92歳のパリジェンヌ [DVD]

監督 : パスカル・プザドゥー 
出演 : サンドリーヌ・ボネール  マルト・ヴィラロンガ  アントワーヌ・デュレリ  ジル・コーエン  グレゴワール・モンタナ  ザビーネ・パコラ 
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感想 : 12
4

■ 踊(躍)れ、真っ赤なワンピースの君よ… ■



元助産師をしていた主人公である老女:マドレーヌ。92歳の誕生日を迎えるにあたり、子供や孫たちがそれを祝ってくれる席で彼女はこう宣言する。「2ヶ月後の10月17日に私は逝く」と・・・

車を運転中、あわや人を轢きそうになったマドレーヌは
、半ば放心状態でメモをとる。そのメモには自分がミステイクをおかしたり、出来なくなっている動作(作業)が箇条書きにされていた。運転操作の鈍さ、階段昇降の辛さ、荷物が重い、着ているコートも重く感じるetc...
画面を観た途端から私は最近の自分に折り重なるものがあり引き込まれていった。私自身がすでにその一部分を体感し始めているせいでリンクするものが多々あることと、マドレーヌの“尊厳死”への敬意とその強固なスタンス(心構え)に対して、私もまたマドレーヌに酷似した想いを持ち始めていることからも、ますます視線が画面に釘付けされていくのを感じた。


「もう、逝かせて…」という母:マドレーヌの意思を知った娘:ディアーヌ(サンドリーヌ・ボネール)と、マドレーヌの息子:ピエール:(アントワーヌ・デュレリ)はそれはそれは戸惑いを禁じ得ない。ピエールは老人性のうつ症状だと断言するが、ディアーヌは母の性格を知っていた。強固な意思をもった女性であること・やると決めたことは絶対に成し遂げる人であるということを・・・

家族の戸惑いに対してもマドレーヌの実の子供二人(ディアーヌとピエール)と一線を置く形のディアーヌの夫とピエールの妻。この二人のどこか醒めている、というか然程に深刻ぶっていない無関心さの表情がふと垣間見られる瞬間が何とも現実味を帯びているなと感じた。配偶者の両親の死に対しては国を問わず往々にして、やはりこのような接し方になるのかな…と一人で苦笑した。

マドレーヌの孫:マックス(グレゴワール・モンタナ)の存在と、それに何と言ってもマドレーヌの家政婦:ヴィクトリア:(ザビーネ・パコラ)の存在が、本編で多大な癒しと存在することの意義を説いている。特に家政婦のヴィクトリアの口ずさむ歌には和まされる。失禁し、自らを戒めるようにシーツをこっそり手洗いしているマドレーヌにヴィクトリアがさりげなくかける言葉に心がやすらぐ。

“人は死んでも魂は何かに宿して生き続けている…”
ヴィクトリアが母国の言い伝えを気弱になっているマドレーヌにそっと教えるシーンは実に印象的。

娘のディアーヌは母を入浴介助しながら、ついに意を決する。母の尊厳死を認めようと…だが息子のピエールはどうしても受け入れてやろうという決断ができずにいる。

ある日、幾度も留守電にメッセージを入れても電話に出ない母が心配になり、ディアーヌは息子とバイクに相乗りして母の部屋を訪ねる。
すると、マドレーヌはガスレンジをつけたままトイレの前で倒れていた。救急車を呼び搬送され、しばし入院となったマドレーヌ。隣のベッドには同じような老人の男性が寝ていた。彼との会話で、♪『そして今は』を二人が合唱しだしその歌がしだいに、歌手の熱唱のBGMへと切り換るシーンは、老人二人の、いや、しもかしたなら多くの高齢者の心の根幹によぎるものを、あたかもバックアップしているかのようでなかなか素晴らしい引用だと思った。

マドレーヌは一刻も早く自宅に戻りたいという思いからか、病院で大人用オムツを履かされたと言い、寝間着の裾をめくり上げ娘に見せつける。「これで満足?!」と娘に当て擦りのように捨て台詞を吐くマドレーヌを見た娘ディアーヌは、「こんな(母はまだ自力で排泄できるのに…)病院にもう母を置いてはおけない!とばかしに、二人は病院サイドに黙って出奔。退院してしまう。が、これはどうもマドレーヌの作戦勝ち?だったような気がする。(オムツは自分で履いたのでは?と。娘に退院を促させるために…)

再三再四、家族はマドレーヌに尊厳死としての自殺を思いとどまるように説得するが、彼女の決心は揺るがなかった。

おそらく薬を使うのだろうということで、息子ピエールはマドレーヌの部屋を家探しして、彼女の持っていた一切の薬を全て持ち帰りそれを妹のディアーヌに突き付ける。これで自殺の術はなくなったと言いたげに…

だが、ディアーヌはまだ内心のどこかで揺れつつも、母の自殺を助けるためにとった行動。それは何と、“複数の医者の往診依頼”であった。違った医師に往診してもらい、そのたび「眠れない」などの症状を訴えていたマドレーヌ。すると医師たちは、「わかりました。では眠れるようにお薬を出しておきましょう」と、処方箋を書き残して行ってくれた。集まった処方箋を娘ディアーヌは数える、「1枚、2枚、3枚...」何と8枚までカウントしていたではないか。処方箋に致死量分の薬が出揃ったのだろう母娘が二人して、「やったね!」的な笑みを浮かべる場面は、何と言ったらいいのか…複雑な心境ではあったが、この母にしてこの娘ありき、とプラス思考で見続けようという私がそこにはいた。

~しだいに、その日は近づいていき~


「決行の時は、そばにいさせてほしい」と娘のディアーヌは懇願した。しかし母マドレーヌは、「そんなことをしてはお前が自殺を幇助したことになってしまうからだめ!」と突っぱねる。「じゃ、せめてその時は電話をかけきて…」そんな娘の最期の願いを、マドレーヌは受け入れた。


そして、ついに、電話は、鳴ったーーー


エンディングで若かりしマドレーヌが、裸身ではしゃぐ姿が一瞬ストップする。人生の幕引きを自らが選択する権利を与えてくれてありがとう!!勝ち得た主張の喜びを、まるで体全身で表現しているかのような、救われる素晴らしいエンディングであった。

はつらつと生き、激しい恋もしたマドレーヌ。いくつもの尊い命をその両手で取り上げてきた彼女が歩んだ人生。《人生の幕引きはわが手で…》という想いに彼女がなった背景が分かる気がした。命の灯(ともしび)が先細っていくな中で、自分一人では何も出来なくなる惨(むご)さ。失態と苦痛が日に日に増えていく現実を目の当たりにした時の恐怖、悲哀、喪失感、虚無感、挫折感。それらが幾重にもなりながら、マドレーヌの心の襞に絡まってきたのだろう。"順送り"であって然りなのだ。それが人の一生。出来なくいくことは自然なこと。ヴィクトリアのさりげない言葉が私の中で優しく反芻、谺(こだま)し続けた。。。


リオネル・ジョスパン氏(元フランス首相)
同氏の母:ミレイユの“尊厳死”について、娘であり作家であるノエル・シャトレが執筆した『最期の教え』を原案として作成された作品であるとのこと。

先ず断捨離からアプローチし、"尊厳死"と向き合うための心の姿勢を、ただしていきたいという想いを確認させてくれた貴重な作品となった。

※(まだまだ書き足りないことがある。思いだせた部分は随時、追記していこうと思う。)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 映画
感想投稿日 : 2018年2月16日
読了日 : 2018年2月16日
本棚登録日 : 2018年2月16日

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