭の雪はその間、バラ色に染まる。お礼をこめて夕陽に向って、一と踊り踊ってみせてやる。

庭中に月の光は一杯。おっとりと明るい。あの世があるとしたら、こんなところなのかもしれない。よく見ないで、一寸だけ見て、ナンマンダブツといって家の中へ入る。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2022年2月13日
読了日 : 2022年2月13日
本棚登録日 : 2022年2月13日

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